雑誌を作っていたころ(47)

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軽自動車バイヤーズガイド


「ドリブ」の一時期、ぼくはクルマ担当記者だった。クルマ担当の机には、毎日のように自動車メーカーや関連業界各社からのニュースリリースが届く。うっかり開封するのをさぼると、すぐ山になる。

 ニュースリリースに混じって送られてくるのが「新車発表会のお知らせ」と「試乗会招待状」だ。発表会はたいてい都内のホテルなどで開催されるので数時間あればいいが、問題は試乗会だ。

 山中湖、箱根、御殿場、木更津といった近郊のホテルや施設を借りて行われる試乗会は、文字通り1日仕事。モーターショーの前数カ月は、「午前中が三菱で御殿場、午後はマツダで箱根」といった混み具合になる。一番忙しかったときには、1日で3つの試乗会をかけもちした。


 そんな世界から足を洗って10年、「またクルマがやりたいなあ」という気持ちが湧いてきた。知人の自動車評論家、園部裕氏に相談すると、「バイヤーズガイドがいい」と言う。マニア向けの自動車趣味誌ではなく、普通の道具としての機能や使い心地を横並びでレポートするものだ。

 さっそく「開業マガジン」を出してもらっているバウハウスの山崎社長に話をした。すると「広告が取れるなら、やってもいい」と許可が出た。出版元はバウハウスではなく、系列の英知出版に決まった。

 それからは忙しかった。園部氏と2人で毎晩のように企画会議だ。クルマのバイヤーズガイドといっても、ぼくらには定期刊行物としての自動車情報誌がないから、ゼロからすべてを取材しなければならない。何をテーマに始めるのがいいのか。議論は尽きなかった。


「軽自動車がいい」と言ったのは、たぶん園部さんだったろう。庶民派のベテラン自動車評論家として著名な園部さんは、かねてから日本の軽自動車の実力を高く評価しており、自動車専門誌が無視もしくは軽視するのを残念に思っていた。

 タイミングもよかった。1949年の運輸省令によって誕生した軽自動車は、1954年の規格改定で360cc、長さ3m、幅1.3m、高さ2mという国民車サイズとなり、長くその大きさで親しまれていたが、その後何度かの改定を経て、1998年つまりこの本を出す前年に大きな改定を迎えたばかりだった。


 平成10年の改定は、おもに衝突安全のために軽自動車のボディ枠を拡大するものだった。それにより、エンジン排気量は660ccに、高さは2mに据え置かれたが、長さは3.4m、幅は1.48mと拡大した。これは1960年代のコロナやブルーバードとほぼ同じサイズである。

 軽自動車メーカー各社は、この改定を受けて全力で新車を投入していた。だから、そこをターゲットにすれば本も売りやすいし、広告も取りやすいというわけだ。実際、スズキ、ダイハツ、三菱、ホンダ、スバル、マツダ(スズキのOEM供給を受けていた)の各社を回ってみると、園部さんの「顔」が利いているのはもちろんだが、広告の話はすんなり通った。


 広告申込を合計してみると、6社に加えてブリヂストンと横浜ゴムが参加し、締めて700万円。クルマ媒体において何の実績もないぼくらが出す最初のムックにしては、望外の結果だった。

 内容は、軽自動車を「SUV」「ワンボックス」「実用エコノミー」「ファッショナブル・ミニ」「スポーティー」「オフロード」のカテゴリーに分け、38車種を分類した。もちろん全車種を試乗し、できるだけ同じ条件になるようにして撮影した。

 撮影場所は、ちょうど都合よく試乗会があるときはその場所で、そうでなければ試乗車をお台場の潮風公園に運んだ。公園の係員からは、「あんたたちのために、公園使用料の回数券を作らなければならないねえ」と笑われた。


 特筆すべきは「今度の軽はここが違う!」「軽自動車発達史」「軽自動車の兄弟たち(ボディとエンジン排気量を拡大した普通車仕様)」「軽自動車なんでもQ&A」といった読み物が充実していたこと。本文とこれらの読み物は、すべて園部さんと子分格の浜田拓郎さんが書き上げた。

 このムックは、今でもいい出来だったと思っている。「軽自動車のすべて」をバリアフリー特装車に至るまで網羅し、全車種のスペック一覧も完備した。あまりに力が入りすぎていて、どこにも隙がないのが欠点といえば欠点だったかもしれない。園部さんは「わがリポーター人生の代表作」とまで言ってくれた。

 時は1999年7月。まだブロードバンドの普及は道半ばで、紙媒体としての情報誌がインターネットに充分対抗できた時代の産物だった。




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