不登校クラスメイトとのちょっとしたお話③

前話: 不登校クラスメイトとのちょっとしたお話②

 「その子の人生は、あんたの人生じゃない」

 不登校の子に付き添う形で遅刻してしまった日、母から言われた言葉のひとつである。聞いた当初こそ、どうして私が叱られるのか、もっと大目に見てくれてもいいのではないか、なぜわかってくれないのか、それならあの時はどうすればよかったのか、放置して学校に行けというのか――など、幼稚な不満で心がいっぱいになっていて、正直なところ、母の言葉をきちんと受け止める余裕などなかった。数日経ってから、ふと思い出した理由も定かではない。本当に、ただ何となく思い出したのだ。

 大人から見れば、或いは冷静に考えれば、その言葉は至極当然のことで、取り立てて特別なことは言っていないようにも感じられるかもしれない。ただ当時、中学生になりたてだった私にとっては、少しばかり特別な意味を持つ言葉のように感じられたのだ。とはいえ、実際にその言葉が深く頭の中に入り込んだのは、更に年が過ぎた三年生の頃である。中学校に入って新たな人間関係を構築し、クラスメイトと部員という別の枠で人と関わり始めたばかりだったあの頃の言葉を、二年越しに思い出したときだ。

 不登校の彼女について、何とかしないといけないと多少責任感めいたものがあったのは事実だ。だから、頻度こそ落ちたものの、その子の家に行っては、また連れ出せずに登校するという日が続いていた。中学三年生になった頃には、受験も控えていて「みんなどうするの?」「みんな、どこを受けるの?」「どうすればいいの?」と"周囲を気にして"、不安でいっぱいだった。教師からは私の進路のみならず、不登校の子についても「どう考えているかわかる?」「何か知っている?」と詮索される事が多くなっていた。そろそろ本人に聞けよと思わないでもなかったが、教師側としても不登校児へどうアプローチすればいいのかがわからなかったのだろう。正直、何もかも煩わしくて面倒臭くなってしまって、不登校の子と同じ学校に行こうかなー、あんまり勉強しなくていいところがいいなーと考えるようになっていた。勉強がしたくないのは、単に努力した結果として失敗するのが怖かっただけだ。そして、不登校の子と同じ学校に行こうかという選択肢は、進路について、自分できちんと決められなかったものだから、"教師が世話役の私を通して、彼女の動向を探っていること"を理由にした逃げ道でしかない。そんな折、ふと思い出したのが、母の「その子の人生は、あんたの人生じゃない」という言葉である。

 他人の人生はその人のものであって、自分が背負う人生ではない。言葉の意味を考えたとき、自分が逃げ道ばかりを用意していたことをぼんやりと自覚して、不登校の彼女に対して不誠実なことをしているのではないかと曖昧ではあったものの気がついた。部長や委員長などを務めていた私は、五人兄弟の長女という事もあって周囲には「しっかり者」として映っていて、そして自分自身も「自分はしっかりしている」と思っていた部分があった。しっかりなどしているものか。私は人をまとめていた訳ではなかった。部長として、或いは委員長として最終決定を下していたように見えて、「みんなの総意だから、これでいいよね?」という形に整えてきていただけのことだ。それらを自覚した瞬間は、恐らく人生で初めて、自分をとても客観的に見た瞬間でもあっただろう。まるで、足元がひっくり返されたような感覚だった。誰しも自己の内面の、それも奥底など人に知られたくないものだが、当時「しっかり者の良い子」扱いされていた私は、特にこの気付きに嫌悪さえ覚えたものだ。

 そこで自己と向き合えれば成長したのだろうが、やはり楽な方へと流されてしまった。進路相談、三者懇談、受験対策――学校が進学に向けて本格的に動き出すにつれて、学校に行くという行為そのものに憂鬱さを覚えるようになったのだ。行きたくないなぁ、嫌だなぁ、と、毎朝のようにそう思うようになっていた。いつものように不登校の子の家に立ち寄ったとき、ふと、その気持ちをその子に漏らしたことがある。どうせ叱られるだけだろうからと母にも教師にも言いはしなかった、子どもなりの小さな悩みであり、それらしい愚痴っぽい話だ。その時の彼女の反応は、当時の私にとっては、とても意外なものだった。

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