中学1年生が600万円を集めて母校を廃校から救おうとしている話

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著者: 松原 真倫

島根県津和野町にある人口300人の集落・左鐙


島根県の西端、山口県との県境にある人口8000人の町、津和野町。

この町に人口300人の左鐙という集落があります。


この小さな集落のシンボルとなっているのが、集落の中心部にある左鐙小学校です。

                                                                                   (左鐙小学校全景)

学校は島根県の名峰・安蔵寺山のふもとにあり、

目の前には、四季折々に様々な表情を見せる田んぼと、

水質日本一に選ばれた清流・高津川があります。


学校の入口には大きな石鳥居。

それをくぐると木造平屋建ての三角屋根の小さく、かわいらしい校舎が現れます。


校舎の脇には、地域の皆さんが手入れをしている美しい芝生の校庭があります。

この芝生の校庭は地域の人たちにも開かれていて、

毎年左鐙地区の運動会が行われ、多くの住民が集まります。

                             (運動会の様子)


左鐙地区は、島根ワーストのペースで人口減少が進む津和野町のなかで、

毎年移住者が来る活力ある地域です。

集落では赤ちゃんからお年寄りまで、世代を超えた交流があります。

運動会も、夏休みのラジオ体操も、地域のみんなで集まって行います。

移住者と昔から住んでいた方々との距離がとても近いのも、

この集落の特徴です。

                          (恒例のラジオ体操)


しかし、その左鐙でも集落の子どもはジワジワと減少を続け、

左鐙小学校の全校生徒は6人にまで減少してしまいました。


しかし、左鐙の人々は小学生の減少を逆手に取ろうと考えました。

「少人数だからこそ、ど田舎だからこそできる教育を突き詰めてやっていこう」


左鐙小学校を存続させ、都心の大規模校ではできない、

「地域全体で子どもを育てる」という教育の可能性を示したい。


集落の思いは1つになりました。


しかし、その集落の思いとは裏腹に、

津和野町は別の方針を検討していました。


町が出した「廃校宣告」


津和野町教育委員会が、初めて左鐙小学校の廃校の方針を示したのは2007年のことでした。


当時の左鐙小学校の児童数は10名。

7年後の2014年には1名になるという試算が出ていました。


「小学校を存続させ、この地域で子どもを育てたい」


左鐙の人々は、学校を存続させるため、様々な活動を始めました。

地域全体を巻きこんだ取り組みは、全国から子連れの移住者を引き寄せました。

7年前の予測では1名だった小学生は、現在は6名まで増えました。

地域の取り組みは実を結びつつありました。


しかし、そのなかで2014年9月、教育委員会は再び方針を示しました。


「2015年4月の時点で児童数が16名に近づく可能性がない場合、

左鐙小学校の廃校関連の条例案を議会へ提出する」


教育委員会が示した16名という基準に対して、

来年の生徒数は5名。


これは事実上の「廃校宣告」でした。


教育委員会には幾度も学校存続の要望を出し、折衝を重ねてきました。

その上で出された廃校という結論。

集落を重い空気が覆いました。


左鐙のポテンシャルを信じた民間企業


2012年から津和野町の地域活性化を始めた株式会社Founding Base。

この会社は、左鐙の教育の取り組みには大きなポテンシャルがあると考えていました。


具体的には、文部科学省が新学習指導要領で掲げた「生きる力」を育む環境として、

左鐙の教育が優れた事例になると考えていたのです。


1996年に当時の文部省が出した「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」には以下の記述があります。


「子どもたちに[生きる力]をはぐくむためには、 自然や社会の現実に触れる実際の体験が必要で あるということである。子どもたちは、具体的 な体験や事物との関わりをよりどころとして、感動したり、驚いたりしながら、「なぜ、どうして」 と考えを深める中で、実際の生活や社会、自然の 在り方を学んでいく」


「体験活動は、学校教育に おいても重視していくことはもちろんであるが、家庭や地 域社会での活動を通じてなされることが本来自然の姿であ り、かつ効果的であることから、これらの場での体験活動の機会を拡充していくことが切に望まれる。」


左鐙では、小学校を中心に家庭と地域が協力して、

子どもが体験活動を通じて自然や社会の現実に触れられる教育を行っています。


「まさに文部科学省が進める『生きる力を育む』実践が、この地域において行われているといえるのではないか」


こう考えたFounding Base代表の林賢司は、左鐙の教育プログラムを都会の小中学生にも体験させる機会を作ろうとしていました。


林は、親交のあった同志社中学校・高等学校の竹山幸男副校長に企画を持ちかけたところ、一気に話が進展。


2014年8月に同志社中学校の生徒を対象とした宿泊研修が実施されました。

3名の同志社中学校の生徒が左鐙を訪れ、

地域の住民や小中学生とともに自然体験プログラムを行い、

良い顔をして京都に帰っていきました。


しかし、同志社中学校の研修に手応えを感じてから、僅か一ヶ月後。

教育委員会の「廃校宣告」がありました。


最後の賭け「クラウドファンディング」


その後、Founding Baseは左鐙地区の会合に参加するようになりました。

目の前に迫った小学校廃校を回避するための方策を話し合うためです。


                                             (左鐙の集会にでるFounding Baseメンバー)


来年4月の生徒数を16人に近づけなければ、廃校は避けられません。

小学生を持つ子育て世帯を呼び込むことしか道は残されていませんでした。


幸いにも左鐙への移住を検討している家族はいました。

しかし、大きな問題がありました。


移住者を受け入れる家が左鐙にはなかったのです。


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