17二年振り 【息子たちに 広升勲(デジタル版)】
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この話は、わたくしの父が1980年に自費出版で、自分と兄の二人に書いた本です。
五反田で起業し、36で書いた本を読んで育った、息子が奇しくも36歳に、
五反田にオフィスを構えるfreeeの本を書かせていただくという、偶然に五反田つながり 笑
そして、息子にもまた子供ができて、色々なものを伝えていければいいなと思っています。 息子 健生
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二年振り
上野駅からの帰路、父さんは母ちゃんを本部に連れて来た。
母ちゃんはまる二年振りにみんなの会に来たのである。
母ちゃんがみんなの会に参加していた頃は五反田駅前の貸ビルの二部屋が本部だった。活動はしていたが財産らしいものは何もなかった。
二年の間に、勇者の園一号館・二号館・三号館と施設ができ、入園老人も六人となったそのことは会報を読んで知ってはいた。しかし、見るのははじめてであった。
「二年の間に社会福祉事業らしくなったのね、大きくなったのね」と母ちゃんは安心したらしかった。
その日、入園しているおばあちゃん達一人一人に母ちゃんを紹介してあるいた。
「惚れられて困ったあげく結婚することに決めました」と紹介した。
「すぐに都合のいいようにいうんだから」
母ちゃんは大声で笑いながらついて来た。
父さんと母ちゃんの姿を見て、
「見ちゃあいられない、まいったまいった」とよくからかわれた。
それは二人にとって幸福な青春の一ページだった。
その後は、あう人ごとに「結婚します。親のゆるしはまだもらっていませんが」といいつづけたのだよ。
父さんの強さを見直したの
上野駅でおじいちゃん達を見送ったあと、父さんに連れられて、二年振りにみんなの会を訪ねたの。
母ちゃんが活動していたころは、五反田の貸ビルの一室だけしかなかったのに、小さいけれど勇者の園、一・二・三号館ができていた。
父さんは、それらを得意げに案内してくれて、在園している六人のおとしよりをも紹介してくれたの。
会報や、うわさでは、勇者の園を建てたことを知っていたけど、自分の目で確かめると実感もひとしおだったわ。
母ちゃんがまだ学生の頃、父さんは、九億八千五百万円の十階建のホームを建てるんだといっていたの。夢のようにもホラのようにもきこえ、まさか本当に建つことはあるまい、と思っていたのに、たしかに小規模ながらホームができ、おとしよりも在園しておられる。
ゆめを捨てないでコツコツ実践活動を続けていると、ゆめは実現するものなんだわ、と思うと、やるといったら必ずやりとげる父さんの強さを見なおしたの。
父さんと一緒に長いみちのりを歩んでゆこう、と再び決心したわ。何だかとてもうきうき楽しかった。その時、父さんは、在国しているおとしよりに、
「まだ親は許してくれていないのですが、結婚しようと思っています。あまりにも熱心に彼女が私に惚れてくれるものですから」と好き勝手なことを言ってたわよ。
その夜、職員の川村洋史おじさんにもはじめてあったの。電話では何度かお話をしていたのだけど、もっとごつい人かと思っていたのだけど、スマートでとても気さくな人柄に大安心。
その時川村おじさんが手料理をごちそうして下さり、みんなで食事をしたの。
その日が、父さんと母ちゃんのことを公開した日なの。それからのことはかくすことは何もないわ。
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