火事に遭ったときのこと

 

 それは、中学一年生の夏休みのこと。

 夏休みに入ってすぐだっただろう。海の日だった事をぼんやりと記憶している。


 その日、夏休みの宿題を早々に片付けるべく取り組んでいた私は、熟語の意味を調べるにあたり、父のパソコンを使わせてもらおうとしていた。当時は、父の自室にしかパソコンが置かれておらず、また、父は家にほとんど帰らない人であった為、その許可は母からもらう形となっていた。母とふたりで父の部屋に行き、数分もしないうちに妹が部屋に来て、何か騒ぎ始めた。当時、妹はまだ保育園に通う年齢で、何を伝えたいのかよくわからない。構ってもらいたいのか、また何かを壊したのかと、母とふたりで不思議に思っていたときだ。


「変なにおいがする」


 母が突然、そう言い出した。言われても、すぐに私はピンと来ない。ひとまず母が部屋から出たので、私は妹を構っていた。妹を抱き上げて、母から少しばかり遅れて部屋を出た直後のことだ。廊下の奥にあるキッチンあたりから濛々と煙が上がっているのが見えた。

 白とも黒ともつかない煙の色だったように思う。母が慌てて駆け戻ってきて、玄関に押しやられた私たちはひとまず外に出るよう指示された。再び廊下に戻った母は、入浴していた弟ふたりに声をかけていたようだ。妹を連れ出した私は、庭にも既に大量の煙が出ている事に気がついた。門扉を開けて、妹と庭にいた飼い犬を道路に出したあと、庭に戻り、キッチン近くの和室へと走ったが、そこはもう既に中を覗き込む事すらできないほどに煙が充満していた。

「火事だ! 火事! 消防を呼んで!」

 私は、隣の家に向かって必死に叫んだ。ホースを取り出して水をかけてみたが、全く何の役にも立たなかった事を鮮明に覚えている。煙の向こう側に見えた炎は、当然だが、ライターの火などとは比べ物にならないものだ。キャンプファイヤーにすら驚く程度だった当時の私には、それが何なのか意味がわからないくらいだった。家庭用のホースによる放水など、たかが知れている。勢いが弱まらない炎を前に呆然としていた私の耳に、母の呼び声が飛び込んできた。怒鳴るような声だ。怒っている時のものではないが、すぐに戻らなければいけない気がした。

 門の外に飛び出すと、母が妹を抱えて待っていた。弟たちを連れて飛び出した時に私がいなくて慌てたらしい。裸のまま連れ出された弟たちは、近所の人によってバスタオルで包まれていた。すぐに、周辺住民から衣服も貰えたようだ。飼い犬の姿が見えないと慌てたが、犬はそのあたりをうろうろしていたらしく、これもまた近所の人によって捕獲されていた。助けに来いよ、忠犬には程遠いな、と、場違いな感想を抱いた覚えがある。状況が現実離れしていて、処理できていなかった。

 救急車と消防車が来るまでのことは、実はあまり覚えていない。そのあと、煙を吸ったらしい弟たちが救急車に乗せられ、私と妹は、母から引き離される形でパトカーに入れられた。今思えば、事情聴取のようなもので、親子で口裏を合わせないようにするためか、或いは私たちの意見や証言に母からの影響を与えさせない為のものだったのかもしれないが、不安で胸がいっぱいだった上に説明不足だった為、私たちは更に不安を煽られただけに過ぎない。

 火事の出火原因について、心当たりを聞かれた。そうは言われても、廊下の奥にあるキッチンは異臭に気がついた時には既に入る事もできない状態だ。母はまだ料理を始めていなかったので、コンロの火をつけたままにしていた可能性はない。お米は炊き始めていた為、漏電か、或いは放火程度しか頭には浮かばなかった。直前まで、キッチン近くの和室にいたのは妹だけだった事を思い出して、もしかするとライターで遊んだのではないか――と、最初の妹の慌てた様子を思い返しながら警察に言ってしまったのだが、私のこの一言は実に余計だったのだという事を後で思い知る羽目になる。とはいえ、動転している中学一年生が冷静にすらすら答えられる筈もないだろうし、機転など利かせられる筈がないだろうし、責められる謂れはないのではないかと、後々から思った部分でもあった。

 キッチンを通らなければ、妹が遊んでいた和室には行くことができない構造だった。キッチンから火が出たのだとすれば、妹は廊下に出ては来られなかった筈なのだ。妹が廊下に出てから出火したにしては、火の回りが異様に早いのではないだろうか。そう思っての発言だったのだが、それを聞いた警官が外の警官へと伝える形で、別のパトカーに連れられていた母に「お子さんを庇わないでください」という趣旨の発言をしたらしい。聴取が終わってから、末の娘が疑われていると憤慨した母から猛烈に責められた。軽率だった事は反省するが、言いたいことがないでもない。

 鎮火したあとだったように記憶しているが、中学校の先生たちも駆けつけた。担任のみならず、教頭など数人の先生に囲まれて心配された私は、「メダカが焼き魚になっちゃったなー」という冗談を口にして、ひとまず彼らを笑わせたのだが、どうしてそんな事を口にしたのかはわからない。かなり気が動転していて、心配されるのも嫌だったという事だけは覚えている。ふざけてみたのだろう。余裕がないからこそ、茶化してしまったのだ。火事というものがあまりに非日常すぎて、きっと自分は平気だとアピールしたかったのだろう。靴を履く余裕もなかった私たちに、サンダルを届けてくれる人もいた。普段は挨拶をする程度でしかない近所の人たちが、とても優しかった事は今でも鮮明に残っている。温かなおにぎりに、とても安心したものだ。出火時に外出中だった兄が帰ってきたのがいつだったのかは、覚えていない。当日には帰って来なかった父についても、いつ会えたのかなどに関する印象は薄い。

 今でも振り返ると、鮮明に思い出すのは妹を抱き上げて外に出てから、庭に回って火を見たときのこと。そして、火事だと叫んだ瞬間のこと、家庭用のホースがどれほど役に立たないかということ、助けてくれる人の存在がとても有難くて心底から嬉しかったということだ。



 余談だが、後日、登校した私を待っていたのは「校内カウンセラーとの面会」だった。気を遣われたのだろうが、当人としてはぼちぼち復活しますくらいの精神状態で、少しだけお節介だなぁ、と感じてしまった。中学生というのが、案外そのあたりの回復力はすさまじいと思う。個人的なことではあるが。恐らく、周囲への信頼があったのだろう。或いは、単純に何も考えていなかったのかもしれないが。ともあれ、そのカウンセリングルームへと向かう途中、案内をしてくれた先生が「今、何か欲しいものはある?」と聞いてきた。一瞬だけ考えた私は、

「家」

などと答えてしまって、その先生を大いに困らせてしまった。まさか、その先生が何かくれるとは思っていなかったし、実際に家がなくなってしまったのだから、それは悪ふざけでもない切実な思いではあったのだが、慌てて「本がいい」と答えると、翌日に図書券を数枚ほど頂いた。そこでやっと、質問の意図を把握したものだ。ちょっと恥ずかしくなったのは、言うまでもない。先生もまさかの回答に大変驚かれた事だろう。申し訳ない。


 どうして先生方が私をカウンセリングさせようとしたのかについて、卒業する時に判明した話がある。当時の私はとにかく真面目な生徒で通っていた。一年生だというのに、廃部寸前だったという理由の為だが、クラブの部長を勤めていた事で――あくまで、教師間での話ではあるものの――ちょっとした有名人でもあったようだ。その生徒が火事に遭い、そして悪ふざけを行ったということで、とても心配されたらしい。ついでに「家」という回答も悪ふざけカウントに入っていたのだが、あれは全くもって天然である事を伝えたかった。ともあれ、真面目な生徒が突然の悪ふざけを行ったということで、先生方は慌てたそうだという話を聞いたとき、


「すみません、家では大体こんな感じです」


とは、さすがに言い出せなかった。

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