『思考は現実化する』が本当かを突き詰めるため、仕事にも出ずに9年も真理探求をした結果、、、、『信じる力』が生まれ、神秘体験が繰り返されるようになった話 vol.1 ~懐疑からの始まり~
宗教感のイザコザとか戦争とか、形式的なことにこだわるとあまり面白くないことが起きたりしていたように思われたので。
数々の宗教の間には色々な共通点があり、その中でも自分が興味を感じたのは『瞑想』。
瞑想、祈り、座禅、ヨガ、、、
呼ばれ方や形式は沢山あるが、どれも似たようなものに感じた。
しかし、寺や山奥で一人瞑想するなんて言うのは、自分には意味があまり感じられなかった。
トレーニングや勉強をバシバシやって、どんどん自分のレベルをアップしていきたい!という気持ちが強かった当時の自分にとっては、
「瞑想?暇人かよ、、」
くらいに思えてしまったのだ。
形式的なことには興味がなかったが、宗教分野の深遠な部分に関してはかなり興味をそそられ、探求を深めていった。
しかし、この時点ではイエスキリストの奇跡などは『ただの神話』だろう程度にしか思えなかった、、、
==科学==
精神世界の話と異なり、データが一般人に見えやすいカタチである『科学』というのは自分にとって説得力があった。
多くの人があたりまえだと思っている現実世界というものが本当はどのようなものかを調べるため、現代物理学などを少し勉強してみた。
大学でもやったが、量子力学とか、宇宙についてとか色々。
■ 目の前に見える物質なんて、量子レベルまで考えるとスッカスカということなんだよな。
■ しかも、まるで動いていない石でも鉄でも、実は内部の電子レベルでは動き回っている、、、
■ 更に、物質とは別に反物質というものがあり、それらが衝突すると消滅し、エネルギーのみが残るという、、、
■ 時間さえも一定ではない?
■ 光子は波であり、同時に2つの場所をくぐり抜けながらも、最後の到達点は一つ?
■ どんなに離れていても瞬時にスピンの反転がもう一つのペアに伝わる?!
『精神世界』とは反対かと思っていた『科学』からのアプローチでも、『現実世界』というものはそれほど確かなものではないのではないかと思えるようになってきた。
こんなのを読んでいたら、テレパシーや、物質が消えたり現れたり、もしくは現在も過去もないなんていうのもありえない話に思えてきたのだ。
実際に量子レベルでは起こっているような感じだったので。
そして、物理や化学以外に、自分の興味をそそったのは脳科学。
てんかん患者についての研究などはかなり興味深かった。
左脳と右脳をつなぐ脳梁を切断することにより、頭のなかに2つの脳が同時に存在することになる。すると、それぞれの脳ががバラバラに動くため、分離した行動を取るという記述だった。
左脳がこうしたいと思っても右脳がそれは絶対にするな!と思っていたとすると、右手(左脳が司る)と左手(右脳が司る)が喧嘩を始めたりするというのだ!
『マ、マジ?! それはかなり面白いな!』
『繋がっているから心のなかで葛藤が起きて、「結局はどうしようかな、、」となるのが、繋がっていないとバラバラになるのか、、
そして右脳の行動に対して、左脳がもろに妨害したりするということか、、、』
『そうか、やはりそうなのか!!』
自分はここで大いなるヒントを得た!
「人間の右脳はかなり凄い能力を持っており、サヴァン症候群の人々の驚異的な記憶力などの事を考えると、抑制さえしなければ誰でも凄いことが出来るのではないだろうか?」
そして、その右脳の素晴らしい能力にブレーキをかけるのが理性的な左脳なのではないかと思っていたのだ。
脳梁の実験結果は、自分に大きなヒントを示した。
『脳が協力しない時には強烈なブレーキになるんだ。やはりそれは正しかったんだ!』
『ならば、左脳を黙らせたり、ブレーキを踏ませないようにコントロールできるようになったとしたら、物凄いことが当たり前のようにできるようになるかもしれない。』
そして、ここで科学と宗教が繋がった。
「そうか、、、、瞑想とはそういうことなんじゃないのか?!」
「左脳を落ち着かせ、ブレーキを踏ませないようにするんじゃないのか?!」
「右脳全開になったら、これまでの常識を超えるようなことが体験できるようになったりするのだろうか、、」
このような仮説を得た自分は、瞑想を習慣の一つとすることにしてみたのだ。
「瞑想?暇人がやるものだろ?」などとそれまでは思っていたのにね^^
==その他==
他にも、多くの分野で多くの人が科学では説明できないような現象について語っていた。
発明家が、「イメージが頭のなかに入ってきたので、自分はただそれを設計図に書いているだけだ」と言ったり、音楽家も同じように「頭のなかに奏でられている音楽をただ譜面に写しているだけだ」と言ったりしていた。
美術家の方が、「親指の絵を書こうとするのであれば、親指を見るのではなく、その周りを見なさい。そしてその周りを描けば、自然に親指が現れてきます」と言っていたのも示唆的だった。
親指を見てしまうと、親指とはこういう物だという先入観が入ってしまうだろうから、その影響を受けないようにするのにも、周りを見て書くというのはいいのかもしれないな、、、
ありがたいことに、自分の中で少しずつ、色々なものが繋がっていった。
穿った目で見てしまう、、
多くの本を読んだり、数年間も証拠集めをしたことで、始めた当初に比べると、かなり心に変化は起きていた。
しかし、しかし!!
やはり疑いは完璧には晴れなかった、、
素晴らしい本などは多かった。「おぉ~、なるほど!」などとは何度も思ったものだ。
しかし同時に、色々な考えが頭をよぎった。
『もしかしたらお金儲けのために著者はその本を書いたのかもしれない、、、』
『著者は本気で書いていたとしても、本に記載されている内容に関しては著者の勘違いだったということもありえるのではないか?』
特に、後者の『著者はまじめに書いているものの、実際に真実かどうかはわからない』という点に関しては検証のしようもなく、『証拠集めにより自分自身を納得させるなんてことは難しい』という結論に至った。
証拠集めは無駄に終わったのか?
いや、実はかなり自分にとってかなり意味があった。
自分は『精神世界』に100%懐疑的だったのがむしろ良かった!
後に自分が体験した『心の世界』を伝える際に、他の懐疑的な人たちの気持ちが物凄くよくわかるから^^
このstoryで伝えたいこと
■ 疑っても良い!気になるのであれば自分で調べてみよう!決して無駄にはなりませんよ^^
■ 狭い範囲で情報収集するのではなく、出来るだけ広い範囲で調べてみよう
■ 本などの情報はただの情報であり、うのみにするのではなく、参照程度に止めよう
■ 真実かどうかを確かめることが出来るのはあなた本人のみ!
vol.2に続く、、、、、、、、
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