雑誌を作っていたころ(48)
暗雲
「開業マガジン」は隔月で順調に発行を続けていたが、19巻を出したところで発売元のバウハウスから話があった。経営が不調なので会社を再編成するとのことだった。
バウハウスは山崎社長のもと、宇宙企画、英知出版などとともにグループを形成していた。そのうち宇宙企画はレーベルと社員、英知出版は社員と雑誌、自社ビルを売却、バウハウスも売れている雑誌群をスタッフ付きで売却するという。「開業マガジン」もその売却候補に入っていた。
山崎社長はどうするのかというと、子飼いの社員数名とムックコードだけで身軽になって再出発を計る計画だ。お金をもらってリストラができるのだから、起死回生の妙案といえた。
だがしかし、こちらは売られてしまう身。買収先は携帯コンテンツの大手インデックスで、新たに「ヌーベルグー」という出版社を立ち上げ、そこにバウハウスから移籍したスタッフを収容した。新社屋は、わが事務所の目と鼻の先だった。
「このまますんなりとはいかないな」と思っていたら、案の定、ヌーベルグーの営業部長に呼ばれた。「開業マガジン」は黒字だが、部数が少ないので商売として面白くない。できればやりたくないという。悠々社がどうしても出したいのなら、営業依託の形にするので、号あたり100万円の営業依託費を払えとの話だった。
営業依託というのは、書店流通をお願いする代わりに、手間賃を払うもの。出版コードのないところが本や雑誌を出すときによく使う手だ。青人社時代に反対の立場でやったことがあるが、それにしても号あたり100万円というのは零細出版社にとっては痛かった。
だが、「開業マガジン」は広告収入で存在している雑誌。定期発行が途絶えたら、たちどころに息の根を止められてしまう。「開業マガジン」はわが社の屋台骨だから、何がなんでも出し続けなければならない。仕方なく条件を呑んだ。
ただ、悪いことだけではない。今までは編集費と広告営業手数料をもらっての編集プロダクション活動であったのが、これで名実ともに発行元になれたわけだから。実売が上がり、広告収入が増大すれば、将来は自社ビルだって夢じゃない。そう前向きに考えて、心配そうなスタッフを励ました。
そんなころ、平凡社以来の友人である会計士の小坂くんから朗報がもたらされた。彼が大株主になっている出版社のBNNで、もっといい条件で「開業マガジン」を出してくれるというのだ。BNNといえば、「Mac Life」を出しているIT系の有力出版社だ。
さっそく営業担当者と打ち合わせを始めたが、向こうはヌーベルグーとは正反対の歓迎ムードだった。営業委託料は格安で、その代わりに共同企画としてビジネス寄りの書籍を出していこうという。これなら「開業マガジン」の連載企画を書籍にまとめることもできるし、将来の書籍化を視野に入れた特集企画も立案できる。まさに「渡りに船」とはこのことだった。
年明けの次号からBNNに発売元をお願いすることで話が決まり、ヌーベルグーとの付き合いは1号のみで終わりにすることになった。足元を見られて嫌な思いをするのもこれっきりだ。 BNNの営業担当者との折衝も完了し、新しい条件での21号を着々と作っているころ、恐ろしいニュースが舞い込んだ。青天の霹靂、「BNN倒産」である。目の前が真っ暗になった。
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