過酷な徒歩教習、地獄のバス教習 〜青春の京都学生ガイドクラブ〜

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室内教習と平行して、京都の町を自分の足で歩いて道を覚えて、観光地での案内の仕方を覚える「徒歩教習」が始まりました。


初回の徒歩教習は、東本願寺からスタートして、ひたすら堀川通を北に向かって歩きました。歩きながら、道の左右に何が見えるか、案内するべき対象物は何か、対象物の手前にある目印は何か、ということをノートにつけて覚えていきます。


バスの車内での案内時は、話をしてからお客さまが首を動かしてそちらの方を見られるまで、若干のタイムラグがあります。


だから、絶対に見逃してほしくないものについては、少し前から案内の準備をしておくのです。


ですから「◯◯が見えたら次に●●がある」という風に、「事前の目印→対象物」をセットで覚えます。もちろん、道を逆行する時には、反対側から見える目印が必要になるので、それも合わせて覚えます。


車だと一瞬で通り過ぎてしまう風景も、歩けばゆっくり見られます。


でも、なんせ初めてのこと。風景を見て楽しむ余裕などなく、先輩の指導の声におびえながら、メモを取りながら、ひたすら歩きました。徒歩教習初日、歩いた距離はおよそ6km。よく歩きましたね〜。


実はその日の夜、わたしは体調を崩して寝込んでしまいました。


「体力がもたなくて、教習についていけなかったら…ガイドになれない!どうしよう…。」と、次の徒歩教習までの日々をビクビクしながら過ごしました。


が、次の徒歩教習では、体が慣れたのか、楽に歩くことができたのです。「できる!」と自信を持つことができた…というわけで、無事にその後も教習を受け続けることができたのです。


バスガイドにつきものと言えば、観光地での説明です。わたしたちは下車説明、略して下車説(げしゃせつ)と呼んでいました。


下車して観光するメジャーな場所は決まっているので、あらかじめ集中的に覚えます。


最初に覚えたのは、徒歩教習でも最初に訪れた東本願寺。ここが最初の超難関でした。


お寺の説明をする場合は、建物の説明をする前に歴史の説明から入ります。東本願寺の場合は、親鸞上人の生涯から始まって、寺の創建までの歴史を話すのですが、年号(当然、元号と西暦を一緒に覚えます。)やら人名やら、覚えにくいことこの上ないのです。


歴史が終わったら、建物の説明に入るのですが、東本願寺は大きいので、その大きさを表現するのに、やたら数字が出てきます。


下車説は、教習を受けている新人が一人ずつ先輩の前で行います。もう、緊張して足はガタガタ、声も震えます。大きな声が出ていないと、容赦なくダメ出しです。


また、数字や人名、一つでも間違えたら、容赦なくやり直し!!資料を盗み見ることなど許されず、すべて頭の中に入れておく必要がありました。


徒歩教習の際には、ルート上にある有名観光地ごとに、下車説の練習があったので、毎回ビクビクでした。下車説練習で、詰まって立ち往生してしまうと、「お客さまの前だったらどうするんだ!!」と先輩から怒号が飛びました。


この厳しい教習についていけず、脱落者は何人も出ましたが、わたしはなんとかついていきました。


夏休みに入るまでの期間、週3回の室内教習と、毎週日曜日の徒歩教習をこなしていきました。室内教習では、京都が終わると、次は奈良、大阪…と、観光コースに入っているところを順番に学んでいきました。


徒歩教習では、京都市内をくまなく歩き、周囲の風景と下車地の現地知識を頭に叩き込みました。


そして、いよいよ夏休み。バス教習が始まりました。


バス教習とは、ガイドの仕事でお世話になっている地元のバス会社さんにバスを出していただき、実際の観光コースに沿って回り、車内でのガイドと下車説の練習をするのです。全部で10日間ほどやったでしょうか。


これが最後の超難関。どんなに知識があっても、話がうまくても、バスの中できちんと「ガイド」できなければ話になりません。ですから、このバス教習は、教習生が「学生ガイド」としてひとり立ちするための、最後の関門でした。


バスに乗っていると、次から次へと、案内対象が見えてきます。


バスは、京都市内のメジャーな観光地を回るゴールデンコースを走っていきます。慣れたガイドであれば、まったくネタに困らないルートなので、あっという間に時間が過ぎていくくらいなのですが……。ひよっこ教習生は、オロオロするばかり。


対象物の目印は見落とす、覚えていたはずの数字が出てこなくて沈黙、即、先輩からの怒号が飛びます!


慌てて、頭が真っ白のまま話したら「何言っているのか、わからん!」「お客さまに失礼だろう〜!」と、また先輩からの怒鳴り声!


仲間が話している時に注意されたポイントは、次に自分の時に間違えないようにしないといけませんし、車窓から見える風景と案内のタイミングを覚えないといけませんし…。


一瞬たりとも気を抜くことはできない、過酷な時間でした。


このバス教習では、たくさんの思い出があります。


当時、わたしは大学の寮に入っていたので、夏休みは寮は休みでした。そのため、バス教習中は、同じ教習仲間のアパートで、もう1人の寮生と3人で教習期間は合宿生活を送りました。


朝早く出かけて一日教習を受けてヘトヘトになって帰って……。の繰り返し。仲間がいたから乗り切れたのかなと思います。この時一緒に教習を乗り越えた2人は、卒業して25年以上たった今でも時々会って旧交を深めています。


バス教習では、京都を離れて奈良や大阪にも行きました。


徒歩教習での路線確認(歩いて対象物を確認すること)は京都だけなので、奈良や大阪はバスの車中からの確認になります。これももう、大変!マイクを通して聞こえてくる、先輩の流れるようなガイドを聞きながら、必死でノートにメモるのです。


大阪の環状線をくるくる回って、次々見えてくる高層ビルを紹介する流れるような先輩のガイドを聞いた時は、本当に感動しました。この時聞いた先輩のガイドのリズムは、自分のガイドのリズムを作るときにとても参考になったものです。


やっかいなコースもありました。


京都奈良の「王道」観光コースでは、必ず京都・奈良間を移動しなければならないのですが、この、京都〜奈良間の国道24号線は、魔のルートでした。


当時は有料道路がなかったので、京都から奈良に行くには、この道を通るしかなかったのですが……。本当に苦行でしたね。京都奈良の県境あたり、特に対象物もなく、延々と田舎道が続く区間があります。道もあまり良くなく、しばしば渋滞も起こりました。


何もないところで渋滞!! そうなると……。ひよっこ教習生は、もうお手上げです。何を話していいのかわからないのです。しばし、沈黙。対象物(らしきもの)が近づいてくれば、必死でタイミングを合わせて紹介しますが、過ぎてしまえば、また沈黙……。


このような区間、実は、対象物がないならないで、自由な話ができるものなのです。


歴史の話、食べ物の話、お土産の話、京ことばの話、等。京都市内を走っている時はサラッと済ませるような話もコッテリ話せるものです。


例えば、3回生の時、京都の大原(京都の北の端)の旅館から、奈良の室生寺〜長谷寺〜談山神社(奈良の南の端)を回り、全く同じ道で大原の旅館に戻るというコースをやったことがあります。


片道3時間くらいの道のりを往復同じコースなんて、ひよっこガイドだったら発狂しそうになるのですが、当時、すでに100台以上の乗務をこなし、すでにベテランの域に達していたわたし(笑)は、綿密に計画を立てました。


往復同じコースとはいえ、同じ話はできないので、路線の案内の話は帰りにとっておいて、行きは、大原にちなんで、平家物語(大原御幸)の話をさせていただきました。この時、休憩のサービスエリアで、ひとりのお客さまにわたしの話をほめていただき、握手を求められたのも、いい思い出です。


その他、時にはクイズをやったり、歌を歌ったり。慣れてくると、そんな時間もお客さまと一緒に楽しめるようになるのですが、教習生にとっては、そんなの夢のまた夢。その域に達することができるのは、ずいぶん先の話でした。

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