差別の生まれ方

 

 それは私が、とある雑貨屋でアルバイトをしていた時のことである。いつも通りに業務をこなしていたところ、ひとりの男の子が来店した。中学生に上がったところか、小学6年生くらいか、そのあたりだったように思う。その年齢の、しかも男の子が雑貨屋にひとりで来るというのは珍しかったものだから、顔などもよく覚えていた。店員である私たちを見つけると、すぐに近寄って来たその少年は、すごくにこにことしていた。話し方や内容から、障害者と接してきた経験もあった私は、すぐに「軽度の知的障害を持っているのかな?」と感じたのだが、だからといって別にどうという事はない。学校ではボランティアで障害者支援もしており、相手が何もして来ていないのに障害者だからどうのという気持ちもなく、本当にただ普通の接客をして終わった。少年が買ったのは、少し変わった形をした分度器や定規のセットとパスケース程度の小さな写真立てだ。当然、来店客のひとりについて、私たち店員がいちいち何かを言うでもない。接客をした私たちの中で、特別これといって話題に上がることもなく終わった。私にとっての少年は、「お客様のひとり」であって、それ以上でも何でもない。


 それから、一時間ほどした頃だったように記憶している。血相を変えた女性が店に入って来て、まっすぐにレジカウンターへと近づいてきた。ちょっとこの時点で、クレームか何か、あるいは不良品などの話だろうかと、全員が身構えていた。女性がカウンターに置いたのは、確かにうちの店の袋だったが、その中身は何もない。どういう事かと戸惑う間に女性は、「さっき、ここに男の子が来たでしょ」と言った。男の子という単語だけではピンと来なかったのだが、メガネのこと、身長のこと、サイフのこと、服装など、特徴を挙げられるとすぐにわかった。何せ、珍しい年齢のお客さんだったから覚えていたのだ。私たちがそれぞれ「この時間帯に来店されました」「二点、お買い上げいただきました」と答えると、女性は憤った様子で「どうして引き止めなかったの!?」と声を荒げた。


 正直、ちょっと意味がわからなかった。


 話を聞くと、その女性はあの少年の母親であるとのこと。今日は学校が早く終わったのだが、迎えに行けなかったそうだ。少年はひとりで帰宅し、その後、買い物に行くというメモを残して家を出たらしい。母親が帰宅したときには、もうメモしかなかったそうだ。探しに出て、もう一度帰ったところで、玄関にうちの店の袋が置かれていた為、ここに来たという話だった。しかし、それでも、"引き止める"という意味がわからない。だが、女性はとても興奮していて、とても話を聞き出せる状態ではなかった。先輩が対応している間、実際に接客した私ともう一人の店員が傍に控えていた。最初は、迷子になってしまったから、どうして店で引き止めてくれなかったのかと、心配から感情的になっているのかと考えていたのだが、実際は違った。


 女性は、「障害者だと見ればわかるはず、どうして買い物をさせて帰らせたのか」と怒り始めたのだ。ちょっとどころではなく意味がわからなくて、もう戸惑う以外の反応ができない。特に実際にレジを打っていた子については、罵倒にも近い言葉が向けられた。商品を案内した私にも、気が利かない・マニュアル対応すぎる・常識がないと怒りの言葉が飛んでくる始末だ。予想外すぎる事態に思考停止だった私たちに代わって先輩が何とか話をしていると、女性の携帯電話に男の子が見つかったという連絡が入った。そこで、女性はすぐに退店した為、それ以上は特に何もなかった。


 確かに障害者特有の顔つきはあると思う。話し方などから私がそれを感じ取ったくらいなのだから、ある程度、障害を持つ方と接したことのある人間なら誰でもわかるのだと考える事そのものは不思議ではない。ただ、だからといって、私たちが引き止める理由も買い物をさせない理由もないわけだ。うわー、怖い人だったねーとか、すごい人だったね、という話をなった時、レジを担当していた子が「あの男の子が、もしもう一度来たら、裏に逃げようかな」と言っていた。

 男の子は何も悪くないのはわかっている。彼は単に買い物をして、会釈までして帰っていった。何なら母親宛に置手紙だって残していたわけだ。母親が心配するというのもわかる。迎えに行けず、帰ったら姿がないというのも驚いただろう。息子を見つけるまでは焦り・慌て・恐怖などの気持ちで、胸がいっぱいになっていたのかもしれない。冷静になったあと、自分の行動を悔いるかもしれないし、何とも思わないかもしれないし、そのあたりはわからない。ただの憶測にしか過ぎない。

 しかし、実際にそういった言葉や態度をぶつけられた側としては、「逃げようかな」という気持ちになるのも、ある程度は仕方がないとも思えてしまう。今回は特にわかりやすく、「障害者」というキーワードがある。接客業なのだから、どんなお客様にも対応して然るべきというのは理解できるが、だからといって、やはり人間である以上は感情があるのだ。恐怖や不快感を覚えれば、次からはそれを回避したくなるのは当然の反応でもあるだろう。私は平気だった、逃げたいといったレジ担当の子が弱くて悪いなどと言うつもりはない。私だって、とても怖くて、すごく嫌な気持ちになったのだ。自分としては、「それは違うなぁと感じたちょっとした小話」で書いたエピソードに通じるものがあるが、肝心なのは、"誰が差別を生んだのか"だ。

 何度も繰り返すが、男の子は悪くない。私たちは、男の子が来店したことで嫌な思いも辛い思いもしてはいないのだから。しかし、実際にこの事があってから、レジ担当の子は身体・知的問わずに障害者という存在が怖くなってしまったらしい。そういった方々の来店があった場合も、すぐに他の店員を呼ぶようになった事は、この出来事の前後で明らかに変わった点なのだ。



 この手の話をネット上ですると、たまに明後日の方向から噛み付いてくる人がいる。その人が障害を持つ人なのか、或いはその家族なのかはわからない。ただ、私は「障害者が悪い・その家族が悪い・生んだ母親の責任だ、片時も目を離すな・迷惑だ隔離しろ」などとは言っていない。当人・家族を問わず、障害者という対象に対して周囲に求めるあらゆる形の"特別扱い"こそが、何らかの形で差別を生む可能性があるのだと言いたいだけだ。


※個人等を特定されないよう、年齢を含む特徴については微妙にぼかしています。

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