■小学生時代にDJに憧れた男が一つのラジオ番組の終焉に語る想い②中学・高校生編
ラジオへの熱い思いを描いて迎えた中学生時代。
果たして僕はDJへの道を辿れたのだろうか・・・
中学に入った僕は放送部に入ろうと決めていた。無論その目的はマイクを握ることであり、DJへの道を究めるためでありお昼に小粋な放送でもしてトーク力を磨くためであった。しかし部活紹介を見ても放送部はない。なんと放送部ではなく放送委員会しかなかったのだ。しかし部と委員の違いがあるとはいえそこは同じマイクを握る放送委員だ。僕は放送委員になった。
先輩、僕ラジオDJにな・・・
そういうのは・・・?
只今マイクロホンのテスト中です。
というわけで終了ー。僕の思い描いていた世界とはそこは違ったのだった。思い起こせば趣味の合いそうな先輩はたくさんいたのだがいかんせん特別な空間であり、コード巻が苦手だったこともあり溶け込めず。。。思い出と言えば秋葉原に放送用のコードとか買いに行った位で。DJへの道はあっけなく閉ざされてしまったのだった。
◇DJを目指して中学放送部へ編終了―◇
下川先生の次回作にご期待下さい。
結局僕は放送委員になじむことはなく、あれだけなりたかったラジオDJの道は一旦置いといて部活と勉強にいそしみ、誰よりも通学時間と授業の合間に読書をする哲学中学生へと成長していくのであった。ちなみに中学時代に「人生とはいかに生きるべきか―」と悶々と考えたあげくにキラキラ輝く先輩に触発され、芸能人になりたい―なんていう自分のことしか考えてない夢を恥ずかしく思うようになり、中学時代の夢は野口英世やシュバイツァー博士の様な人々を助ける偉大な医者となりアフリカへ渡ることへと変異するのであった。あぁ人生って色々変化がありまんな。特に多感な中学時代は180度変わったりも。
◇高校生でも聴いていたラジオと番組出演◇
とはいえラジオを聴くことは細々とではありつつも続けていた僕。高校時代の楽しみといえば授業の合間に教室の外の廊下で馬鹿友達達とくだらないお喋りをすることだったわけなのだが、そこでの一番の盛り上がるトークは昨日のAMラジオのトーク内容だった。
そんな日々の中で勿論伊集院光は抑えつつなんだけど当時無茶無茶ハマっていたのが下記の2つの番組。
・宮川賢の誰なんだお前は?
・ドリアン助川の正義のラジオ ジャンベルジャン
宮川賢はしぇべりが抜群に面白い劇団の人。僕の中では今でいうと宮根誠司みたいな外見の人だと思っていたのが写真を見たらとんでもない海坊主だったのを見てドン引きした思い出が。誰なんだお前は?は中高生のリスナーいじりが面白かったなぁと。
※びっくりする位海坊主だなと思った宮川賢氏
◇クイズミュージックシェイカーに出演◇
そんな誰なんだお前は?の中に「クイズミュージックシェイカー」という好きなアーティストの曲を3曲混ぜて当てるクイズコーナーがあった。僕は当時大好きでファンクラブにも入っていたX JAPANの曲なら絶対にあてられるだろうとはがきで応募。なんと出場できることとなった。TBSラジオの人から連絡を貰った時、天にも昇る様な気持ちになったことを覚えている。
正解しているけど意気込みはどーよ?
(葉書に僕が書いた文字をそのまま読む)
ミュージックスタート!
1日に4人まで出場できるクイズミュージックシェイカーだったのだがその日はなんとここまで3人中3人がパーフェクトで全問正解していた。根っからのラジオフリークだった僕は初出演だったこともありドキドキがとんでもないことになっており、音楽なんて半分聞こえているようで聞こえていなかった。それでもなんとか3曲中2曲は「これだ!」と絞り込み残り1曲をあてずっぽうで狙う展開に。
ずるいよー!!!
JAPANじゃねえじゃんかよー(笑)
というわけで筋肉寺和尚というラジオネームの恥ずかしさもさることながら自らを4番打者と持ち上げときながら見事に不正解という結果に終わった。とはいえ苦し紛れながら番組を盛り上げることはできたと思っており密かに爪痕は残せたのではないかと自負している。番組からは後日ステッカーが送ってこられて家宝とした。
◇正義のラジオ ジャンベルジャンに出演◇
ドリアン助川の正義のラジオジャンベルジャンは土曜の23:30~25:00までニッポン放送で放送してた中高生の悩みに叫ぶ詩人ドリアン助川が答えるという番組であった。当時かなり社会的に話題となった番組でもある。
※金髪先生としても活躍したドリアン。著書も買い集めてました。
この番組は非常に衝撃的な番組で、番組の前身となる後藤鮪郎の正義のラジオ!ジャンベルジャン!の時から現役高校教諭が売春や不良、大人を許せない中高生と電話で生バトルをするという過激な内容で僕は耳をひきつけられていた。ドリアン助川にパーソナリティが引き継がれた時も「誰だこいつは?鮪郎でいいじゃん」と思っていたのだがドリアンの中高生に真摯に向き合い自分の人生をぶつける姿にいつしか魅了され毎週彼の放送を聞くのが楽しみとなった。
その彼の放送の最初の会の最後に登場したのが白血病のかよちゃんだった。彼女は10代後半に白血病を患い「生きたいのに生きられない」苦悩を語った。自殺をしようと悩む10代のリスナーに向けて「私は生きたくても生きられないもし今死んでしまおうと思っている人がいるならその命を私に下さい」と語りその真剣な声に胸を熱くさせられるのであった。
結局かよちゃんは病気と闘いながら志望校であった早稲田大学に合格しドリアンの後輩となり、骨髄移植を受けるもその命を長らえることはできずしかしリスナーである僕たちの心には永遠に残る形となりながら逝ってしまう。ドリアンは彼女への思いを抱え続け「ベルリン発プラハ」という作品としてその思いを昇華させることとなる。
※名作です。作中にでてくるオペラ「ダリボール」のCD買いましたよ。
そんな放送を聞きながら受験勉強をしていた僕も縁あって同じ早稲田大学に合格することができた。ドリアンは早稲田の一文出身。かよちゃんは短い期間であったが理工に合格した。僕はAOで政経学部経済学科に合格した。そんな報告を番組に報告した所、ジャンベルジャンに出演することができた。その回のゲストはこれも早稲田の政経学部出身の五体不満足:乙武洋匡さんだった。ドリアンと乙武さんに早稲田合格の報告を番組の冒頭でできたことは僕の誇りとなるラジオ出演の記憶だ。
番組からは後日、ドリアン著書の「げろりん」が送られてきた。
勿論、家宝とした。
※ドリアンの短編集。くだらなくて面白い。人間て恰好悪くて素敵。
その後、ドリアンは自身のバンドメンバーのTAKUJIの覚せい剤不法所持事件をきっかけにLIVEが中止となりバンドを解散するところまで追い込まれてしまう。叫ぶ詩人の会のLIVEにも2回(渋谷公会堂と日比谷の野音)参加し、ドリアン色紙(親友の健治さんが尊敬する人に会おうの企画インタビューで貰ってきてくれた)を自分の部屋に飾っていた僕はドリアンと叫ぶ詩人の会のメンバーを応援しようと健治さんと一緒に奮起し叫ぶ詩人の会の代表曲「ハタ坊のおでん」の歌詞を変えてドリアン応援ソングをアコギで歌い収録しそれをドリアンの基に送ったりした。
生れてから10年目最初で最後のホームランを打ったジョ(○)
生れてから15年目金髪先生を見たジョ(○)
生れてから16年目ドリアンと話しあったジョ(○)
笑える日は必ず来るぞコノヤロー!!!
おでん!!おでん!!おでん!!
おでん!!おでん!!おでん!!
やはり僕の人生とラジオは切っても切れない関係なのだ。
◇次回予告◇
いよいよ怒涛の大学生編~社会人編に突入。
そしてナイナイのオールナイトニッポン終了問題と深夜ラジオの神回に言及します。
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