「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話④A事業所(平成16年9月から平成18年2月)

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前編: 「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話③帰省後診断(平成16年1月から9月)
後編: 「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話⑤B事業所(平成18年から平成21年3月)


    


ホームヘルパーから

平成16年9月よりA事業所で訪問介護員として勤務をしました。ここから私の介護員人生が始まるのですが、今思えば無謀でしたね。

私にとって、介護職の中でもホームヘルパーは難しい職種です。利用者様の家でと1対1で向き合う仕事です。個人のヘルパーの負担が大きいです。そして、利用者様だけでなく、ご家族や地域とも関わるのです。


高校を出てから職を転々としましたが、サービス業は避けていました。力仕事が多かったです。その間、人と関わること自体を避けていました。嫌な思いをするだけでしたので。ほぼ人と交わることのない生活を10数年続けていました。そんな人間がホームヘルパーはハードルが高かったね。せめて施設職員から始めれば良かったね。


訪問介護というのは利用者がヘルパーをランキングする仕事です。複数のヘルパーが1対1で関わります(火曜日はこのヘルパー、金曜日はこのヘルパー等)が、そのときに利用者さんの中でランキング最下位のヘルパーというのはリストラ候補です。圧倒的に利用者様の立場が強いですね。


何をやっても空回りでしたね。利用者さんが嫌だと思えばすぐ事業所にクレームが行き、もう利用者さんには関わることが出来ないです。今思えば非常に情緒不安定でしたね。些細なことで動揺したり、ものすごくテンションが高かったり。多分無人島で長年一人の生活をしてきた人間が、島から脱出して人間の世界に戻ってきたらこんな感じかな。今思えばこの事業所で勤務したことは、人間としてのリハビリでしたね。


次第に仕事をさせてもらえない状態になり、平成18年2月退職をします。そう追い込まれました。落ち込みましたが自分の目標「発達障害者を幸せにする」が、自分の支えてくれました。ここで挫けるわけにはいかない。働かなくては生活できないですし。




A事業所で得たもの


    


今こうして振り返ってみれば、さもありなんとしか思えないですけどね。正直なところ辞職に追い込まれたのは当然かなと思います。何故なら、私の弱点は何も解決してないからです。高校卒業後職を転々としたときと同じですよ。「発達障害者を救う」この目標1つで弱点が克服できる訳ではないです。勤務中基本的に、弱点「思考が飛ぶ」の状態だからね。そのことを当時の私はあまり理解できなかったですね。今の視点だと、いろんな弱点に翻弄されていることは判るのですけどもね。


A事業所に在籍している間に人間関係の本を読み漁ることになりました。コミュニケーションの基本を学びましたね。劇的に改善したわけではないですが、これまで避けていた人間関係というものに取り組んだことが、これが私のその後の糧となりました。得るものはあったと思います。


社会生活を送る上で足りないものが初めてわかりました。これまで私が自分の感覚の中だけで生きてきましたので、自分がどういう人間が理解していなかったので。自分を理解するために他人を研究する。興味をもって接する。こういうことをしたのは始めての経験でしたね。そのおかげで自分の足りないものが炙り出されましたね。




弱点「スケジュールをこなすことができない」

     


文字通りスケジュールをこなすことのできないということですね。たとえば仕事であればやらなくてはいけない事は出来ますが、

例えば、明日ホームセンターに行ってガムテープを買ってこようと思っても当日になると体が動かない。意欲も動かない。「買わなくてはいけない、買わなくてはいけない」と焦るほど体が動かないですね。焦燥感だけがただ募る。そしてできないということに、自己嫌悪ですよね。仕事であればある程度動けます。プライベートになればなるほど体は動かないですね。


理解してくれなくて当然ですよ。でも、この部分をなんとしなくてはいけない。目標を達成するにはその下に細かいたくさんのするべき行動があって、それをしなくては目標を達成することは出来ない。その方法を考えることになりました。




スケジュールをこなせるようにするためには


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