10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(12)
2008年4月11日 ようやく入院の日が来た。
前夜は留守の間の食事作りでてんやわんやの状態だった。約3週間の入院。せめて最初の数日だけでも家庭の味を食べさせたい。そう思って、大鍋いっぱいに我が家の定番の豚汁、保温鍋におでん..。茹でたほうれん草、煮物、炊き込みご飯やいなり寿司などは冷凍バッグに小分けして保存しておくことにした。入院前夜は緊張で寝られない人も多いと聞いたが、疲れもあって熟睡することが出来た。
その日の朝は6時に起きてまず机に向かった。先日、電話で話したばかりのドクターに「余命告知拒否」の手紙を書くためである。私は基本的に手紙の下書きはしない。思いを一気に書くほうが相手に伝わると信じているからだ。机に向かい背筋を伸ばして深呼吸をした。真っ白い便箋に、まずは電話で丁寧に対応して戴いたことに感謝の言葉を書いた。先生の力強いお言葉を耳にして手術に臨む決意が出来たこと。そして、最後に
「余命は本人にはもちろんのこと、家族にも絶対に言わないで下さい。」
と書いた。3月、外来担当医にハガキを書いた時は「僕が担当になるとは限らないので」と受け流されてしまっただけに、今度こそしっかり受け止めてもらおうという強い思いを込めて書いた。
入院当日は11時に病棟の受付に来るようにと言われていた。自宅からは高速を使って20分。多少混雑はあったが無事たどり着いた。検査のために何回も通った病院。しかし、やはり、通院と入院とでは気持ち的にかなりの差を感じた。いよいよ囚われの身になるのかと思うと、逃げたい気持ち半分、諦めの気持ち半分と言う感じで口数も少なくなった。
病室は7階。ナースステーションに到着するなり、先ほどの手紙をS先生に渡してくださるようお願いした。手術の説明は1時半からということだったので、その前に必ず手渡してくださいと念を押した。
病室は6人部屋。明るく広々していて今まで見てきた病室の中ではかなり上位。私のベッドは一番奥の窓側ということで他の患者さんに頭を下げながら入っていった。するとベッド横の折りたたみ椅子の背もたれに女物のジャケットが掛けられていた。誰かしらが先に来ていて掛けたものなのか?「どなたか見えてましたよ!」お隣の方にそう言われたものの思い当たる節がない。
首をかしげているところになんとH子が姿を現した。「心配で来ちゃったの!」思いがけないことで驚いたが、物凄くありがたく、不安と緊張が一気に解けた。H子の家からは同じ県内とはいえバスと電車を乗り継いで2時間近くかかる。確かに3週間前の集まりの時と比べれば格段に元気そうではあったが、がん患者にとっては大変な労力である。なんとも申し訳なくて、しかし、嬉しくて思わず手を握り合ってしまった。大腸がんの先輩。これ以上心強いことはない。暗い表情だった主人もこの思いがけない見舞い客の登場に笑顔になった。「顔見て安心したから、すぐ帰るから。」と言ったが、私としては離れがたい気持ちだった。
そこに受け持ちの看護師がやってきて「血糖値が高いから今日から絶食」と言ってブドウ糖の点滴をつなげていった。H子と上層階のレストランでお茶くらい飲みたかったが、それもかなわず。主人が一緒に食事した後、駅まで車で送ることになった。車の中でいろいろ話したことで主人も随分と心安らいだようであった。本当にありがたいことだった。
1時半からはいよいよ手術の説明。どんなドクターなのか?手紙はしっかり手渡されたか?不安と緊張が走った。主人とナースステーションに向かった。電話では話しているがその日が初対面。奥の方から銀縁メガネの体格のよい先生がこちらに向かってきた。いかにも外科医という雰囲気。しかし、なんとも表情が硬い。名刺を出して挨拶する主人の陰に隠れるように私は怖々と頭を下げた。
「こちらへどうぞ」といって向かいにある個室に案内された。まずはS先生、主人、最後に私が入室した。S先生は壁沿いにゆっくり歩きながら後姿のまま、「お手紙拝見しました。余命ということですが・・・そんなこと誰にも分かりません!」と言ってのけた。私が懸命に書いた手紙の答えを何はともあれ最初に口にしてくれたのだ。西の地方の出身らしく最後の「分かりません」が、尻上がりになり、『本当に余命なんて誰にも分からないものなんだよ~』と私の心に響いた。必死で投げた直球をこの先生は受け取ってくれた。そして、不安のいっぱい詰まったその玉をまるで手品師のように手のひらで消して見せたのだ。この一言で私のS先生に対する信頼はゆるぎないものになった。
椅子に座り、初めてこちらに向けたS先生の表情は困惑し切ったものであった。「どこまで話して良いんですか?」医師側は周到な準備をして説明に臨むはず。それが直前になって「余命告知拒否」などという手紙をもらえば困惑するのも無理はない。しかし、とにかく私としてはその一線をガードしたかったのだ。「どこまでって・・・余命以外は全部です!」キッパリそう答えた。余命以外は全て知りたい。私は思っている通りのことを口にしたのだ。言うべきことは言った。覚悟は出来た。
主人はメモ帳を取り出して一語たりとも聞き逃さないように準備していた。S先生は紙に患部の絵を書きながら説明を始めた。原発は大腸のS状結腸部で、いわゆるキノコのような腫瘍でなく、2型=潰瘍限局型。ガンは腸管をほぼ一周している状態であり、長さは約5センチ。その前後10センチを切除するため大腸を合計25センチ切り取ることなる。
その前にまずは直径20センチを超える筋腫を取り出さないことには腸の手術の邪魔になるので切除する。筋腫は子宮の外側にあるので子宮は残し、筋腫のみ切り取る。大腸周辺のリンパ節も出来るだけ取り転移の有無を調べる。肝臓は画像上は転移1ヶ所と思われるので切除。尾状葉と呼ばれる奥の部分に2センチほどの転移が見受けられる。肝臓は肝臓の専門医K先生に執刀をお願いする。胆石もあるので胆のうも切除。
全部一気に取り切るため、みぞおちから恥骨まで(約40cm)大きく切ることになるが、術者としては視野が広がってやりやすい。場合によっては一時的に人工肛門を付けて後で取り外すことも考えている。しかしながら実際開けてみないことには分からない。手術時間は6時間程と思われるが、もし、腹膜播種が見られた場合はそのまま閉じることになる・・・という話であった。
大腸、肝臓、リンパ節、子宮筋腫、胆のう・・・ともうこれはバイキング状態。確かにホラー映画のシナリオを読んでいるような恐ろしい内容ではあった。穏やかな口調ながら熱のこもったS医師の説明は1時間をゆうに超えた。ここでは書ききれないが、それぞれの患部に対して詳しい説明があり、また私の持病(糖尿、高血圧、喘息など)に関連して起こってくるであろう合併症に対する様々な対処法等々、大手術に臨む用意周到振りがうかがえた。なんとしてでも救いたいという熱意が言葉の端々に感じられた。聞き終わって私は思わずスタンディングオベーションを送りたい気分になった。その熱意にいたく感動したからである。
医者にありがちな高圧的な態度は一切なく、外科医という仕事に全身全霊で取り組んでいるという空気が漂っていた。「外科の仕事は切って捨てる、切って捨てる。」ジェスチャーを交えながらそう言った言葉が印象的だった。悪い物はバッサリ切って捨てる。この先生の手にかかればガンもあっさり捨てられて終わり。そんな勢いがあった。
インターネットや一般向けの医学書で一応の知識は付けていたので、話の内容は良く理解できた。「何か質問は?」と言われて、なぜかとんでもないことを口走ってしまった。「ついでにお腹の脂肪も取れないんですか?」先生は真顔で「それはとても危険なことだから出来ません!」なんだ、どうせなら取ってもらいたかったのに・・。となんとも無礼者だったと後で反省した。
最後に「ステージⅣ」と大きく書いた下に念を押すように2本の下線が引かれた。とにかくこの先生で良かった。たとえステージ4だって何も怖がることはない。信頼できる医師に手術してもらえるのだから。これ以上の幸福はない。承諾書に夫と共にサインをした。まるで念願のマイホーム購入の契約書にサインしたような清々しい気持ちであった。
手術は5日後の水曜日。不安はなくむしろワクワクするような期待感が膨らみ手術日が待ち遠しくなった。
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