なぜ僕が「クリエイティブに学ぶ、新しい学習塾」をつくるのか 原体験編(1) 才能は誰が発掘する?
これからの時代、どんな学校や学習塾、学びの場が必要だと思いますか?
僕は今、東京大学のある本郷というところで新しい学習塾をつくっています。はじまりの学校 a.school(エイスクール)という名前の学習塾です。
そこには、レゴが置いてあり、科学雑誌からデザインの本、小説、漫画まで色んな本もあり、ちょっと「ベンチャー企業のオフィス」風。そして、デザイナーやNPO経営者、学者、税理士など色んな社会人が遊びに来て、中高生に講義やワークショップをしたりもします。
もちろん英数国理社などの科目を学ぶのが基本ですが、それだけに留まらず、中高生が社会と繋がる色々な授業をしています。
それは、学校のテストでいい点数を取り、いい学校に進むだけでは、これからの時代幸せになれない思っているからです。「自ら学び、自ら道を切りひらいていく人材になる」、そのための学習塾です。
なんでそんなことをやり始めたのか。一言で表すのは簡単ですが、そこに至るまでにはたくさんのストーリーがあります。それらを1つ1つ、皆さんと共有していきたいと思います。
まず一話目は、小学生の頃。「才能」に目覚めたストーリー。
小さい頃、僕は、絵を描くのが好きでした。夕方日が落ち、親に止められるまで、道路にチョークで自由に絵を描き続けていたのをすごく覚えています。よくオリジナルの遊びを作ったりもしていました。自分が面白いと思ったことには徹底的に全エネルギーを注ぎ、我を忘れて楽しむ、そんなタイプの子どもでした。
そんな僕は、学校で他の人にあわせて一緒のことをするということがあまりうまくできませんでした。自分の好きなことを思いきりやっているだけのつもりが、同級生や先生とぶつかることも多く、空回りをしていました。
外の世界に出たい。
そう思い、自分から親に「中学受験したい。僕は、地元の中学には行かへん。塾に行かせて」と一方的に宣言。この頃から意思は強かったんですね。突然の急変に親も驚いていましたが笑、「勉強したいと言ってるんやから、とりあえず行かしたるか」と、塾に通わせてくれました。
そこで、ある先生に出会います。名前を忘れてしまったのが申し訳ないのですが、確か理系の大学院生で、僕に数学を教えてくれていました。塾に通い出して間もない頃、その先生が僕の親に言ってくれた忘れられない一言があります。
「この子は数学の才能がある。理系の道に進むといい」
人生で初めて「才能がある」と言われた瞬間でした。学校では正直厄介者だったでしょう。家で親も色々と褒めてくれていたとは思いますが、その頃は、学校で喧嘩ばかりしてくる僕に呆れていたというか、疲れていたんだと思います。でも、僕自身も一人でつらかった。そんな時にもらったこの言葉は本当に救いの言葉でした。
その後一年ほどその塾で過ごしましたが、毎回これでもかと難しい数学の問題をたくさん宿題に出してくれ、それを解く毎日がすごく楽しかったです。中学や高校で習うことにも無理して挑戦、挑戦、挑戦。それほど数学が面白かった、というのもありますが、僕のことを信頼し、応援してくれている大人がいる、ということは本当に嬉しかったです。
実際に、その先生の言ったように、僕は大学・大学院と理系の道に進みました。それ以降、経営の世界に入り、少し理系の道からは離れていますが、数学的、論理的に考えることは今も好きで、それはこの原体験があったからだと思います。
改めてふりかえってみて思いますが、才能は、自分ではなかなか気づきにくいものです。そこで、親や学校の先生以外で、信頼できる第三者の大人がいる、ということはとても大事だと思います。第三者だからこそ見えることがあるし、そういう大人の存在は子どもの自信に繋がります。
しかも、そういう大人がまわりに何人かいると、色んな視点に触れて、視野も広がります。その塾の先生以外で言うと、僕の場合、山に連れて行ってくれたり、色んな遊びを教えてくれた、親戚のおじさんの存在も大きかったなと思います。
ついつい、自分の子どもは自分で育てないとと気負ってしまいがちですが、ちょっと一歩引いて、子育てを誰かと一緒にシェアしてみる、地域でシェアしてみる、というのもいいかもしれませんね。a.school(エイスクール)でも、塾生の中高生達にとって、そういう「第三の場」になれるよう日々心がけています。
ということで、次回は、僕の人生の先生2人目、Star Warsでお馴染みのヨーダ先生のお話です。THE リアル社会に触れる、そんな体験。
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