【私の思い出たち】〔第五話〕

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言葉が存在を規定する

自作脚本に込めた願い

 17年ほど前のお話。当時私は3年生の担任(3年生担任が多い)だった。当時の学級はちょっと難しさを抱えていた。私は子どもたちに,“自分のことは自分でする”人間になってほしかった。“自分の気持ちをまっすぐに話すことのできる”人間にも成長してほしかった。

 その年の学芸会は,私が脚本を作ることになった。私は願いを込めて書いた。人間は,自分の発した言葉に縛られる。セリフをしっかり言うことで,子どもたちの心を育てたかったのだ。


 題名は『冒険者たち』…テレビアニメで有名になった,いわゆる『ガンバの冒険』だ。恐ろしいイタチの集団に立ち向かう,勇気ある野ネズミたちの物語。冒頭部分に,イタチと対決するのに尻込みする仲間達に対して,ガンバが言うセリフがある。


「おれはさっき,お前達の歌ううたを聴いた。素晴らしい気分だった。ネズミはみんなで1つだ。町のネズミだって,港のネズミだって。心からそう思えた。なのになんだい。こいつは俺達を頼ってきてくれたんだぜ。イタチがなんだっていうんだ。仲間が助けてくれっていうのに,しっぽを巻いて逃げるのか! 怖いやつは勝手にしろ! おれは1人でも行く!」


 また,イタチに妻と子どもを食べられたオオミズナギドリが動揺して逃げ出そうとしている時にみんなに檄を飛ばすボスには,こんなセリフを用意した。



「お前達は恥ずかしくないのか!俺達は今日,2つの宝を奪われた。妻は現在の宝だった。やがて生まれてくる子どもたちは,未来の宝だった。今と未来を奪われて,一体俺達には,何が残されているというのだ!」


変わる子どもたち

 この2つのセリフの担当になった子どもたちは,相当苦労した。言い回しが難しい上に,長ぜりふだ。それこそ何百回も練習した。家のトイレの中でも練習していて,その怒鳴り声がお母さんを驚かせるということまであったという。

 それゆえに,セリフが言えるようになる頃には,風格が漂ってきた。演技全般にも自信を持って臨むことができた。言葉が彼らを育てたのだ。


 それを見て,周囲の子どもたちも変わっていった。たったひとことのセリフの意味を考える。どういう風に表現するべきか,歩きながらいうべきか,歩いていて立ち止まり,一呼吸置いてから話した方がいいのではないかなどなど。最初は私の脚本の言い回しが難しいと注文をつけていた先輩教員たちも納得してくれた。


 学芸会は大成功だった。そしてこの子たちは翌年,大作『ぞうれっしゃがやってきた!』に挑むことになる。

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