「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話②子供時代から31歳まで(小学生から平成16年1月)
小学生の頃
今思えばなかなか空気を読まない子供でした。自分の行動が周囲にどう見られているか判らない。よって気づいて修正することが出来ない。悪気は全くないけど、自分の思うことをそのまま言ってしまう。その結果嫌われてしまう。この年になるとそういうことは少なくなっていますが、小さい頃はむき出しでした。
他の子供から「頭がおかしいよね」と陰口も言われましたね。 よくあることですよね。しょうがないですね。子供ってストレートだからね。相手が嫌だと思えば、攻撃することを手加減しないし、相手がへこんだりすると、より一層明確な悪意をもって、明らかに楽しんで相手を傷つける場合がある。大人の世界でもそうなのですが。
3・4年生の頃からの不安感
あることに気が付きます。多分この時期が最初だと思っています。そのことがきっかけで、自分がコントロール出来なくなったとか、暴れるとか、非行に走るとかではないですよ。むしろそうであった方が良かった位です。もっと深刻ですね。「置口空助」という人格、「思考」といって良いと思いますが、これが突然弱くなる。自分という存在が非常に薄くなる。
長ければ、数ヶ月後とかに、「置口空助」の「思考が」戻ってくる。戻ってきて初めて、今まで自分がいなかったことに気づくのです。こう書くと疑問に思う人もいると思います。「じゃあ、その本人の「思考」がないときは、普段の生活はどうしているのか」と。
正直、無意識でしていますね。「思考」がない状態で生きています。一般の方も慣れきった行動であれば、ほとんど条件反射のように、とくに何も考えていないです。例えば、起床して顔を洗うということは、「さぁ、掛け布団をめくって着替えて、階段を下りて洗面所へ行きタオルをとって顔を洗う」と考えないですよね。
殆ど習慣になっている行動は、それでもこなす事はできますが、複雑になってくると無理ですね。例えば、通学途中に被っていた帽子が風で飛ばされても、それに気がつかないですね。もしくは「帽子が飛んだ」としか思わない。
一番問題なのが、自分がそういう状態に陥っていることに、気がつかないことですね。何かの弾みで自分の思考が戻ってくる。そのとき始めて気がつきます。
この時期に「自分にこういうことが起きている」と気がつきましたが、ただ自分の特殊事情だということにまでは思い至らなかったね。当時の自分としてはこれが普通の状態なのでしたから。
わたしは本当に弱点の宝庫なのですが、成長するにつれ徐々に自覚することになりました。小学生のときに気がついたことが、最初ですね。明確に一般的なことではないと気がついたのは平成16年から平成18年に掛けてのことです。私が32歳から34歳の頃です。この状態を私は「思考が飛ぶ」と名づけました。
小学生のときに気がついた「思考が飛ぶ」、これは大人になるにつれより一層酷くなっていきました。
弱点「思考が飛ぶ」
処理出来ないことがあると起きます。これは脳の機能の問題なのか判りませんが、あきらかに過負荷の状態での現象です。私の場合、強烈なストレス感が同時にある。ストレス、イコール過負荷ではないのだけれど、非常に近い。
何がストレスかというと、攻撃的になることや、何か悲しむこと、負の感情を持つ人があるがそばにいること。整理整頓されていない部屋や書類。自分が何をしていいかわかない状態。すべきことが秩序だっていない状態。人間関係や社会に対して、今までの経験・知恵で対処できないとき。
ブレーカーが完全に落ちたわけではなくて、10の能力があったら1か2に能力が下がる感じ。重要なのが「思考が飛ぶ」状態になったとき、自分では気がつかないことです。
抜け出てはじめてその状態だったと理解します。長ければ数ヶ月かかります。その度に自分自身に絶望する訳です。「またか」と。絶望というのも心を腐らせますね。生きながら腐っていく感じです。深く絶望するとどうなるか、また「思考が飛ぶ」のでした。
長い間深い海の底に沈んでいて、やっとの思いで海上を目指して顔をだして息をしたとしても、次の瞬間にはまた体を絡めとられて海の底に沈んでいく。こんな感じかな。ようやく抜け出すことが出来てももう絶望しかない。こうしていろんな人間性が一枚一枚はがれていくのでした。でもそのことも慣れるのです(笑)。
中学生2年生のころ
私にとって中学2年生は自分の中で重要な年です。この時に初めて自分の困っていることに対して、何とかしようと決意した年だからです。正直何も解決はしなかったですが、この思いは今も脈々と生きていますね。
この年私は深刻な問題を抱えていました。自分は何かおかしいのではないかと不安感が募っていました。思春期の子供ならありがちなのかもしれない。そろそろ高校進学のことも意識する時期ですし、漠然と「こんな仕事をしたいな」と思う年頃でもあります。なかなか不安定な年頃と言えるでしょう。が、私の悩みは違っていました。今思えば自分自身の脳の機能に対する強烈な不信感です。
学生の頃の写真を見るのは好きではありません。非常に不安な顔しているからです。誰にも相談ができない。これが私にだけに起こっていることなのか。単に私の勘違いなのか。だいたい誰に相談すればいいのだろう。何か得体の知れない危機が迫っていることは判っているのですが、解決法が見つからない。これはものすごい恐怖ですね。こういう状態だと精神を相当蝕みますね。こういうことが他の当事者にもおきているかと思うと非常に辛いです。
私は人とは違うものを見ている
弱点「思考が飛ぶ」のことではないです。それとは別に、小学生のときから何か人とは違うというこに自覚がありました。人と話しても話がかみ合わない。例えばテレビゲームの話になってもまったく違うことをみている。
「あそこのダンジョンのあの敵がいたよね」
「あそこの町に○○の剣が売っていたよね」
こういう会話は意味不明でした。同じ体験をしているのに私は
「テレビゲームの中毒性について」や
「ここにダンジョンや町があるゲームデザイナーの意図」を話す。
見方が違う。ただこれは個性なのかな。と納得していました。が、それよりも衝撃だったことがあります。思考の量や強さが違うことです。確かに私の場合は独特の見方をしている。
例えば「ここにダンジョンや町があるゲームデザイナーの意図」について独自の見解をもつ。けどそこからの発展性がない。
そこから「じゃぁ他のゲームはどんな意図でつくったのだろう」と、1つの情報から思考を広げるのが困難です。思考の量や持続力が違うのでした。
定型発達者は1つの情報からいろんなことを考えられる。
例えば「あそこの町に○○の剣が売っている」から
「じゃぁあそこの町では△△の剣を売っていた」とか
「攻撃力は152位だぜ」等。
私は独特の見方をする、それはいい。思考の量や持続力がちがうのは何なのだ。その頃は勉強が出来た方でしたが、
「でも私は頭が悪いのではないか」と思っていました。
そして、この頃には自我の弱さにも気がついていました。思考の量や持続力に関係しているのではないか、そう思っていました。これを何とかしなくては大変なことになる。自分の将来に不安を感じていました。
そのときに思いついたのが、そのときに考えるチェックリスト(思考が広がり、持続するような、ケースバイケースのものを)を用意するということでした。そして忘れないように(チェックリストを用意したこともすぐ忘れる。その度に自己嫌悪に陥る。ワーキングメモリが極端に小さいのです)、イメージ記憶術を使うというものでした。幼いながらも何とかしようと必死でした。
チェックリストを構築しても、そのメモが無くなってしまう。忘れないようにイメージ記憶術の教材を購入しても部屋のゴミの山に埋まってしまう。
そして何とかしようと必死になっていたことも「思考が飛び」、忘れてしまう。何年か経って思い出しても、また「思考が飛び」、忘れてしまう。この繰り返しでした。その度に自己嫌悪に陥り、だんだん心が麻痺してくる。
それでもこの経験があって、「認識(思考といった方がいいかもしれないですが)の仕方を構築する」。これが私のテーマ(執念)になりました。そう思えば、感謝の気持ちがでてくる。
弱点「何も考えられない」(思考空白)
壁に囲まれた部屋に閉じ込められている感じです。外部からシャットアウトされている
例えば家から外に出るとする。「お今日はいい天気だなぁ。向かいの家に車が二台止まっている。上の娘さんが帰ってきたかな。地面が濡れている。昨晩雨が降ったみたいだね」ということは考えられないです。目に入らないですね。
本当に隔離されていて外部の情報が私には分からない。
家から外に出る。まず、天気の事に気がつかない。向かいの家があること自体、気がついていない。当然地面の状態は認識に出来る訳がない。故に上記のような思考ができない。じゃ何を考えるか。
外に出るという意義について考えます。外に出るということで何が起き起きるか、この時間帯であればとの位の確率でどんな人に会うか、外に出ることについての哲学的意味。人はなぜ外に出るかについて考えます。外に出ることにんな意思が働いているか。
思考の傾向としてはこうなのです。けれどもいつも思考できる訳ではない。基本的に何も考えていないことが多いです。
高校を出てから
高校をでてからいろんな職種を転々としていました。
この頃は自分のコントロールができていない状態でしたね。基本的にこれまでの私の人生でそうなのですが(笑)。闇をさまよっている。どんどん悪い方に行っている時期でした。
この時期は思考というものをほぼしてない状態ですね。常に思考が飛んでいる。特に思考ということをせず、条件反射のような形で日常や仕事のことをこなしていました。ほとんど全自動のロボットですよ。だからといって正確に動けるわけでなく、やはり仕事ではミスが多いですね。
そしていづらくなって辞めてしまう。この繰り返しでしたね。その度に自分からいろんなものが抜け落ちてしまう感じですよ。自分に対する自信や期待そういうものが無くなってしまう。今思えば絶望の中にいましたね。でも当時は麻痺していたね。
仕事では人に比べてできない事の多さに愕然とすることが多々ありましたね。一生懸命やっても追いつかないのです。社会というのはいろんな人がいますが、意外と許容度と言うのは広いものです。意外と変人・変わり者と呼ばれる人も生きていきるのです。職種にもよるのでしょうが。ただ条件があります。チームの和を乱さないこと、その上で与えられた仕事を全うすること。これが条件です。
しかし私にとっては難しいことでした。努力をしても結果が出ないのです。結果が出なければ、努力をしてもそれは努力にならない。そして努力をすることも止めてしまう。
「もうしょうがないのかな。生きていく上でこうした砂を噛むような感情、一生ついてまわるだろう」と思いました。もうこれは、私が生きて行く上でのコストなのだと受け入れたのでした。どこにも逃げ場がなく延々と苦行をしているかのようでした。
弱点「過食」
幼少の頃より食べ過ぎでした。一種の逃避ですね。それは理解しています。ストレスがかかったときの対処法というのは、皆さんそれぞれあると思いますが、根本的に解決しない限りストレスはなくならない。原因があってそれによってストレスという現象が起きます。その根本的な原因を解決しない限り、それは解決しないものです。
私の場合、過食は対症療法ですね。根本的な解決法ではないです。現実的なのは死を選択することなのですが、そういう訳にはいかないのでね。過食によってストレスを緩和するしかないのです。
自分でお金を稼ぐことが出来るようなってから、その傾向が強くなりました。入居費以外のほぼ全ての給料を食べることに費やしていましたね。起きている間ずっと食べていました。食べたくて食べているのではないのですが。ここまで来ると依存症と言っていいでしょう。 よく肥満は心の病気だと言う文章を目にすることがありますが、私の場合は紛れもなくそうですね。
分かっているけど止められない。食べないわけにいかない。それで何か解決する訳ではないです。そして食べてしまうことにストレスを感じてしまう。負のスパイラルといってもいいでしょう。
最終的には消費者金融で借金をして食べていますね。特に美食というわけではなく、コンビニとかスーパーのお惣菜とかそういうものです。食べることによってのみ、ストレスを解消することができた。でも食べることに罪悪感ありましたね、意味がないことは分かっていたのでね。まずい状況でしたね。
弱点「整理整頓ができない」
まず部屋を片付けることができない。基本的にゴミの山ですね。そんなに汚かったら片付ければいいと思うかもしれませんが、それが出来ないのです。
生きていく上で、部屋を片付けることが出来ないということは相当なハンデですよ。まず部屋の中に入ると、いろんなものが堆積しています。服の上に本があったりとかね。それから本、プリントとか、靴とかね。いわゆるゴミ屋敷ですね。だから何か必要なもの取り出すということができません。出来たとしても、非常に時間がかかりますね。
片付けようと思っても体が動かないのです。稀になんとか歯を食いしばって片付けをしても、一気に片付けることはできません。ごみ屋敷ですから、片付けようと思うと時間がかかります。そうなると片付けているうちにまた散らかるのでした。最終的には片付けられない。 1週間きれいな状態を保ったことはないですね。
だから当然忘れ物もする。無理ですからね、取り出すことが。こういう人間は誰にも信頼されることありません。また自分を信じることも出来ません。
例えば何か絵を書こうとしても、まず紙と鉛筆を探すことが難しいですよ。必死の思いでそれを見つけたとします。書いている途中に必ず鉛筆がなくなります。再び探すこと無理な話です。また描いた絵、これも仕舞ってまた取り出すことは無理ですね。
こういう状態です。焦燥感はありました。いつかどこかで破滅が来るのは分かっていますから。でもそれさえもいずれ麻痺するのでした。だから逆に生きてこられたのかな(笑)。
弱点「思考が飛ぶ」 100%
弱点「何も考えられない」(思考空白) 100%
弱点「過食」 100%
弱点「整理整頓ができない」 100%
著者の置口 空助さんに人生相談を申込む
著者の置口 空助さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます