【えりも方式の衝撃】第5話
第5話〔まだ,“なにもない”襟裳〕
「えりも式緑化工法」は3年間の試験期間を経て,本格的に導入された。ゴタは種子の飛散を防止するための重しとして,また肥料としての2つの役割を果たした。
この工法は,様々な副次的効果をもたらした。まずは合成肥料の使用量が削減された。そして,今まで最も手間が掛かっていたよしず設置の労力が省略された。しかもゴタを敷き詰めるだけなので費用が安く施行が簡単なため,緑化のスピードが飛躍的に向上した。
当時の襟裳では,漁師は瀕死の状態だった。魚が捕れないのだから当然だ。ゴタは漁協から一括して買い上げたため,魚介類水揚げ高の減少に悩まされていた漁師にとって,それは貴重な現金収入源となった。
ローテクよりもハイテクが優れているといった,それまでの価値観を根本から覆した〔えりも式緑化工法〕によって,今日のえりも治山事業の基礎が築かれ,1970年には当初の計画地192ヘクタールの,草による緑化が完了した。
しかし,襟裳の緑化は完成したわけではなかった。草による緑化が済んだとはいえ,土中深くにまで力がみなぎっているわけではなかった。草は,根の長さも寿命も短かった。今までの失敗を乗り越え,草の上に樹木を育てることができなければ,襟裳を取り戻したとはいえないのだ。
長年の苦労からくる疲労が,漁師たちに蓄積していた。そして経済的にも困窮を極めていったのだ。そんなおり,森進一に
「何もない春」
と歌われたものだから,漁師たちのいらだちは爆発してしまったのだ。
たしかに襟裳には,何もなかった。他所から運び込んだ草たちはたしかに根付いた。しかし,豊かな海は戻ってきてはいなかった。魚も海鳥も,どこにいったのやら,ついぞその姿を見かけることはなくなったままだったのだ。
昔,襟裳の海に漕ぎだした漁師は,櫓にまとわりつくコンブに閉口したものだった。それが今では,まったく抵抗感がない。漕ぎやすくなってしまった櫓を寂しげに見つめる漁師の姿が,あちらこちらで見られたという。
襟裳の春を取り戻すためには,どうしても樹木による緑化が必要だったのだ。
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