コミュ障のヲタクが厨二病をこじらして、海外で農業を始める話③ 厨二病重篤篇

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 自分でも予期せぬ形で、優等生として想定外の高校デビューをしてしまった私は、クラスの中で浮いた存在になってしまったが、


 私には、そんな事はどうでも良かった。


むしろ、ガキっぽい級友とは距離を置いて、一人窓際で物思いにふける知的な少年を演じて自己陶酔に浸っていたのである。


 それは丸で、新世紀エヴァンゲリオンの主人公「碇シンジ」のように

私は、それこそ一日中、新世紀エヴァンゲリオンのことを考えていた。

 当時、私は地学部という部活に入っていたのだが、そこに同じような厨二病患者が3,4人いて、彼らと飽きることなくエヴァの話を延々としていたのを覚えている。

 うち一人は、そのうち厨二病をこじらせ過ぎて不登校になり、もう一人は秋葉原に入り浸って学校に来なくなった。さらに、もう一人はエホバの証人というキリスト教一派の信者で、私は彼と「魂の救済」やら「人間の生きる意味」やらについて、日々、熱い議論を交わすのが日課になった。


 「欠けた心の補完。すべての魂を今、一つに。」


 そんな台詞がエヴァにはあったが、私は、エヴァが自分の心の中にある渇望、空虚感、絶望感を埋めてくれる答えを与えてくれるのではないかと思っていたのである。

 私は、当時、現実世界を生きることに何の意味も感じれなかった。私は生きる意味を渇望していた。


 当時、私が愛して止まなかった漫画家・アニメ監督の大友克洋が「MEMORIES」というオムニバス映画を発表したが、その一つに「彼女の想いで」という作品があって

 ヒロイン・エヴァの台詞にこんな言葉がある。

「現実がどれほどのものだったいうの?」


 映画「彼女の想いで」のヒロイン・エヴァは、現実世界を受け入れず、想い出の中に生きている。その気持ちは、思春期の私の心にシンクロしていた。

 私は現実世界を受け入れず、アニメの世界だけを見て生きていた。

エヴァンゲリオンの碇シンジも同じように、こんな事を言っていた。

「楽しいこと見つけたんだ。だから、そればっかりやってて、何が悪いんだー!!」と。


 現実世界に意味を見出せないなら、虚構の世界に意味を見出しても良いんじゃないか、そう私は思い始めるようになる。

  ただ、心の奥底では、現実世界を生きる意味を教えてくれる何かを渇望していた。

 今にして言えるのは、生きる意味というのは誰かに教えてもらうものではなく、自分自身の中に見つけ出すしかないものなのだが、その頃の私は、誰かが教えてくれるんじゃないかと探し回っていた。

 宮台真司の著書の「これが答えだ!」とか読んで、果たしてこれが本当に答えなんだろうかと悶々と自問自答して過ごすような生活を送っていた。


そして、

 この現実世界を生きる意味の答えを与えてくれると期待していたエヴァンゲリオンは、最終的には

「みんな死んでしまえば良いのに」


という言葉と共に、この現実世界を生きる意味を否定して終わってしまった。

私は、困惑し、動揺し、絶望した。

当時、同時期に上映されていた「もののけ姫」の


「生きろ」


というメッセージがなければ、私は何かしらおかしな事をしでかしていたような気もする。


 そして、松本大洋の「青い春」に感化されて、高校の屋上の手すりの外にぶら下がって懸垂するとか、今、思うととんでもないことをしていた。

 当時、私はいつ死んでも良いと思っていたし、自分の命の重さを計るように危険なことがしたい衝動に駆られていた。


 そんな思春期の息子の心の葛藤をよそに、

母親は、私が学年で3番を取ってしまった私に意味の分からない期待を寄せるようになる。

 東大だの、ノーベル賞だの、およそ正常とは思えないことを言って、私を心底うんざりさせた。

そんなものに毛ほど興味も無かった私は、ドンドンと問題児になって行った。

 そして、私が厨二病をこじらせて、学校に登校しても屋上で過ごしていたり、言われた提出物を出さずに放置していたり、テストの回答用紙に死ねと書いて提出したりしていることを学校の教師からの連絡で知らされた日、

母親は「全部、あの男のせいだ」と言って、泣き狂った。

あの男というのは、私の父親のことであった。

私には、全く意味が分からなかった。私の問題行動は何一つ父親とは関係なかった。

 ただ、その頃、私の家庭は序々に崩壊しつつあったのである。

母親は、家庭内の諸問題をすべて父親のせいにしてギャーギャーわめいてばかりいた。

泣き狂う母親を軽蔑の目で見下ろしながら、私はこの大人達に心底うんざりしていた。


私は成長しても、こんなくらだらない大人にしかなれないのだろうかと。


思春期の子供というのは、大人の愚かさや汚さが理解できるようになって来る。

 かつては偉大に思えた母親や父親、周囲の大人達も、愚かで汚い一介の人間で、結局は自分と同じように明確な答えを持たずにウロウロしているにだけに過ぎないと分かった時、思春期の子供というのはそれを「仕方ないよね」と承認できるほど器の大きさを持っているわけではない。

 今になってみれば、人は大人になったところで誰もが迷える子羊のように迷いながら悩みながら生きているわけで、愚かな過ちをすることだったあると理解できるが、子供からしてみると生きる規範として大人には完璧であって欲しいと望んでしまうのである。


 その当時、私が大人に対して沸いてくる感情は、憎悪と嫌悪のみであった。


そんな私の心情を代弁してくれたのが、尾崎豊だった。

 ただ、尾崎の歌は、反抗の歌であって、道を示す歌ではない。

 世界に絶望したり、反抗したりしてみたものの、私にはその先どう生きて良いものか皆目検討がつかなかった。

 

 私の心の SEVENTEEN'S MAP には、まだ生きる意味や目的を書き込むことはできなかった。


つづく

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