小学校教員が安定した職を捨て、家族を日本に残し、発展開発国に単身赴任した話(3)

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都会の学校で感じた違和感……

娘が高校3年生になる年に

私は3校目の学校に転勤になります。


それまで田舎の小さな学校しか知らなかった私にとって、

3校目の都会の学校は未知の世界。

好奇心旺盛な私はワクワクしながら

高学年の担任を担当しました。


子どもたちは田舎も都会も同じ。


高学年になると

それぞれ思春期特有の悩みをもつようになるし、

親御さんの心配事も増えていきます。


けれども、それとは別に私が感じた違和感がありました。


この地域は医大や大きな病院がある地域で

それに関わる家庭も多かったのですが、

一方で雇用促進住宅なるものがあり、

その生活の格差は大きなものがありました。


毎日、学習塾や習い事でいっぱいいっぱい、

疲れきった顔をしている子どもがいるかと思えば、

毎日同じ服を着て来て、

給食が唯一の食事のようにガツガツ食べる子……

40人近い受け持ちの子どもたちの

環境の差が激しすぎるのです。


裕福な家庭の子にも心配なことはありましたが、

比較的教養のある親御さんたちでしたし、

生きていくのには問題がありませんでした。


でも、親御さんが不仲だったり、

仕事に就いていなかったりして、

日常の生活が心配な子たちがいました。


けれども、そういう子たちの家に足繁く通うことは、

学校で厳しく止められました。


「あの家庭ばかりひいきしている」と言われる、

家庭の事情に深入りしてはいけない、

あなたが細やかにやると自分たちもやらざるを得なくなる……。


学校ではますます書類仕事が増え、

子どもたちと接する時間を奪われていきました。


私は子どもが好きで、

日本の将来を担う子どもたちに

色々なことを教えたくて教師になったのに、

教えたいことも制限され文科省の言うなり、

子どもたちと遊べる時間も書類作成、

授業に関しては管理が年々厳しくなり、

私は何のために教員になったのだろうという

悩みが大きくなります。


モンスターペアレントと呼ばれる保護者が出てきたのもこの頃。


同僚の中にはうつ病で休む教師も見られ、

学校全体が疲れている感じがして、

陰鬱な雰囲気が漂っていました。


私はこういうのが大嫌い。


この頃から私は

教員を辞めたいと思い始めました。





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小学校教員が安定した職を捨て、家族を日本に残し、発展開発国に単身赴任した話(4)

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