【えりも方式の衝撃】第6話

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第6話〔襟裳に戻ってきたもの〕

 少し時間を遡るが,草以外にも1954年より樹木の植栽を行ってきたのだが,襟裳は全国的にもまれに見る強風地帯であることや,夏は濃霧に覆われるため日照が不足しがちであること,冬季は積雪が少ないため苗が強風にさらされやすいこと等の過酷な条件により,なかなか樹木が順調に生育しなかったのだ。

 また,当時の北海道では海岸緑化の成功例が無く,襟裳という場所に適した樹木や育て方などが確立していなかったため,樹木による緑化を中断し,上述のように草による緑化を優先させるとともに,その間に技術開発に努めた。

 それはまるで,難病と戦う患者に対して,根本的な治療を始められるように,まずは体力を回復させるという対処のようでもあった。

 そして草による緑化が果たされ,襟裳に“体力が戻っ”た頃合を見て,ついに1971年からは本格的に植栽が再開された。

 試行錯誤の結果,植える樹種はクロマツを中心として,広葉樹のカシワ,アキグミ,イタチハギ等を組み合わせることとなった。

 クロマツは北海道の在来樹種ではないが,潮風に強いことが知られており、本州から取り寄せることとしたのだ。

 草による緑化に負けず,これまでの工法を見直し,樹木による緑化でも襟裳独自の工法を次々と開発した。

 冬の凍上対策として排水溝を張り巡らすこととした。防風対策として,防風垣の効果をあらためて分析し,従来のような海岸線及び地形に沿って平行に置く方法から,最も厳しい北東からの風に耐えるように間隔や向きを改良して升目状に設置するように改めた。

 また,半永久的な防風土塁(高さ1.5m)を設置した。

 1976年からは,広い荒廃地の早期緑化を進めるため,幅50m,長さ150~400mの団地状植栽地を空閑地と交互に設置する「ベルトユニット工法」を導入した。

 また、防風垣の耐久性を向上させるため,1985年に北海道大学の東教授によって開発されたカラマツ防風堆雪柵(ハードルフェンス)が導入された。これは,カラマツの間伐材を活用するもので,耐久性が高く補修が不要,また移動して再使用することも可能というすぐれものだった。

 これの最大の特徴は雪の吹きだまりを作る効果で,苗木が雪に覆われることによって厳しい冬を乗り越えることができた。襟裳の積雪量の少なさを克服したのである。


 これらの技術開発・改良により,1999年度末で,荒廃地面積のほぼ89%にあたる170ヘクタールの樹木による緑化が終了した。

 襟裳に緑が戻ってきたのだ。襟裳の海に繰り出す漁師の船はコンブのおかげで立往生した。それまで何処かへ姿をくらましていた海鳥たちが帰ってきた日,漁師や,漁師のおかみさんたちは声を上げて泣いたという。

 その後,襟裳自身の持つ力により,事業開始から約半世紀後の2009年度末には,183ヘクタールの森林を形成するに至っている。

 緑豊かな大地が人間の行為により砂漠化し,人間の手によって再生された一連の経緯は多くの人の知るところとなった。

 緑化の物語は,NHKの番組『プロジェクトX』でも取り上げられた(2001年3月放送)。

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