壊された友情(13~14歳)
死にたくても死ねない絶望感を持ちながらも中学生になりました。
そんな僕にまた友達ができました。
中学校に入学して間もない頃です。
その友達は同じクラスの末広君。
末広君はいわゆる不良で、しかも不良グループのリーダー格です。
小学校が同じで、家が近所だったからなのか
向うから話しかけてくれたのです。
何度か末広君の家に遊びに行ったことがあるのですが、
末広君の家もまた複雑な家庭環境だったようです。
家のことを正直に話ししてくれた末広君に僕はたちまち心を開きました。
しかしそれは長く続くことはなく、父と継母によって壊されました。
ある日、末広君と僕が歩いているところを継母が父に告げ口をしたのがきっかけです。
『隆生が不良と歩いいると』と父に告げ口をしたようです。
父は自分が考えたレールの上を一歩も踏み外すことなく子どもに歩いて欲しかったのです。
そのレール上に”不良の友達は必要ない”
『ウチの子と二度と付き合うな!』と末広君の親に怒鳴り込んだそうです。
後に父が末広君の家に電話をかけていたことを知った僕は、
生まれて初めて父を怒鳴りました。
『なんでそんなことするのか?』と。
それを聞いた父は逆上し、また暴力が始まりました。
しまいに父は、包丁を持ち出しました。
『お前みたいな奴は殺してやる!』
恐怖を感じた僕は逃げるように家を飛び出しました。
でも一時保護所に入るまで長かった。。。
無条件に家に帰さ続ける僕はヤケクソで訴えました。
『家に帰ればアイツらに殺される・・・。どうしても家に帰すというなら人を殺して鑑別所に入ります。』
そう言ってようやく一時保護所に入ることができたのです。
とはいえ、一時保護所も結局は数週間で家に戻されてしまいます。
家に帰っても何一つ変わらない家庭環境に嫌気がさしてまたする家出をします。
そして一時保護所への入退所を数回繰り返した後に
最終的に児童養護施設に入れることになりました。
この時も必死の訴えでやっと入ることができたのです。
親が施設に入ることを頑なに拒否していたそうです。
金がかかるから嫌だ…と。
入所した児童養護施設は、住んでいた所から車で1時間程の山奥。
それまで住んでいた所には未練の欠片もありませんでした。
なにも失うものはないから。
施設に入るまでの間、学校にはほとんど行っていなかったので
授業には完全についていけなくなっていました。勉強は嫌いでした。
そして施設に入ってしばらくして僕は固く決意をしました。
『アイツ等(父と継母)に絶対に復讐してやる・・・絶対に殺してやる・・・弟の仇をとってやる!』
その固い決意こそが、この頃の僕の生きる糧となっていました。
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