
C事業所(特別養護老人ホーム)
平成21年4月転職しました。介護福祉士資格を取得して(実務経験3年以上で受験資格が得られるのです)、ようやく念願がかなって、C事業所(特別養護老人ホーム)に正職員として就職します(平成16年から介護の仕事をしていますが、臨時職員でした)。が、実は「思考が飛ぶ」、この状態がずっと続いていました。無理に無理を重ねていました。体も精神もボロボロの状態でしたね。直前までバイトしていたことも大きかったですね。
新人研修的ことがあったのですが、疲れがたまり寝過ごしました。ペナルティとしてレポートを書かされることになったのですが、提出できず退職に追い込まれました。4月下旬です。一月持たなかったですね。今振り返ると流れ星だね(笑)。
その当時は必死でしたね。私にとってはアルバイトも介護の仕事も対発達障害の研究費用を稼ぐことでした。それとお金を稼げば、対「思考が飛ぶ」これは民間の例えばヘルパーさんを頼むことも出来る。私の中ではこのことも研究の対象と思っていました。そうですね、私も一人の発達障害当事者として研究対象でした。むしろ私を幸せにすることで、データを取ろうという発想ですね。そして他の当事者に役立てようと思ったのでした。何せ私しか発達障害当事者をしらないから。
辞めた後

原因は対「思考が飛ぶ」が出来なかったことだと思いましたね。イヤホンを指しこまなかった母のせいだと思いました。差し込んでくれたのなら多分こんな状況にはなってはいなかった。そう思ったね。
人間関係でのトラブルが起きたら、すべて私が悪いと思っていました。今まで生きてきて起きたすべてことについてですよ。たぶん誰かが転ぶとするじゃないですか。私が悪いのではないと自分を責めるのです。あの人の視界に入ったからではないか、と思うのです(笑)。いや本当だよ。なぜこんな人間になったのかね。
両親もそうだと思うね。「私たちはちゃんと育てたのに」とヒステリーを起こして喚きちらすというはよくあることだったね。小さい頃からそうでしたね。弁護するわけではないけども、実際に私が悪いことは多かったよ。それは間違いない。ただこういうことが多いとさ、自分のことを価値がないと思ってしまうね。
「土下座までしたのに」とか「何度も繰り返し頼んだのに」とかね。惨めな気持ちや、物心ついてから「親なのに何故理解してくれていない」と思っていましたので。ただ私は小さい頃から何あっても「自分がすべて悪いのだ」と思って成長して来ました。人とは違うからといけないのだ。と他人を責めることはほとんどない人間でした。そして数十年間溜め込んでいたものが吹き出ました。C事業所(特別養護老人ホーム)をクビになったことで、箍がはずれました。親を責めたことはない人間でした。
荒れて母を責めました。「クビになったのはお前のせいだ」と繰り返しいいましたよ。起きている間ずっと言っていました。もちろんすごく荒い口調です。もっと酷いことも多分言っていますね。よくは覚えてはいないですが。ただ暴力は振るっていないです。それは出来なかった。20日程で、母のほうは精神崩壊寸前。言動もおかしくなってきました。
どうするか?このまま自分の行動を止めなければ、家庭は壊れる。このことは理解できました。ただ、このときはまだ自分の中の憎しみがどうしても納まらない状態でした。私はこれまで自分は軽んじられ精神的に虐待されてきた、それを我慢してきた、その思いが爆発したのですが、何よりも悲しかったのが「自分の目標が果たすことができなくなった」と思ったからです。この消失感ですね。これに比べれば、両親からの仕打ちはそれ程大したものじゃない。
立て直す

このときの自分を動かしたのは目標でしたね。壁に貼っている「発達障害者を幸せにする」。これをみて、自問自答ですよ。
「どうする、諦める気か」。
「わたしが投げ出しことで困る人がいるのではじゃないか」。
「後々必ず後悔するのは目に見えているのではないか」。
「自分の使命を投げ出す気か」。
答えはもう判っている訳ですよ。投げ出せるわけないじゃないですか。自分の誓いを破るわけにはいかない。
そして誰かの理解を得ようと思うことは諦めました。人間をいうのを信じることを辞めようと思いましたね。人は必ず悪さをする。ただ私だってそうのです。そんなたいした人間じゃない。良い悪いを考えてもしかたがない。そしてどう自分の役に立つかそれだけ考えよう。自分の目標を達成するために。それを基準にしよう。
「出し切る」ときめたのでね。当時の心境もかいています。今であればこんこんと説教をしたけどね(笑)。こういう考えが無くては自分を保てなかったということです。恥ずかしいですな(笑)。
立て直すと決意しました。精神的に不安定でしたので、家族のすすめもあり、一度病院(精神科)行くことにしました。正直病院と言うものにあまり良いイメージをもてず、むしろ避けていたのですが、何かいい方向へ行くかもしれないので。それとこの時期に相談窓口に行っています。そして今後どうやって仕事をしていくか話し合い、障害年金の手続きをすることになりました。
発達障害者の親御さんへ①

さてさて、胸焼けのするようなお話でしたね(笑)。
両親を擁護するわけではないのですけど、普通の人たちですよ。くれぐれも誤解の無い様にお願いします。まじめに社会の一員として生きていますしね、世間的な信用度は比べ物にならないですよ。地に足についている人達です。私自身もどっちかというと両親の方が信用できますから。
繰り返すけど、普通の人たちです。子供の頃っていろんな失敗をするものですよ。そして親御さんに叱られてね、してしてはいけないこと、いいことを学んで成長していくものですよ。そして結婚式とかで「親のきちんとした躾があったので私もこうやって立派に成長しました」なんて涙ながらにスピーチするのです。多分(笑)。
うーん。発達障害者としていきていると、いろんな苦手なことがありますよ。親から叱られても、直せないことが多かったし、何故叱られているか判らないことも多かったね。
この状態で叱られるとはっきりいって拷問と変わらないですね。なぜ叱られているか判らないし、直せないのに繰り返し叱られると、拷問です。
親ですからね、わが子のことの将来が心配ですよ。なんとかしなくてはいけないと思うわけだ。もっと叱るのです。一層の拷問ですよ。そしてまだ直らない、親もイライラするのです。ため息なんかついたりね、はたまた他の兄弟と比較して「あなたは何故出来ないの」と責めたりする。でも親も諦めないです。「あなたのためだから」といってより一層です。書いていて辛くなってきたよ(笑)。こうされると、子供はまともな大人になるのは難しいね。自尊心というものが無くなるよ。人の顔色を伺うようになるね。これは受けている立場からすると愛情ではないね。
発達障害者の親御さんへ②

親御さんに言いたいね。でも「あなたは悪くないよ」。いや本当なの。悪くは無い。だって、多分そうやって育てられてきたと思うよ。子供だったころに親から受けたような躾をわが子にしている。私は「悪い」とはいえない。愛情が根本的にあってさ、わが子のためを思って、ときにはわが身を犠牲にしていろんなことをする。「他の兄弟はきちんと育っているし、あの子がおかしいのよ」なんて思っても無理がない。さて、「悪くない」と言ってばかりだと話が先に進まないので、じゃぁ「どうするか」。
「自分が受けてきた躾では駄目な子がいる」、こういう子供がいるということを理解してほしい。しみじみ、人はそれぞれですね。確かに面倒な子供だと思うね。私が親の立場だったら、どう育てようと悩むと思うよ。でも、出来ないことがあると理解してもらえると助かります。変えずにね、愛するこということ。「人に愛されている」と思うと、少なくとも、人を信じられる人間にはなるかなと思う。そしてがっかりした顔をしてはいけないよ。そうなると子供は心を病んじゃうからね。子供は敏感です。
さて、今言ったことは基本的に心構えだよ。実際問題社会で生きていくうえで子供に教えなくてはいけないことはたくさんあるものね。「ありのまま」をつきつめると人は獣だよ(笑)。躾のときは、子供が理解していないと思ったときは、繰り返し叱っても逆効果だからね、一緒に考えてあげて下さい。そうすることで、「この子はこういう部分が苦手なのだ」とか「こうすれば、理解できるのだ」と発見できるからね。人はもちろん子供だってそれぞれだからね、あなたが育ったやり方があなたの子供にそのまま通じないこともあるよ。
ただ寄り添うことを心がければ、きちんと愛情は伝わるよ。なかなか辛いことの多い人生になるかもしれない子供の支えは親の愛情だね。子育ては大変ということは理解しているし、ましてや発達障害の子供は厄介だよ。当事者なのでね私は言う資格があると思うね。
なんの応援にならないかもしれませんが。負けないでと言わせて下さい。少なくとも私は応援しています。
当事者の方へ①

親御さんと上手くいっていない当事者って多分多いのかなと思います。それは辛いよね。
中々、学校や社会で上手くいかなくて、せめて家庭の中だけでもリラックスしたいと思う。でも家庭がかえって針のむしろだっりする訳ですよ。心休まる場所がないんだな。
「何故理解してくれない?」「こういう対応してくれていたら」と思うことが多分あるだろうし、なにか被害者意識を覚えている人も多いかなと思う。
私はそうだった(笑)。その経験から言わせてもらうと、はっきりいって発達障害のことなんか親だって理解してくれないと思ったほうがいい。とはいっても、理解してもらおうとする姿勢は大事ですよ。ただ期待しない方がいいと思う。当事者として自分に近い症状の方なら理解・共感も出来るけど、遠い人なら難しいです。ましてや定型発達者の親御さんなら当事者のことを「違う星の人」と思っても無理はないですよ。逆に発達障害者が定型発達者を理解しているかといえば、必ずしもそうではないよね。
中には理解のある両親に育てられた、あるいはなんとか努力しようとしてくれる親に当たったら、ラッキーだよ。宝くじで1等に当たることに匹敵するよ。必ず大事にしなさいよ。
そうではいない大多数の宝くじに外れた当事者の皆さんも残念に思うことはないです。まず当たることはないですから、がっかりするだけ無駄です(笑)。外れてラッキーと思うしかない。そのためには自分の考え方を変えるしかないですよ。でないと心は楽にはならないかな。
当事者の方へ②

発達障害者を関わるのは非常に厄介ですよ。内情を知れば知るほど普通の人ならもっとそうですよ。私だって「面倒臭いな」と思うもの(笑)。「私だって好きで生まれたわけではない!」と言われそうですが、親だって誰が好んで産んだわけではないからね(笑)。私の経験ですが、「何故理解してくれないのだろう」と思ったことがあるのだけど、考えていると、そういえば、私は両親を理解していない。確かに自分のことで精一杯なのは間違いないのだけど。そういえば、理解しようと思ったことも無かったね。基本的に人は両親を含めて恐怖の対象でしかなかったからね。そういう発想がなかった。
そして理解することより大事なことがあります。はっきりいって人を理解するのって難しいよ。自分のことだって理解していないのに、まして人をさ。
理解してからアクションをおこそうとしたら、何十年かかるか判ったものじゃない。
「心を配る」まずこれをしてみたらいいよ。親子関係がうまくいっていないところはたくさんあると思いますよ。だけども。お互いが「あいつが悪い」といがみ合っていたら、前に進まないです。過去のいざこざはひとまず置いて、笑顔で接してみるといいですよ。相手の心を明るくさせるつもりで試しにやってみよう。それと余裕があったらキャンデーの1本でも買って親にあげな。
心配るということをしてみると変わるかもしれないよ。親子関係が長年おかしいと、こういうことも多分やっていないですよね?理解してくれないなら、こちらが理解しようとする姿勢を見せる。そして心も配ってみる
親との関係に悩んでいたら、難しいかもしれないけれど、相手を責めることはやめたほういいです。ただ経験したと思えばいいです。その経験を、もし子供が生またときや、仕事で後輩を指導するとき、親とは違うように接しようと反面教師にすればいい。たぶんのそう考えることが一番楽だよ。人を恨むことを続けるとただ自分が辛いだけです。
ただ人はそれぞれなので、この方法が通用しないこともある。当事者としてより過酷な状況にある人もいるだろうね。それでも今の経験が、いいことも悪いこともすべての経験が自分の肥やしになることを信じています。むしろそう信じなければ前に進むことは出来ないですよ。私も現在の心境になったのは大分、時間がかかったので、あまり大きなことをいえないのは自覚しています(笑)。
弱点「睡眠障害」

平成21年6月(多分)、地元の精神科を受診しますここで広汎性発達障害 ADHD傾向と診断されました。そして睡眠障害とも診断されました。
医師からそういわれて愕然としましたが、ここで初めて物心ついてからまともに眠ったことがないことに気がつきました。本当です。自分の記憶の中ではぐっすり眠った記憶がない。眠れた記憶がないわけですよ。だから普通に眠るということが判らないし考えたことがないのです。
よく人が言うじゃないですか。「今日はよく眠れなかったよ」とか。
学生のころなんか「ぼくは毎晩きちんと睡眠時間を確保しています」なんて人間、いないよ。学生なんか基本夜更かしです。大人になったってそうですよ。テレビがあって、コンビニは24時間営業をしていますしね。だから「昨日はよく眠れなかった」といわれても、「私も眠れないね」。これで終わりなのです。
気が付かなかったです。人の「眠れない」と私の「眠れない」は違うことに。
このとき深刻に思ったのは、私は気がついていないけど、「実はあなたはこういう人だよ」こういうこと、もうないよね。ということでした。「自分が把握していない自分がまだいるのではないか?」と思ったのでした。本当にこれが最後か?まだあるじゃないのか?こういうサプライズ、私は好きじゃないのだ。どこかユーモアを感じるけど深刻なこの疑念、結論から言えばその後何度も感じることになりますね。そうですね、自分のことなんかこれっぽちも理解していなかったね。
眠剤ですが、寝られたり、眠れなかったり。だんだん眠剤の量は増えていきました。上限ギリギリまでの服用でしたね。それでも6割ぐらいですね、眠ることができるのは。次の日も非常に疲れがのこります。眠剤なしで普通に眠れるようになるのは平成25年2月以降です。
知識・技能「10倍アップシリーズ」

経済評論家の勝間和代さんの書籍です。公認会計士の資格を取得されている方です。なお2次試験には19歳で合格しており、旧試験制度では当時の最年少記録。職歴も華麗ですね。主に外資系の企業での勤務が長い方です。
業務を効率的に遂行するために必要なスキルや道具をたくさん紹介されている本なのです。成果主義の会社で結果を出すためにはここまでしなきゃ駄目なのだと、衝撃でしたね。ただ、「これは多分私、できるな」と思いました。基本的な考え方として、結果を出すために「仕組みをつくる」という考え方が強いです。人の能力差ということをそれほど重要視はしていないのです。スキルや道具を使いこなすことで付加価値をだす。この当時の私には必要な本でしたね。
出版業界的にもこれらの書籍の衝撃は相当のものだったと思います。
このよう仕事術の本がなかったのではないかな?徹底的にITの活用をしており、自分の経験をもとに必要と思われることを余すことなく晒している。本当にありがたいですよ。その中で私が積極的に取り入れたものがあります。すぐに効果がでたわけではないですが、何年か後に「生きていくのが楽になった」と思いました。
・ノートバソコンを用意する。
「持ち歩く書斎」とするのです。どこでも仕事が出来るようにするのです。
・マインドマップ
『マインドマップ』とは、トニー・ブザン氏が提唱した、ノートのとり方・書き方の一種です。短時間に効率的なまとめをすることができます。
・フォトリーディング
一般的な速読術ではないですね。本の概念を大きく理解して、その本の中で自分が必要なことがどこに書いてあるかをすばやく見つけ出す技術です。
・親指シフト
キーボード入力速度を上げる方法です。打鍵数が口―マ字入力の六割ですみます。入力作業が思考を妨げないため、逆に考えがまとまるようになります。
・Googleサービスの徹底活用
各種サービスを使いこなすことで効率化を図ります。非常に具体的に勝間さんの方法が網羅されています。
・フレームワーク思考
何かの概念や考え方を自分なりに束ねて整理して、考えやすくするもの、覚えやすくするものがフレームワークという考え方です。「10倍」シリーズだけではなく「ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力」もお勧めです。
この本のお陰で、ここからいわゆる「仕事術」系の本を読み漁るようになりました。弱点克服のために徹底的な効率化・合理化、そしてITを活用することを追及することになります。
知識・技能「フレームワーク思考とMECE」


勝間さんの書籍の中で、いちばん私の影響受けたのはこの技法なのですね。なかなか私は体系だって物事を整理できないという、これは性格から来るものなのか、今までの育ってきた環境から来るものなのか、はたまた発達障害からくるものかはわかりませんが。故に学習速度も遅いのかなと思います。少なくともその一因にはなっているかなと思っています。
ただこちらの技法を使えば改善されます。これらを知ると知らないでは大違いですよ。論理的思考というものが身に付きます(多分)。秩序だって物事を考えることができると、当然ながら秩序だって相手に説明するという事も出来るのですね。これは仕事をするにあたって非常に重要です、当たり前ですけども。そういう能力に欠けている当事者であれば、これらを学ぶことをおすすめします。
フレームワーク思考
「現実を観察する方法を構成する仮定、概念、価値、慣行の集まり何かの概念や考え方を自分なりに束ねて整理して、考えやすくするもの、覚えやすくするものがフレームワークの考え方です」(人に何か教えるときに必要なことはフレームワークにすることだと考えています。効果的な学習ができると思います。枝葉末節をそぎ落としたもので)
MECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)読み方は「ミッシー」。
フレームワークを使うときに重要な概です。直訳すると「相互排他的で、完全な全体集合」だが、要するに「漏れなく、ダブりなく」です。なかなか馴染みがないので、理解し辛いかもしれません。理解してしまえば、「MECE」かどうか非常に気になるようになりますよ。
Wikipediaより
「人間という集合を例にとると、「年齢」による分類は、ある人が同時に20歳と21歳になることは不可能(重複なし)であり、全ての人がX歳という集団に属する(漏れなし)ため、MECEとなる。 一方、「職業」による分類は、兼業を行う人間(重複)もいれば無職の人間(漏れ、ただし職業として「無職」という項目を設けるとすれば、漏れはなくなる)もいるためMECEとならない。 「男性/女性」など一見MECEに見える分類も両性具有など例外があるためにMECEとならない場合があるので注意が必要である」

