【えりも方式の衝撃】第4話

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第4話〔前代未聞の“襟裳方式”〕

 襟裳の砂漠化…事態を重く見た林野庁は1953年以降,治山事業を開始した。地元の漁師も協力した事業だった。

 まず行われたのは,草の種子を蒔くことだった。しかし砂漠化した襟裳岬に何度種子を蒔こうとも,どんなに大量に種子を投入しようとも,期待された成果が出ることはなかった。

 何度種子を蒔いても,すべて風で飛ばされてしまった。他の地域で育てた草を持ってきて植える〔張芝〕も効果を発揮することはできなかった。種子や張芝の上をよしずで覆っても,苗木を植えても,すぐに風で飛ばされてしまうのだ。今までの人間の行いを反省しても,時すでに遅しの感は拭えなかった。

 しかし行政と漁師の,粘り強い取組は遂にひとすじの光明を見出した。試行錯誤の末,1957年に前代未聞の緑化工法が編み出されたのだ。

 それは「えりも式緑化工法」と呼ばれた。その工法に欠かせなかったのは,なんと今までは見向きもされなかった物だった。それを活用することで,今までは困難だった,草を根付かせることができるようになったのだ。

 強風のために根付くことを許されない草たち。草を根付かせるためには,強風でその種子が飛ばされないような工夫が必要だった。しかし単純に種子をビニルなどで覆ってしまったのでは,その後の生育にリスクがつきまとう。最初はよく働くビニルも,しだいに厄介者になっていってしまうのだ。ビニルは決して自然環境に還元されないからだ。


 襟裳の海岸には,“ゴタ”と呼ばれる,雑海草群が多数打ち上げられていた。それは畑の肥料として使われているものだった。種子を蒔いたのち,“ゴタ”をそこに乗せたらどうだろうか,そういうアイディアを生み出したのは,漁師だったか,林野庁だったか。

 早速実験が始まった。慎重に蒔かれた種子の上を,“ゴタ”が覆う。“ゴタ”は酸性土壌である襟裳岬には欠かせない肥料として機能し,その湿り気は種子に適度な水分を与えた。また,その重さは,種子を守るのに最適だった。関係者は,今までにない手応えを感じていた。

(つづく)

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