25歳の楽天的眉太男がワーホリでカナダに渡り、念願のブロンズ彫刻を学ぶ為に彫刻家の弟子となり、現地で師匠と2人展を開催。その後アーティストになった話。

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それは心から尊敬できる師を手に入れた瞬間だった。それから、ジョンギの制作の手伝いをする以外の時間は、アトリエで自分の作品制作に取り組めることになった。

 

そして、自分の計画を変更することにした。今までは、ワーキングホリデービザが切れる5月に帰国して、またバイトをして金を貯めて2年後にフランスに行き、フランス語を学びながら生活し、ブロンズの工房で働きつつ技術を学び、いつか自分の作品を作るつもりであった。

しかし、それよりも目の前のチャンスに賭けることに決める。日本で彼女をいつまでも待たせておくことはできないという時間的な制約もあった。

5月に一時帰国するまで、毎日ジョンギのアトリエに通って、彼の作品の手伝いと自分の作品制作に励んだ。彼がかけてくれた言葉の中で最も嬉しかったのは、

「君はアーティストの卵だ。」

という一言であった。

タケシは素晴らしい師匠を持ったことを、心から感謝するとともに、すぐにバンクーバーに戻り、アシスタントと制作を再開することを固く心に誓った。

ビザの有効期限切れが迫っていたが、それはカナダに行ってから、ちょうど1年が経とうとしている事を意味していた。外から見つめてみると、日本の良いところも悪いところも良く分かった。また、自分が日本人であることに誇りを感じ、母国を大切に思う気持ちが強くなった事は、大きな変化だった。

 

東京での3週間は瞬く間に過ぎ、再びバンクーバーで修行の日々が始まった。ブロンズ彫刻は、制作の長いプロセスの中には単純作業的な部分も少なくない。ある時は1週間もワックス彫刻の表面を磨いていたし、また、ある時は真夏に朝から晩まで1か月間、アトリエにこもり機械を使ってブロンズの表面を磨いていた。

時々、気分がひどく落ち込んでいる様な時は、制作しない方が良い。そういう日は大抵ミスをして、かえって仕事を増やす羽目になるので、半日休みにしてレックビーチへ行き、全裸になり自然の中でのんびりしたり、友人と食事をしたりして気分転換をした。師匠の制作が一段落した後は、自分の制作に没頭することができるようになった。一通りの技法を学んだ後は、それをどんどん使って制作し、自分の体に覚えこませていった。

 

9月には、バンクーバー公立図書館(VPL)のギャラリースペースで、12月に師匠との2人展『師匠と弟子のアート展』を開催できる目途が立つ。コロシアム(円形格闘場)をモチーフに作られたというその建物を初めて見た時から気に入り、キャンセル待ちをして何度も足を運んでやっと手に入れた会場だった。また、ジョンギにも頼み込んで共同出品の承諾を得る。

 

2人展という明確な目標ができたこの頃から、制作のスピードも上がってゆく、何としても期日までに、全作品を完成させなくてはならなかった。また、友人のミオ(ライター)の紹介で、現地日系新聞のバンクーバー新報に記事を載せてもらえる事になり、師匠と2人でインタビューも受ける。作品制作と並行して共同展の為のあらゆる準備を進めてゆく。何から何まで全て実戦の中で学ばせてもらった事は、のちに大きく役立った。

11月にはガスタウンで開催されたアートフェア―に、エマニュエルのおかげで参加することができた。アボリジニの工芸家や、石の彫刻家とも話ができ、多くのお客さんから様々なコメントをもらい、翌月に迫っていた2人展の宣伝にもなった。


2人展をカナダと日本で開催

12月初旬に、VPLにて『師匠と弟子のアート展』を開催した。知り合いばかりではなく、セミナールームや図書館の利用者もついでに見に来てくれて、なかなかの盛況であった。

ある日、明日キューバに帰国するという紳士が、タケシの作品をとても気に入り、夕方に再びカードを握りしめて戻って来たが、現金でなければ売れないと伝えると、金を下してくると言い、間に合わなかったのか戻ってこないことがあった。その彼が、最後にその作品を愛おしそうに撫でていたことは良く覚えている。また、作品について観客と話してゆく中で、新たなアイデアが浮かんだり、作品のイメージが変わったりすることもあった。

作品を作るだけではなく、それを発表して観客とコミュニケーションをするところまで、全てをひっくるめての制作であり表現なのだという事を学んだ。

          

その後3日間は帰国の準備に追われつつ、友人達と食事を共にして再会を誓う。

帰国前に師匠のアトリエに挨拶に行き、赤ワインを飲みながら会話を楽しんでいる時に、タケシは礼を言った。

「私はあなたの弟子であることを一生誇りに思います。大変お世話になりました。」

その瞬間、師匠は泣き出しそうな顔になりハグをした。その後、外で夕食をすませてから、アトリエの庭で別れの挨拶をする際に、彼に約束をする。

「10年以内にあなたを日本に招待します。日本で2人展をやりましょう。」

そして、深いお辞儀をして彼と別れ、カナダでの1年間の修行生活が終わった。

 

その約束は、8年後の2010年4月に横浜市で果たされることになる。『種子と雲』という師匠と弟子の2人展が、神奈川県民ホールで開催された。そこには、まだ無名だが、アーティストとしてひとまわり大きくなったタケシと、弟子の成長ぶりに満足げにほほ笑む、まだまだ現役のジョンギの姿があった。


おわりに

情報化社会の今、誰でも簡単に手に入る情報を知って満足してしまうのではなく、実際に自分の体を張り、五感で感じた体験から得た事こそが、本当の知識と言えるのではないだろうか。これから、海外での暮らしに興味を持ち、実際にそれを行動に移す若者が、少しでも増えてくれたら嬉しい。まだ迷っているという人に、最後に一つだけ言いたい。


「やるなら今しかねぇ!」


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