断捨離が行き過ぎて家まで無くなった話。
2006年17歳の高校時代
世間では可能性の塊と言われている世代の中で、私は人生の最底辺にべたりとへばりついていました。
この当時、どれだけ大変な精神状態だったかというと、自販機で買ったばかりのコーラを憤りのない気持ちになって地面に投げつけるほどでした。
親も教師も友人も信じることが出来ない。1人で生きて行こうと決意しても身体が思うように動きません。気づけばわたしは対人恐怖症になっていました。
誰も助けてくれない。誰も信用出来ない。自分の身体も心も信用出来ない。この時わたしに唯一1本の細い光を私に差し伸べてくれたのが、競艇だったのです。17歳から悪友に勧められた競艇を始めました。
この競艇は、わたしに可能性という言葉を教えてくれました。そして高校時代の唯一の私の居場所でした。
しかし、そんな競艇生活もやはり上手くいきません。
2009年20歳の夏、ある時をきっかけにわたしの競艇人生は終わりを告げました。
その頃、1日12レースある競艇の1レースに賭ける金額は80000円を超えていました。元々理系だった私が作り上げた法則で運用していたお金が、私のたった一つのタイプエラーで崩れ去ったのです。
スマートフォンで舟券を買っていたのですが間違って3連単の数字を一つ打ち間違えたのです。
一瞬で貯金はゼロ円になりました。
それから、私は競艇を辞めました。
そう、いくらこれで稼げても一生続けることは出来ないだろう。
そんなことを冷静に考えていたことを今でも鮮明に覚えています。
そこからまた、一歩足を踏み出せば生と死をさまような状態に陥っていったのです。
そして、ゴンちゃんと出逢うのでした
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第3話 人を幸せにするということを考えたら180度人生が変わった話
誰かにとって憎たらしくて許せない人も誰かにとってはかけがえのない大切な人なの
だから大切な人を助けながら生きていきたいの
人の為になることは何でも仕事になるのよ
世の中にはお金なんていくらでもあるんだから必要なだけ集めればいいだけなの
それからわたしは、わたしにとって本当に必要なものは何か考えるようになりました。
ものを片付けることは、心を整理することに繋がりました。
着るか着ないか分からない服をもう着ることはありません。
なぜならば、本当に必要な服であれば着ているからです。
ゴンちゃんの部屋のように、本当に必要なものなんて実はほとんどないのだと知りました。
実は私にとって、必要じゃないものばかりを追いかけていた毎日。
自分がカッコいいと思うスタイルは、シンプルなスタイル。そして、スタイリッシュで安っぽくない感じがいい。
そんなことを考えていたら、たまに着る服が私を邪魔していたことに気づきました。
そうして断捨離を続けていった結果、私の家の荷物は半分に減りました。
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第4話ひとを大切にする。ゴンちゃんママの教え
時は経ち、
2010年大学4年生の12月 21歳 、大学を休学。
2008年から友人と事業として始めていた出版業の編集記者を続けながら、2009年新たな会社に入りました。
お客さんに商品の説明をして、ものを買ってもらう営業職。
お客さんとコミュニケーションを取るって難しいなあと思う日々。
そんな時にかかってきた電話。
周りにいてくれるひとの幸せを考えること。
わたしが行っていた競艇は、決して周りのひとを幸せに出来るものではありませんでした。
選手の方々がわたしを幸せにしてくれても、悔しいことにわたしは誰も幸せにすることが出来ていない。
この言葉の意味を信じて、お客さんの立場になって幸せを考えた結果、
東証上場1部の会社で全国1位の営業成績を獲得!
その後、英語を学ぶため会社を辞めて留学。この経験を友人、そのまた友人に伝えたいと思い、電子書籍を出版。
するとAmazonの部門別で2冊のベストセラーに。
書いた本を読んでくれた人が幸せになって、書いた人が幸せになる。
ひとに幸せをシェアすることによって起こる正の連鎖を教えてくれたのは、ゴンちゃんとゴンちゃんママでした。
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第5話 断捨離をしたら家まで無くなった話
ゴンちゃんとゴンちゃんママに影響を受けた私の荷物は
2013年には、ここまで減っていました。
そして、2013年の末には
著者の神谷 純平さんに人生相談を申込む
著者の神谷 純平さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます