潰瘍性大腸炎という難病になった人の話(中学生編)

●腹痛と下血と正露丸

 私が潰瘍性大腸炎と診断された時は中学校1年生の夏だった。今でも鮮明に覚えているのは、体調を壊した日の前日は毎年恒例のキャンプをしていたからだろう。毎夏、家族で北海道の洞爺湖へキャンプに行くのが家族の年間行事に含まれていた。テントを張り、炭をおこし、湖でエビ取りをして、そのエビをゆでて、塩胡椒を豪快にかけて鉄板で焼いて食べる。これがまた上手い。話を元に戻そう。そんな楽しいキャンプの翌日・・・・下痢をした。


 その時は昨日食べたエビに当たったぐらいしか考えてなかったので、とりあえず腹痛には正露丸というぐらいだったのでそれを2錠飲んで、その日は安静にしていた。2週間後・・・・腹痛と下血がする。「おかしい」。エビの殻が消化されず腸に刺さり血が出ているのかと思った。(今考えればそんなはずないのに)。腹があまりに痛く、食事をすると便意を催して何度も席を立ち、じいちゃんに「食事中にトイレに行くなんてはしたないことするな」と怒られた。なんなんだと思いつつ、とりあえずお腹が痛い時は正露丸なのでそれを今度は4錠飲んで安静にしていた。


 その3日後、めまいとふらつきがひどくソファーから立てなくなった。食欲も無い。食べたらすぐトイレに行くからである。正露丸はめまいとふらつきにも効くとは聞いた事がなかったので飲むのをやめた。そもそも正露丸が効かないのは最初からわかっていた気がする。ここでの教訓は正露丸を飲んでも治らない腹痛はすぐ病院にいくということだ。

 その後、父が心配して病院に車を走らせた。父さん、遅いよとか内心思ったが、とりあえずこれで治ると思っていた。そしたまた、大好きな焼き肉やラーメンが食べ放題だと。


 その当時、父はいつも私と妹に言っていたことがある。「人生はお前が考えてる通りにはならない」と。その通りである。



内視鏡検査の後・・・・・緊急入院


 医師の初見は後に私が約十年間つきあう事になる「潰瘍性大腸炎」であった。名前だけでださい病気だと思い、それでもこれといって病気にかかったことのなかった私は、どこかわくわくしていた。


 まぁ、治るしなぁ、入院もどんなもんか楽しみだなぁと楽観的にとらえていた。医者はその時、この病気は難病です。と言ったことも・・・・・


難病?治すのが難しいのかな?

それなら学校どのくらい休めるかなぁ


 なんて考えていたが甘かった。難病というのは一生「治らない病気」という意味であった。

 

●入院初日の夜

 入院の初日からステロイド「プレドニン」の大量投薬が点滴で始まった。その副作用なのか入院初日はまったく寝付けつことができず目が冴えてしまった。いや、単に副作用だけの問題ではなかった。


となりのベットにいる患者のいびきである。本当にうるさい。


 当時、大部屋と呼ばれた部屋は15畳ぐらいの広さがあった。そこに患者4人が入れられるので、すし詰め缶詰状態である。

 父のいびきもうるさかった。うるさいのに自覚がなく「いびきかいていたか?嘘つけー」などと剽軽なことをいうのだから始末が悪い。妹は怒って、父がいびきをかこうものなら洗濯バサミで鼻をつまんだ。・・・・・話が脱線した。


 とにかく、父のいびきの比ではなかったように感じた。きっと一人中学生が全く知らない大人に混じり病院で寝ていたからだろう、だから余計に神経が敏感になっていたのだ。ナースコールは押さず、深夜ナースステーションまで行き「いびきがうるさくて寝れないよ」と伝えたら看護師が空いている部屋を探し病室を変えてもらえた。そこでようやく寝る事ができた。やはり、いびきのせいだったのである。

 その時、私は初めて点滴棒なるものと生活をともにしていた。すごく邪魔である。寝る時もトイレもこいつといなければならず、寝返りをしようものなら点滴の管が体に巻き付いた。

 これは入院した人なら誰もが経験したことのある、言わば入院あるあるであろう。

●潰瘍性大腸炎

 ここで、潰瘍性大腸炎について説明しておこうと思う。

 潰瘍性大腸炎とは大腸に炎症が起こり、腸の粘膜が破壊され出血する病気である。症状は私の場合、最初に

下痢→正露丸→腹痛→正露丸→下血→腹痛悪化→貧血→搬送→検査→入院 

である。医者ではないのでかなりざっくり書いた。

 

 患者数は日本で14万人はいると言われている。そのため、そんなに特別な病気というわけでもないようだ。誰でもかかるので注意してもらいたい。間違っても腹痛が良くならないからといって正露丸の大量投与は避けるべきである。

 原因についてはわかっていないが、食の欧米化や過度のストレスでこうなると当時言われていたが、私が発病した時、私の食生活は食が欧米化なんかになっていなかったし、ストレスも感じた事など無かった。

 パン派ではなく白米派だったのだ。

 朝食には納豆、卵焼き、白米、みそ汁という「これぞ日本食」というものばかり食べていたし、洋食よりは中華が好きだった。

 

 ハンバーガーなどのファーストフードも食べないような家族なので食の欧米化ではまずないと断言できる。


 次はストレスだが、妹の誕生日に妹だけがプレゼントをもらっていたことに不満があったことぐらいでその他にストレスがかかったことはない。

 

 学校のテストの点数が悪く答案用紙を排水溝に捨てたら、後日、ばれて親にげんこつをはられ、怒られ、それを見ていた妹が軽蔑と同情のまなざしでこちらを見ていたことだろうか。その点で言えば多少のストレスは感じていたように思う。

 こんなことで難病になっていたら私のクラスの3分の1は大腸炎になっていただろう。全く不思議な話である。

次回投稿は11月5日(木曜日)です。

●絶食生活とお見舞いメロンパン

 翌日から絶食生活が始まった。食べなきゃ死ぬだろと思っていたが、不思議な事に空腹感はゼロである。どうやら人間の体は必要な栄養を血管から入れれば生きていける、ということをこの時知った。当時、高カロリー用の点滴は色が真っ白で牛乳か豆乳が入っているのではと本気で思ったりした。一日中、ベットの上での生活なのですることがなく暇である。緊急入院ということもあり、持ち物は着替えのみ。


 とりあえず寝るが、寝る事にも飽きるとよく考え事をしていた。その時はちょうど夏休みの終わりで、次の週から学校への登校日が迫っていた。医者にどのくらい入院するのか聞くと1ヶ月と言われ愕然としたが1ヶ月もベット生活はしたことがなかったので(そもそも病気にかからない)それはそれで楽しみな部分があった。


 ただ、気がかりだった事は、いつも登校途中で待ち合わせをしている友達がずっとそこで待っているのではないかということだ。


 当時、私は朝の学校が好きだった。誰もいない静かな教室を一人でいるとなんともいえない清々しい気持ちになるからである。しかし、私はいつも2番目に学校に到着する。隣のクラスの金森という男が毎朝、まだ学校の玄関の鍵が開くか開かないかというタイミングで登校するからである。詳しい時間は忘れたが毎朝7時とかそのぐらいだっただろうか。なんでこんなに朝早く学校に行くのか、意味がわからなかった。そのぐらいに学校に登校するのでクラスは別であったにしても生徒一人の学校という優越感には浸れなかった。しかも、こいつはのちに皆勤賞を果たすので風邪を期待しても無駄だった。私も頑張って6時に起きて、ばあちゃんと一緒の時間にご飯を食べ、朝まだ誰も登校していない中を一人学校へ向かった。そして、登校途中で金森と通学路が一緒になる場所があり、のちのち待ち合わせて行く事になった。そんなこともあってあいつは、1時間はないにしろ、30分ぐらいは待っていたら可哀想だと思いつつも、携帯なんてものはまだ普及してない時代なので連絡がとれない、連絡網の紙も、もらった日にどこかへ去ってしまいでどうしようもないのでまた寝た。


 夏休みが終わると友人や先生がお見舞いに来てくれた。最初は入院したことに驚いていたが、あまりにも私が元気に話すので「どこが病気なのか」と思った人さえいると思う。先生も入院の時ぐらいは勉強の話はしないでほしいのに宿題を律儀に友人に持たせ友人が持ってきてくれていた。何かあれば「病気だから」で切り抜けよう。私の悪知恵が開花した瞬間である。

 

 金森もよく見舞いに来てくれたが、お見舞いに来た最初の日、病状や現在の状況を説明し、絶食していると伝えた瞬間、金森は「それはしんどいな。なんか食べれればいいのになぁ」と言ってかばんから、近くのコンビニで買ったであろうメロンパンを俺の目の前で食べ始めた。今の話を聞いて俺の目の前でメロンパンを、しかも、絶食と言っているにも関わらず食べるのだからこいつは言った事を理解できないか、空気が読めないか、またはその両方である。それにあまりにもメロンパンの印象が強すぎた。メロンパンは、私が当時大好きな食べ物に入っていた。それを何も食えない俺の向かえで食べるのだからなんとも羨ましく、「こいつ馬鹿か」と思った。

 しかし、その後の何十回にわたる入院生活で絶食期間中皆が私の前で何かを食べるもしくは食べているようになった。それが面白くそれを思い出しては時々笑っている。だが、俺の目の前でメロンパンを食っていたのは後から思い出してみても金森だけである。そういった記憶は残りやすいものである。

 次回投稿は11月6日(金曜日)です。

すいません。金曜日と言っておきながらのびてしまいました。そして、またまた伸びます。

月曜日に永久ストマ(人口肛門)の手術が予定されていて、その為に入院しながら書かせてもらっているのですが、今現在体調が悪く痛み止めをうってなんとかなっています。

ですので、手術が終わり安定次第また書かせていただきます。


それでは失礼します。


 次回投稿未定







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