目刺学概説

■目刺の意義


 一般に目刺は、「イワシなどを数尾ずつ並べ、藁や竹串で目などを刺し連ねて干した食品」(新潮現代国語辞典)と定義される。「イワシなど」の文言によって、目刺は特定の魚類の干物を指す語ではないことは明らかであり、現に「きびなごの目刺」が某K県の干物屋で販売されている。


 しかしここで問題となるのは、材料即ちヒューレー或いはマテリアの問題ではなく、「目刺」の存在起源つまりアルケーの問題なのである。


 この存在起源については、次の三説がある。


i)一元的外在制約説

 第一の説は一元的外在制約説である。これは目刺という名称に着目し、魚の目に串を通し何尾か連ねた時点で既に外見は「目刺」であり、この串刺し作業の完了を以て目刺の存在を認める説である。しかしこの説に依れば、目刺を食べる際に串からはずした時点で目刺が目刺でなくなり、目刺しを食べるという行為自体を否定するものであるとの批判がある。


ii)内在・外在二元的制約説

 第二は内在・外在二元的制約説である。これは、目刺が目刺となるには、何尾かを連ねて目に串を通し、以て外見的にも目刺の形態をとりつつ、同時にそれを日干しにすることに依って水分を取り除き、当該魚内部に特定のアミノ酸が生成されることを要するという説である。しかし、外見上の基準はいいとしても、内在水分及びアミノ酸の客観基準を設けることが非常に困難であるために多くの批判を受けている。


iii)一元的内在制約説

 第三の説が一元的内在制約説であり、現在この説の立場をとる目刺学者が大半を占め、目刺学においても主流の説である。


 これはデカルトのア・プリオリ的発想とイギリス経験主義の折衷説であり、当該魚が串を通され、且つ日干しにされたという一連の経験を経ていれば、それは目刺に内在する存在の起源となり得るとする説である。そして当該魚の経験はまた、ア・プリオリ的に我々に目刺であることを認識させるのである。


■目刺の効果

 さて、言うまでもなく目刺は刑法及び刑事訴訟法を象徴的に表している。


 まず、これはどんなに鈍感な者でも気づくとは思うが、魚が次々に目を串刺しにされている外見は、かのハンムラピ法典の同態復讐法を象徴している。目には目を、という文言は自ずと浮かんでこよう。


 そして目刺は日干しにされる。つまり日に晒されるのである。これは晒し首同様、自らが刑に処させられた姿を白日の下に晒されるという刑法の見せしめ要素が象徴されているのである。


 一方、魚は魚であるというだけの理由において捕らわれ、串刺しにされ、日干しにされる。これは漁師がその過程を全て担う点において糾問主義を意味する。また、同態復讐及び見せしめという要素において、これは明らかに国家権力による刑事手続を表している。こうして目刺は、私讐・自力救済を禁じた一元的司法権を象徴しているのである。


■目刺の利用


 目刺が、否、目刺となる魚が身を以て伝えようとするダイイングメッセージは、以上のような壮大且つ厳粛なことなのである。


 この偉大なる目刺の冥福を祈ってつぶやいてみたいものだ。


「嗚呼、目刺、めざし」


※この文章は、同志社大学法学部法律学科に所属していた1997年~2001年のうち、おそらく前半で書いたものと記憶しています。刑事訴訟法の授業中にゴソゴソと書いていたように思います。


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