「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話③帰省後診断(平成16年1月から9月)
東京都八王子 1月
高校卒業後職を転々としていまし。、最後の職場では寮の部屋が片付けられず、パニックになり逃走。もう職場には戻れずそのまま廃人のようにカプセルホテルでただ漫然と過ごしていました。貯金はとうに底をつき消費者金融でお金を借りての生活でしたが、それも限界でした。もうホームレスか自殺をするかの岐路に立っていました。その状態で親に電話をしました。幾ばくかのお金を無心するつもりでしたが、返答は意外なものでした。
「帰ってくるのなら、その旅費ならだす。たぶんあなたはADDだ」というものでした。母は、「片付けられない女たち」(Wikipediaより「女性のAD/HD(注意欠陥障害)について書いた著書。以前は子供のみに見られる障害で、かつ男性が大半を占めると考えられていたAD/HDについて、実際には大人になっても障害が残留して様々な問題を抱えていること、女性特有の問題があることなどを指摘している。日本における発達障害関連の本では草分け的著書。注意欠陥障害(ADD)とは、軽度発達障害の一種、注意欠陥・多動性障害(ADHD)のうち、多動のないものの通称である。」)を読み、私に当てはまることが多いので確信したそうです。
これまで人生がうまくいかなかったのは、発達障害の影響ではないか。であれば、何か対応策があるかもしれない。私は自分の人生をやり直すことを決意しました。31歳でした。
帰省後
平成16年1月地元の市立病院に行きました。母がこの先生ならよく話しをきいてくれるからということで、S医師に受診。非常に丁寧に話を聴いて下さいました。診断結果は発達障害と思われる。というものでした。発達障害の専門医ではなく精神科の医師でした。脳の機能の問題であれば、なにか機能訓練があるべきだと思い、確認をしましたが、私の疑問は解消されませんでした。
森田療法の本をすすめられ、読みましたが。正直「何か違う」と思いました。
「あるがまま」という概念も理解しました。それをもって精神の偏りに対峙するという仕組みも理解しましたが(多分)、生活していくうえで私の弱点には何も答えてくれませんでした。
「あるがまま」にうけ入れたら私は部屋に引きこもり、なにもできず寝たきりになるしかない。もしくは「あるがまま」に発達障害の諸症状に立ち向かうにもしても、あまり丸腰すぎる。どう考えても無理だ、とその当時は思いましたね。
リタリン(ADHD の治療に使われる。中枢刺激薬が多動や集中力の改善に有効であることが知られている)を処方され服用しましたが、効果はありませんでした。それでも何か進展があると思い、1年ほどで通院しましたが、早い段階に自分自身で何とかするしかないと気持ちを切り替えました。
対「発達障害」の専門家と自覚する
自分が生きていくうえで困っていたことが、発達障害の概念に含まれるということ。それが判るだけで、いろんな対応が出来る。そのことだけでも心に火が燈りました。
それと発達障害という概念自体、まだ精神科の医師でも浸透もしていない。対処法はリタリンくらいということ。こういった現状が把握できた。これは自分で何とかするしかないということです。覚悟ができました。
対「発達障害」の専門家と思いました。こういうカテゴリの中では医療関係者や福祉領域の支援者、家族会も含まれるのでしょうが、私はあくまで当事者としての対「発達障害」の専門家なのです。最前線で試行錯誤しながら戦うが自分の役割と定めたのです。
これまでの人生、正直自慢できるものではないですね。特に高校を卒業してからまともな生き方をしていない。すこしずつ人間性が削り取られているように感じていました。それでも自ら命を絶たかったのは、「自分にはなにか役割があるのではないか」この思いがあったからね。
「とうとうきた。召集令状がきた。自分の役割はこれだった。自分の人生は発達障害に影響されてきたことが理解できた。まず私が発達障害を克服してその方法を広めよう」
そして役割のある自分の人生に深い感謝をしました。私は「求道者」の生き方に憧れていたのでね、なにかに一生を捧げるような生き方をしたかった。対「発達障害」の専門家と自分のことを捉えるなら、これまでの経験が無駄にはならないし、意味のあるものになる。
このストーリーを書くにあたって、過去の記録、記憶を掘り返す作業をしていましたが、こういう考えでしたね。リアルガチですよ。なかなか理解してもらえないと思うけども、そう思ったのだから仕方がないよね(笑)。
平成16年2月頃より、何か自分の現状を変える方法を見つけようと、さまざまな本を読みました。その当時はあまり発達障害の本がなかったです。少なくとも私に合うものは見つけられなかったです。私には今の状況を改善したいという、心の底からの欲求がありましたが、どうしていいか判らない。アドバイスくれる人もいない。そんな中で自己啓発の本に出会えました。当然ながら発達障害を克服する具体的な指針が示しているわけではなく、どういうものかというと自分の願望をどうやって達成させるかという本でした。
知識・技能「思考は現実化する」
ナポレオン・ヒルという方が書かれた本で、成功哲学といわれる著書の中ではバイブル的な作品です。私自身もこの本がきっかけでいろんなことが変わりはじめました。自分の願望を達成するための技術体系です。読んで普遍性があると感じました。今の私の現状を変えることができるかもしれない。正直他に選択肢が見つからなかったね(笑)。
この本の中には様々な成功のための技術が紹介されているのですが、基本になると思われるものが
願望実現のための6カ条
1.あなたが実現したいと思う願望を「はっきり」させること。単にお金がたくさん欲しいなどというような願望設定は、まったく無意味なことである。
2.実現したいと望むものを得るために、あなたはその代わりに何を“差し出す”のかを決めること。この世界は、代償を必要としない報酬など存在しない。
3.あなたが実現したいと思っている願望を取得する「最終期限」を決めること。
4.願望実現のための詳細な計画を立てること。そしてまだその準備ができていなくても、迷わずにすぐに行動に移ること。
5.実現したい具体的願望、そのための代償、最終期限、そして詳細な計画、以上の4点を紙に詳しく書くこと。
6.紙に書いたこの宣言を、1日に2回、起床直後と就寝直前に、なるべく大きな声で読むこと。このとき、あなたはもうすでにその願望を実現したものと考え、そう自分に信じ込ませることが大切である。
それともこの本の根底にあるものが「考え方があなたを変える。人は考えたような人になる」という考え方です
確かにそうだなと思いましたね。高校の頃「この先多分ホームレスだな」と思ったよ。その結果、その通りになった。能力的な問題なのか、そうなると思ったからかは判らない。でも確かに思った通りの人間になった。
私は何かを成し遂げたことはない。努力はするのですが、努力を続けることが不可能なため(障害特性のため通常の「努力」は困難。なかなか理解してもらうのは難しいですが)、いつか努力することを諦めてしまいました。何かを得るために努力するのは当然のことと思います。ただ努力すら継続して行うことができなかった。こんな私でも適切な努力ができたのなら?
「この本に書かれていることを実行すれば目標を達成する確率が高くなるかもしれない」
そう思わせる内容でしたね。
成果物系「目的意識の強化 目標を壁に貼ること」①発達障害者を幸せにする
「発達障害者を幸せにする」これを私の目標にしました。平成16年9月13日ですね。これが私の行動原理になりましたね。生きる理由といってもいいです。これまで私は何一つ自分で何かを成し遂げたことはないです。そんな私に芯が入ったのでした。現在に至るまでブレることは(ほぼ)なかったです。
このストーリーに副題をつけるとしたら、「発達障害当事者が自己啓発の本を読んだら」ですね。さて私は「願望実現のための6カ条」を元に願望(目標)をたてたのでした。でもね、「発達障害者を幸せにする」のための「具体的願望、そのための代償、最終期限、そして詳細な計画」これが、よく判ってなかったです。だから頻繁に変わっていきましたね。
でも本気です。
「目標を壁に貼る」、始めたのはこれが最初です。その当時はこのことがどんな意味かは、よく判ってはいなかったですね。。このあと「具体的願望、そのための代償、最終期限、そして詳細な計画」も固まることになります。その後、そのときの小目標はほぼ達成しました。そうなるように私自身が行動するのですが、それだけではなく気がつくと達成していることがよくありました。。10年経って振り返ると「目標を壁に貼る」の効果だと私は思っています。だからといってすぐに何か劇的に変化した訳ではないですよ。ただ、これが私の「反撃の狼煙」でした。
弱点「思考が飛ぶ」 100%
弱点「何も考えられない」(思考空白) 100%
弱点「過食」 100%
弱点「整理整頓ができない」 100%
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