【Part 8】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~精神病棟へ入院編①~
また、ある時は、「自分は、Qさま!の11番目の席に座るんだ!自分のイニシャルは、11番目だからね!!」
と、意味不明なこと言っていた。
食事は点滴で、喉が異常に乾いたので、いつものように、「お水くださ~い!お水くださ~い!!」と叫んでいた。
一時、点滴がうまく流れないと言う事があり、看護士さん達が焦っていた事があった。自分は悠長に、
「風流ですね~」
と言うと、看護士さんが、
「これ、なんだかわかりますか?」
と、点滴を指さしながら言った。
自分は、東側。右手に点滴を打たれているので、四神の青龍を思い出し、
「風に揺れる流と書いて、『風龍』ですかね~」
と、言った。
この時から、徹頭徹尾、頭がおかしかった。
・解除。そして、また束縛・帯同
一週間後、両手両足の拘束が解除され、食事も普通に食べることが出来た。
しかし、解除された解放感から、歌を大声で歌ったり、薬を運んでくれる看護士さんに大声で話しかけたりして、徐々に、落ち着きが無くなって行った。
ある日、赤羽先生と沢山の看護士さんが押し寄せ、ベッドの位置を元に戻し、またカテーテルを挿入された。
激痛だった。
でも、自分は思い知らされた。
病院って、暴れちゃだめなんだな。
と。
それに気づくまで、丸々2か月かかってしまったが。
・「笑っていいとも!」の最終回だけ見れた。
2014年1月28日から、3月31日まで、部屋に拘束されていた。風呂のある、火曜日と金曜日の時間だけ、部屋の外に出ることが出来た。
赤羽先生に、「笑っていいともの最終回だけ、見たいので、退院させてください。」
と、のたうち回っていたので、最終回だけ、ホールの昼休みの時間、部屋を出てみることが出来た。
タモリさんとたけしさんの濃密なトークに、やられた。
夜のグランドフィナーレを見ようとしたら、看護士さんに止められた。
でも、その日を境に、いろいろなことが変わっていった。
まず、自由に部屋の外に出ていいという「ふれ」が出たのだ。
あとは、突然、前述の「鈴木一由」さんがやってきて、
と言って、去って行った。
自分は、もしかしたら退院できるかもしれないと思い、その日の作業療法室で、ぬりえの裏に、「提案書」と手書きで書いて、「希望時間」、「希望月収」、そして、「通院・投薬を辞めない」、「頑張らないし、怠けない」と書いた。
その後、赤羽先生にも届き、
「無理しないで行きましょうね~」
と、言われた。
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