あの日をさかいに人生が変わってしまったこと。ニューヨークが教えてくれた自分を信じる力。
あの日をさかいに人生が変わってしまった。
ニューヨークの人々にとってあの日とは9・11だ。
私もあの日から人生が大きく変わった。
私はテロの当時、ニューヨークのソーホーで事務所を構えていた。
この頃は事業に失敗し、多額の借金を背負っていた。今だから言える事だが、テロ後まもない頃、事務所の家賃が払えずにいた・・・。
そんな日々がたたり、鬱病になった。寝つきの悪い日が続いた。一度寝ると朝はなかなか目覚めることができなかった。
ある朝、若い女性社員から一本の電話がかかってきた。
「社長、マーシャル(保安官)が来て今すぐ、事務所を立ち退けと言われています」
マーシャルたちは有無を言わせぬ態度で、家賃未納を理由に事務所の鍵を取り付けなおした。そして当時十数名いた社員達は強制退去させられてしまった。かろうじて機転を利かせた社員が会社のデータのバックアップCDを持って出た。
ビジネスホームレスとなる
1時間後、私は社員達と会社の下のコーヒーショップでおち合った。社員達の眼差しが私を軽蔑しているように感じて痛かった。
「これから、どうするんですか」
社員たちに詰め寄られた。情けないやら悔しいやらで涙すらでなかった。頭の中は真っ白で、どうしたらいいかなど考えられない。
数日間はビジネスホームレス状態となった。しかし、なんとかなけ無しの金でワンルームの小さなアパートを借りることができた。
しかし、奇跡的に保護したデータのバックアップCDは、追い出されたその日にコーヒーショップで置き引きにあうという不幸が重なり、結局いちからのやり直しとなった。
気がつけばいつも死に場所を探していた
テロ以前私は、数億単位の資本金を調達し、ベンチャー起業家として華々しくやっていた。「今ドキのミリオネア―」などと度々メディアで紹介されていた。
しかし、そんな自分ともお別れだと思い、足に会社のロゴのタトゥーをいれたりした。起業家であった自分と決別する思いだった。
気がつけばいつも死に場所を探していた。自暴自棄と引きこもり。人目につくのを極端に恐がり、外出時に帽子とサングラスは必携。人目につくようなことは決してしなかった。
毎日のように夜逃げを考えていた
そんな失意のさなか、とても人を応援できる立場ではなかったが、9・11をきっかけに「NY異業種交流会(www.igyoshu.com)を開催するようになった。矛盾しているようだが「頑張る日本人を応援する」という名目で始めた交流会が逆に私を支えていたように思う。
毎日のように夜逃げを考えていた私は、交流会の度に「今回が自分のお別れ会だ」と思って続けていた。それが今回で139回を数える。
異国の地でこのような会をコンスタントに継続するのは大変だった。爆破事件、大雪などの事故や天災で人の出足が極端に減ることもあった。
開催する側の私自身も、大事な存在と死別し、涙で目を腫らしサングラスをかけて参加した時もあった。
それでも何があろうと一度も欠かさずに毎月開催することを続けてきた。
ゴールが何かを描いたわけではなく、続けていけば必ず何かが見えるだろうという思いが私を動かしていた。

東京NY異業種交流会:www.igyoshu.com/jp
結果を求めず、ただ無心に
そのような状況の中で、私はこんな考え方を身に着けた。「何も考えないで気楽にやろう。自分のことだけ考えて、流れに身を任せればいい」。
何かをやろうとか、無理に変えようとか思わないで、自分の気持ちが楽になることだけ、好きなことを適当に、いい加減にやってみよう。
先を不安がることはやめて、結果を求めない。
ただ無心に今の事を続け、嫌なことはやめる。
頑張りはいらないから、今をいい加減にでも継続だけさせればいい。
先に何があるかということは考えない。そして、自分に無理せず、焦らずと言い聞かせた。
行き詰まった時の精神的な落ち込みは、頑張ってきた分の反動だと考えるようにした。
私だけではなく、ほとんどのニューヨーカー達はあの日をさかいに人生を転換させられたに違いない。
皆それぞれの心の行く先を模索し、何かをつかんでいった。
やっていることに不安を持たずに、自分を信じる。
先に何があるかは分からないが、ただ無心に今のことを続けることの意外な大切さ。
テロをきっかけにつかんだことだ。
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