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15/1/14

雑誌を作っていたころ(49)

Image by Olia Gozha

東奔西走


 BNN倒産により、「開業マガジン」21号は完全に宙に浮いてしまった。取材・編集作業は続いていたが、印刷して本を作ったところで、販路がないのだからどうすることもできない。販売されなければ、集めた広告費は返さなければならないし、それ以上のペナルティを求めてくるクライアントや代理店もあるだろう。

 しかし、悠々社よりもっと甚大な被害を受けたのは、筆頭株主になったばかりの小坂くんだ。義母の土地を担保にして紙屑をつかまされた彼のもとには、億単位の借金だけが残った。しかし彼はそんな窮状のさなかにあっても友情と責任を果たそうとしていた。


「文芸社という自費出版の会社があるんだけど、そこが『開業マガジン』を出してくれそうだよ」という電話がかかってきたのは、数社との交渉が不調に終わったときだった。藁をもつかむ気持ちで新宿の文芸社まで話し合いに出かけたが、提示された条件はヌーベルグーよりさらに悪かった。しかし、作りかけている雑誌を出さなければ倒産しかない。もはや選択の余地はなかった。

 その結果、運命に翻弄された「開業マガジン」21号は、予定からひと月遅れて文芸社の臨時増刊コードで発売されることとなった。まずはひと安心だが、それからが大変だった。すべての広告代理店をまわり、発売が遅れることの説明をしなければならない。うまく説明できなければ、広告引き上げ、掲載料不払いという事態もあり得る。


 幸い、怒られはしたものの、商売の根幹にヒビが入ることは避けられた。次は会社の経営をどう立て直すかだ。なにしろ1号分の収入が1カ月先に延びてしまったのだ。だからと言って、スタッフへの支払いや家賃、さまざまな経費を先延ばしすることはできない。数カ月のうちにその不足分を埋めるような経費削減が必要だった。

 考え出したのは、抜本的な本作りの改革だ。印刷所を凸版印刷から懇意にしている日創に変え、デザイナーを無理を聞いてくれる知り合いに変える。スタッフに任せていた編集業務もぼくが掌握し、プレイング・マネージャーとして現場復帰することに決めた。昔から「編集発行人」という肩書きは憧れだったが、それが追い詰められた形で実現してしまった。


 スタッフのうち、常勤でない数名にはお引き取りいただき、「特集」と「連載」、「データページ」以外のほとんどのページを、ぼくが自分で担当することにした。経費を浮かすため、プロカメラマンの必要がないところは自分で写真を撮り、文章も書く。それが合計で40ページあったが、生きていくためには背に腹は替えられない。

 このころから、本当の意味での「地獄」が始まったのだと思う。平日はほとんど家に帰らず、事務所で寝泊まりするという生活パターンも、この時期からだ。それが1年半続くのだが、今にして思うとそれはひとつの「修行」でもあった。大量の仕事を誰よりも速く処理するという特技が今のぼくの生活を支えているのだが、それが養われたのはこのときだからだ。


 じつをいうと、当時のことはあまりよく思い出せない。人間にはあまりに辛い記憶を消してしまう能力があるそうだが、それが働いたためかもしれない。足りない資金を毎日なんとかやりくりし、睡眠不足と戦いながらぎりぎりの進行でページを作っていた。広告収入が落ちれば、タイアップ企画を立案し、自分でクライアントに売り込みに行った。そんな毎日だった。

 そうやって2カ月に1冊のペースで「開業マガジン」を作る生活が1年半続く。だが、心のどこかではそのようなサイクルの終わりが近いことを察知していた。号を追うごとに、読者と広告主の質がどんどん低下していくことを肌で感じていたためだ。「出版は理念のためにするもので、金儲けのためにすることじゃない」という思いを裏切ることはできない。それをしたら、自分が出版界にいる意味がなくなると思っていた。


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