【Part 2】 「26歳、職ナシ、彼女ナシ、実家暮らし男子が、とりあえず、統合失調症になってみた。」~トラウマの源流は三歳から~

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 自分は、本気で女子に手をあげそうになったが、思いとどまった。


 翌日、自分は、急性の胃潰瘍になった。


 「不良グループに喧嘩を売ってしまった」=「殺される」と、本気で思っていたからだ。


 なんとか、胃薬を飲みながら高校に通うものの、一度イジメのターゲットにされれば、あとは地獄へ真っ逆さま。


 背丈が同じで、同じメガネをかけている親友と並んで歩いているだけで、


 「おい、三つ子!おい!!三つ子!!」


と、からかわれていたりした。自分は、その怒りを直接ぶつけることが出来ず、教室に戻り、ポケットに入ってあった、目薬を地面に叩きつけることしかできなかった。強烈な薬品のにおいと、強烈な白い目で見られている感覚もあったが、怒りでどうしようもない状況だった。


 でも、本当の地獄は、ここからだった。






・父親の死


 2004年1月31日。父・桑原只司(くわばら・ただじ)が、心筋梗塞で急逝した。


自分が急性の胃潰瘍になる前の事だ。


 自分には五つ年の離れた兄がいる。


 その兄に、自分は前歯を殴られた。中学校二年生の時である。


 真っ白だった布団のシーツが、歯からこぼれる鮮血で赤く染まり、痛さのあまり、言葉にならなかった。そんな父が、車で病院まで自分を運びながら、


 「かずや、ごめんな。かずや。ごめんなぁ。」


 と、繰り返し言っていた事を思い出す。


 歯の方は、幸い、根元まで折れておらず、神経がすべて死んでいるだけで済んだ。一年間、日赤の歯科医にかかり、一本一本、一時間かけて、歯の神経を抜いていった。


 おかげで、アイスを食べるとき、前歯が冷たくならないので、便利になった。


 父親には、何度も助けてもらっていた。兄が二階から奇声をあげて、自分を殺しにかかったとき、自分は家から飛び降りた。自分の家の一階は、高さが五メートルほどある。しかし、飛び下りなければ、兄に殺される。


 判断に迷いはなかった。


 幸い、雪が積もっていたため、それがクッションとなり、肩まで雪が埋まった形になった。しかし、叫び続ける兄から逃げようと思い、必死に雪をかき分け、一〇〇メートルほど、雪の間をかき分けて歩いた。


 その時も、父親が自分をいち早く発見してくれ、抱きしめてくれた。


 あとは、兄が包丁を持って自分を殺そうとしたときも、母親が包丁を持った兄を制止し、父は自分を守ってくれた。


 そんな父の仕事終わりの後姿を見る事があった。


 「お父さん!」


 と、叫んでいれば。


 ある日、父親が「ただいま!」と言ってくれたのに対し、


 「おかえり!」


 と、言ってあげていれば。


 父の「ただいま!」を最後に聴いたのは、2004年1月30日である。


 そう。自分が「ただいま!」を無視した翌日、父は心筋梗塞で亡くなった。


 断末魔のように泣き叫んだ。


 会う人会う人に、自分は「かわいそうな人間だ」と、言いふらしまくっていた。そうしないと、精神の安定が保てなかった。自分が16歳の誕生日を迎える約2か月前の出来事だった。


 そして、この父の死が、統合失調症の引き金を引いた。






・心療内科から、精神科へ。~心療内科と精神科の違いについて~


 父の納骨が終わり、家に骨壷が置かれるようになった。


 それを見て、自分は、


 「お骨が呼んでいる!!お骨が呼んでいる!!!」


 と、妄言を吐くようになった。徐々に家で叫んだり、大暴れする回数が多くなっていった。とてもじゃないが、学校に行ける状態ではなかった。


 自分は、近所の心療内科へ親に連れられて行った。しかし、そこに連れて行かれた記憶が、まるで無いのだ。


 障害基礎年金をもらうため、初診した証明書をもらう時に、その病院に通っていた事を思い知ったぐらいだ。


 そこまで、自分の病状は悪化の一途をたどっていた。


 紹介されたのが、自分も今もなお通っている、「柏崎厚生病院」である。そこで、一発で「急性期科」と呼ばれる、自宅にいるのが困難な患者を収容する施設に入院する事になった。


 そこでの生活は、あまり覚えていない。


 しかし、「うつ病の人は、性欲が無くなる」と聞いた事があったため、「射精すれば、退院できるかも」と、バカな考えを持って、生活をしていた。


 布団で事を済まし、ゴミ箱にそのティッシュを捨てる。そのティッシュを見た看護士さんの女性の怪訝そうな顔は、今も忘れない。


 そんなこともあってか、1週間ほどで、急性期科、精神病棟を退院する事が出来た。


 平成16年7月中旬の事である。


 


 追記・心療内科は、心をほぐす、マッサージのようなところ、精神科は、心にメスを入れて、本格的に治療をするところ。と、判別して頂けたら、幸いです。






・27時間テレビがテレビが見たくて、精神病棟を退院した。


 自分が、どうしても退院したかった理由に、「27時間テレビ番組を見る」と言うのがあった。


 2004年のその番組の司会は、SMAPの中居正広と、ナインティナインの合計3人だった。


 自分は、それを27時間ちゃんと見たくて、退院を希望した。


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