普通のアラサーOL事務職が、資金なし・コネなしでソチオリンピックに行き、ロシアへ感謝を伝えた話。
お金の問題は、もう逃げられないところまで来ていました。こんなにたくさんの人が私を応援してくれていて、企画は絶対に成功させたい。資金なし・コネなしから、いろんな人の力をお借りしていくというところも、そこが一番重要な部分だから、折れたくはなかった。
実は、いろんな人から言われていたんです。「資金を募ってみてはどうか」と。例えば、何か会社ものを宣伝してくるとか、頼まれごとをロシアでやってきて、その分を頂戴するとか。あとは、「この企画自体の趣旨に賛同して、援助してくれる人がいるはず」と言ってくれる人もいました。
しかし、私はそれをやるのが怖かったのです。当時の私の感覚では、お金というのは「嫌なことをして苦しんだ結果得るもの」。それを私なんかに渡してくれるのだろうか、と引いていました。
でも、「お金というのは愛であり、応援の形の一種である」という考え方も、知識では知っていました。私は好きなものになら、気持ちよく、ハッピーにお金を使えるのです。例えば、好きな商品があって、それを買うことは、その会社を応援しますよということ。その会社はそのお金を、もっと良いものにするための開発費にする。これが素晴らしい循環。
だけど、自分のこととなるとそう言ってもらえる自信がなくて、本当にダメでした。人から評価されるような気持ちになったのです。それを受け止める自信がなかった。
だけど、ここから逃げるわけにはいきません。だって、私はこれだけの人に応援してもらっているし、どれだけ悩んでもこの企画をやめようとは思えませんでした。目的があるからです。
よし、資金を募ろう!!
なぜ勇気を出せたのか。
これも本当に人のおかげです。ソチ企画のロゴをかいてくれた男の子が、私がスタッフをやっていたイベントに参加してくれた時、自分のブーズにロゴを置いて宣伝してくれたのです。そして、その近くには赤いストライプの貯金箱。
「これで募金、集めましょう!」
そう言って、周りの方に声をかけてくれました。入れてくださった方にも、感謝でいっぱいです。
そして、私のことをたくさんの人に広めて、いちばん応援のメッセージを書いて一生懸命になってくれた女性。自分のブースの売上を募金してくれただけでなく、すっかりはりつめていた私を癒してくれて。
更に他のブースの方にも、私のやっていることや趣旨を、私以上に一生懸命説明してくれて、募金をしてもらったのです。そして、彼女たちは心強すぎる応援団になってくれました。
私はビックリして、どれだけ自分に自信がなかろうと、凹もうと、これだけやってくれる人のために、裏切るわけにはいかないと決意を新たにしました。
そして、ずっと無意識に後回しにしていた、期限がわずかのパスポート更新に行ったのです。
すべての人がYESというわけはない。でも。
夢を叶えようとする人の前には、それに反対する「ドリームキラー」が現れるというのは、よく言われることです。ステージを1つ上がる人の前には、それを引き止める人間がいるものだと。だから、大丈夫だと頭では思っていました。
そんなことよりも以前に、人の考えや価値観なんて、違うんです。いくら友達だからといって、仲が良いからといって、すべての人が賛成して応援してくれるかといったら、これはYESではありません。それはもちろんわかっていました。
しかし、いざ本当にそれに対峙するとなると、結構苦しいものです。
資金を募ろうと決め、Facebookのタイムラインやイベントページにそれを投稿しました。すると『人のお金で行くというのが理解出来ない』『まだ夜のバイトを続けて達成したほうが、感動する』『難病の人とかならわかるけど…』『人間は自分でなんとか出来るけど、動物は出来ないので、私は殺処分される動物保護に募金します』という声がありました。もちろん、これは個人の意見や感想として、です。
どの意見もなんにも間違っていません。誰もなんにも悪くないわけです。「ドリームキラー」は人ではない。自分自身です。それでも自分の気持ちを貫き通せるか、自分自身やその想いを信じられるか。周りのせいに出来る人生なんて、ありません。
私はこう答えていました。
『何に愛を注ぐかは、人によって違うと思うよ^^アーティストとかでもそうやと思う。CDにお金を払うっていうのは、自分を喜ばせてくれるからということと同時に、その人がすきっていう、愛や応援の形だと思うんよね。でも、そのアーティストにはお金を払わない人もいる。そのアーティストに勇気を貰えるという人もいれば、そうじゃない人もいる。ほかの人がいいっていう人もいる。
だから、友達だからって合わないのも、仕方の無いことだと思うよ^^みんながみんなにYESと言って貰えるとも思ってないし。けど、届く人もいるかもしれないから、発信し続ける。
ちなみに、難病のひとを救いたいひとは、募金をするだろうし。私も自分がYESって思う場合は募金する。自分がどういう世界にしたいかっていうのは決まってるから、そこに沿って。』
自分でこれを書いたあと、何も反応がない人よりも、反対意見でもこういうことを言ってくれる人のほうが、よっぽど愛があるし有難いことかもと思いました。
愛の反対は無関心というけれど。私は反対よりも、反応がないことの方が怖かったのかもしれません。この企画をすることで人にどう思われているのか、ビクビクしていたあの頃の私は、この企画に何の反応も示さない人に会う方がずっと辛かったのです。
それに、もっと嬉しいことがありました。
私を応援してくれる人たちが、自分の言葉たらずをサポートするように、コメントをつけてくれたことです。そして、個別に「負けないで」と連絡をくれた人もいました。自分が一人でやっているのではなく、本当に応援してくれている人たちみんなでやっているんだと実感できた出来事でした。
見てくれている人は、いる
ちなみにこの時掲げていた目標は、かなり航空券の高騰や燃油サーチャージ分など、大きく見積もって50万円。私にはとても途方のない数字でした。
けれど、勇気を出した結果、支援をしてくれる人が現れはじめます。冒頭でお話させて頂いた、100人企画でお話を聴かせてくださった方たちです。
ある時、おみやげを渡したいからと、その方に事務所へ呼んで頂きました。別のお話をいろいろする中で、「ソチ企画のことを聴かせて」と自分から言ってくださったのです。目的やこれまでの経緯をお話すると、「どうやったら応援出来る?」と聴いてくださいました。
勇気を出して、「資金を援助頂くという形で、応援して頂いています」とお伝えしたのです。すると、快く1万円を渡してくださいました。この時の感動は忘れられません。私のことを、私がやりたいことを信用して託してくれるというのは、どんなに嬉しいことでしょうか。
更に知り合って数ヶ月という、同じ年の男の子にバッタリあった時も、「ソチの企画ってどういうことなん?」と聴いてくれて、ものの1~2分の説明で、1万円を手渡してくれたのです。本当にビックリしました。
後ほどなんで支援をしてくれたか聴くと、『別に達成出来ても出来なくても、関係なかった。理由は、行動してたから。』と言ってくれました。夢を語る人、やりたいと簡単に口に出していう人はいるけど、行動するまでいかない人が多いから、応援したいと思ったと。
また、「ソチ企画を応援してる人が購入してくれたら、自分の商品の売上の一部を資金にまわすよ」と言ってくれた、コーヒー屋さんの男の子。更に、レイキという手当て療法のヒーリングをされていて、私が辛い時にいつも絶妙なタイミングで応援の声をくれる女性も、同様に協賛してくださいました。
こうして、目に見える形でソチが少しずつ近づき、周りの方にも進捗報告が出来て、それを喜んでもらえることが、とても嬉しかったです。
Facebookに必ず「いいね!」をしてくれる方々のことも、実は全部把握していました。私はいつも、1人1人のお名前を見ながら、心の中で毎日感謝していました。あとで、見過ごした投稿はないか全部遡ってチェックしてたんだよと伝えてくれる人もいて、本当に本当に感動しました。
プレッシャーに、負ける
自分で決めたことなのに、お金を頂く行為にブロックがとれなくて。人からお金を頂いてるくせに、企画以外にお金を使うなんてと、何かの支払いの度に自分を責めて。周りの人がいろんなアイディアを出してくれているのに、それに全部応えられなくて。こんなに応援してもらっているのに、ゴールが見えなくて。もっと努力しなきゃいけないのに、楽しそうな場所にいる自分に罪悪感を感じて。達成するため時間がないのに、関係のない頼まれごとに答える自分に嫌気がさして。
私は、そんないろんなもので押しつぶされそうになりました。凹みながらも、はりつめていたものがすべて切れてしまったのが、11月にはいった頃。進捗報告の更新が、明らかに出来なくなっていました。元気で明るい発信が出来る自信がなかったのです。
もともと、11月には『私をソチにつれてって』トークイベントを開催する予定でした。これは、最初に私の背中を押してくれた2人が協力するから、一緒にやろうと当初言ってくれていたことで、このイベントの収益が資金になればいいねと言ってくれていたのです。
ただ、この時の私はいろんなプレッシャーで疲弊してしまい…。2人はこの時の私の正直な気持ちを、真摯に聴いてくれました。
そして結果、『この企画を知ってもらうことも大事だけど、まず来てくれた人が楽しんでくれることを優先しよう!』『舞ちゃんも楽しめることをやろう!』と提案してくれました。そして、イベントの内容は変更となったのです。
一度宣言したことを変更するのは、頑固でつまらないプライドばかりの私にとって、勇気のいるチャレンジでもありました。そして、トークイベントを応援してくれている人もいたのに申し訳ない…という、人の目ばっかり気にした私にとっても。でも、こんな時でも寄り添ってくれる人がいるというのは、本当に嬉しいことでした。
私の状態に気づいて、連絡してくれる人もいました。私が「自分のこういうところが悪」と思っているところ全部、受け止めてそれでいいと言ってくれました。
その時に、私が書いた投稿は下記のとおりです。
『愛と承認のひとになろうと決めましたが。ひとから承認をもらって気づきました。
私が、私をいちばん承認出来てないのね(。-_-。)そりゃ、ひとにするのは無理だな。
無意識に、自分を叱咤しておる。
怠けるなとか。
モチベーションが下がるのは悪いこととか。
ブレるのは決まってないからとか。
楽しまなきゃとか。
趣味の時間は、目標のために捧げなきゃとか。
だから、娯楽は悪だとか。
ひとを悲しませないとか。
そのためには我慢するとか。
ひとに何かを与えれるひとにならなければとか。
いつも笑ってなきゃとか。
ひとの期待に応えなきゃとか。
ためらわずYESと言わなきゃとか。
やってもらった分をかえさなきゃとか。
いいひとにならなきゃとか。
がんばってる自分じゃなきゃダメだとか。
そうでない自分は、求められないし応援されないとか。
自分で自分をこんだけおさえつけて暴言はいといて、ひとにはOKなんて言えないよねー(;^_^A
なんか、納得。』
自分自身を「何かをやっていないと価値がない人」と思っていたのです。「人が期待してくれたこと、応援してくれたとおりにやらないと、価値がない人」「この企画を必死でがんばらないと、価値がない人」と。
私は何より、自分に対して、愛がなかったのです。それは大きな発見でした。
「目の前の人に喜んでもらう」から、流れが変わり出す
『人に喜んでもらえることをしよう』
イベント開催の趣旨を変更し、ロシア料理を振舞うイベントに変更することに決めました。そして、その中でロシアのことを知ったり、参加者の方々がゲームをしたり、楽しめる時間を作ろう、と。
何を作るかは、当時お料理の事業もしていた女の子が一緒に考えてくれ、ビーフストロガノフを工夫して作ってみようということになりました。また、パティシエでもある男の子がロシアのデザートを作ってくれるとのこと。2人共仕事で忙しい中、時間を割いてくれて、感謝でいっぱいでした。
イベント開催までは、ドキドキ。どれくらいの人が来てくれるのだろうか?お部屋に入る人数最大まで定員を定めたものの、こんなに来てくれるんだろうか?せっかく手伝ってもらったのに、集まらなかったらどうしよう。
しかし、少しずつ参加人数は増えていき。そうすると、なぜか心の余裕が生まれてきたのかもしれません。あと数日というところでひとつ、気持ちが切り替わる瞬間が来たのです。
『人数とか、もういいや。来てくれた、目の前の人に楽しんでもらえればいい。そのことだけ考えよう。』
そう。私はこの企画に関してずっとそうでした。達成させたいという気持ちのあまり、「より多くの人に知ってもらわなければ。」「人数が多ければ多いほど、その中に応援や支援をくれる人がいるかもしれない。」と必死になっていたのです。それが応援してくれている人たちに対する、恩返しだと思っていました。
でも、大事なのは「今、近くで応援してくれている人たち」自身でした。もっと彼らに感謝をすることに集中しようとも、思えたのです。
すると、不思議なことにどんどん参加人数が増え。前日に友人の呼びかけで参加してくれる方がいたり、当日キャンセルが出たものの、すぐあとに参加者の方が「1人行きたいって言ってるんだけど」と言ってくださり。結果定員いっぱい14名もの方が参加してくださいました。
普段から目に見える形で応援してくれている方は、もちろん。この企画を知らないお友達を呼んでくれたり。「ずっと気持ちは応援してたんだけど、どうやって協力していいかわからなくて…」と言って、参加してくれた方もいました。時間がないのにちょっとだけでも…と言って、参加してくれた方。遠くから足を運んでくれた方もいました。本当に本当に感激しました。
更に、一度しかきちんとお会いしてお話したことがない方も、参加してくださいました。それだけでも嬉しくて仕方がなかったのですが、途中で抜けなければいけないという時に、Facebookの投稿を見ていて「熱意を感じたので応援しようと思った」と支援金を渡していった下さったのです!
何がいちばん嬉しかったって、こんな短期間なのに、私のことを信用してくれるんだということ。言葉足らずの私の、気持ちを感じ取ってくださったことです。
言葉でも、時間でもなく、気持ちで繋がれたということ。勝手ながら私はそれを実感して、なんて幸せなことだろうと思えました。
更にイベントのお片づけが終了したあと、一緒に開催してくれた2人からも、支援を頂きました。手伝ってくれた上に、ここまでと思うと本当に泣けてきました。味のある字の封筒、私の宝物です。
流れに乗り、加速する!!
その後、感謝や感激や感動がスパイラルアップするような気持ちになった私。ずっと沈んでいた身辺が軽やかになりました。その時、私に『時のマヤ暦』という知識が加わり、目標や結果を必死に手繰り寄せようとせずに、今を大事にして時に身を任せれば上手くいくという感覚を、感じれるようになっていました。
流れに、任せよう。私のやっていることが正しければ、絶対結果はついてくる。世界に求められていることであれば、実現する。しなければ、そうじゃなかったってこと。でも、私は正しいと信じてる。
そんな時、あるメールが届きます。
「ソチオリンピックチケット抽選結果・落選のお知らせ」です。
普通ならショックを受けていいところだと思います。しかし、この時の私は何か笑えてきてしまったのです(笑)。おもしろくなってしまった!私にはまだドラマが必要なのかと、もう自虐です。
でも、必要な出来事にしか思えなくて、おかしくなってきました。
そうこうしているうちに、また支援の手を挙げてくださる方が現れます。100人企画でインタビューを受けてくださった方でした。「おもしろそうな企画だから参加します」と言ってくれたのが、本当に嬉しかったです。また、ご自身が開催しているランチ会に呼んでくださり、いろいろな方にこの企画を紹介してくださり、本当に感謝でいっぱいでした。
私は、最初のワクワクした気持ちを、もう一度取り戻しました。
『そうだ、私はみんながこの過程を楽しんで見守ってくれたらいいなと、思っていたんだ。自分も参加したいって思えるような企画にしたいと、思っていたんだ。』
素晴らしい流れの中、ある日ずっと私が辛い時にも寄り添ってくれていた女性が、声をかけてくれました。支援金を頂いただけではなく、レイキや自分の心のブロックをとるセラピーで、私の心身を癒す時間をプレゼントしてくれたのです。
レイキは身体の中の流れをよくする働きがありますが、自分の身辺の環境もそれに従って、流れていきます。「うちのお客さんは予約を取ってから、ここに来るまでに良い流れの兆候がではじめるの」とおっしゃっていましたが、これはまさしくその通りでした。
ほら、やっぱりドラマが起こった!!
そう。すべてが流れにのって、上手くいきはじめていました。しかし、目下の問題はチケットです。
嬉しいことに周りの友達が協力してくれて、ロシア人の知り合いを探してくださいました。ただ、ロシア国内用のチケット情報を得ることは出来ず。
チケットがないといえども、ここまで来たら私は、単身ソチに行くしかありません。むこうでなんとかなるかもしれないという希望もあります。
ただ、誰か一緒に行ってはくれないものかな。チケットがなくてもソチに行くという強者は、いないんだろうか?
そんな軽い気持ちで、通勤途中に海外旅行の同行者募集サイトを眺めていました。すると。
【ソチオリンピック 女子SP 同行者募集】の記事。2枚で申し込み当選したが、同行者を探しているとのこと…!私が探していたのは、メダルの決まる女子フリーでした。しかし、私にはオリンピックでロシアに感謝の横断幕を掲げるという目的があります。
チケット代は8万5000円。この時、頂いた資金の合計はチケット代を少し上回っていました。これさえあれば、倍率の高いオリンピック人気種目の会場に、つまり目的を達成する場所に入れる!
ちょうど、早朝に掲載されたような投稿でした。覚悟を決めて、この投稿をした方に連絡しました。
すると、すぐに連絡が返ってきて、実際にお会いすることになったのです。
お会いしてみると本当に素敵な方で、話していても初めて会ったような気がしませんでした。私がこんな企画をしていて、チケットを探していたということも、すんなりと受け入れてくださり、いろいろと配慮してくださいました。
そして、実際にソチへどうやって行くか。泊まる場所の候補がピックアップされ、どんどん具体化していきました。当初の目標金額50万円も、宿泊場所をソチから離れた場所にしたりすることで、かなり安く抑えることが出来て、30万円弱でおさめることが出来そうになりました。
その時の私の投稿です。
『「中に入れる」と決まったことで、これから行動出来ることが増えたと思います。
やると決めたら、きっとなんとかなる。
起こる、引き寄せる(^◇^)
勇気はいるけど、やりたいことをやりたいと言うと、何かが動く。
皆さんが応援して押してくれる背中。
それで前に進めています。
心から、ありがとうございます(T_T)』
10万円が降ってきた
チケットが手に入り、希望が見えてきてワクワク。
しかし一方で、新たな問題がまた浮上します。
それは、航空券の支払い。
なんとか安く抑えれるプランにはしたものの、近いうちに支払いはしなくてはいけません。いろいろな想定をしながらも、借金などの手段も考慮にいれ、腹を括りはじめていました。
私は毎日、口にシュッシュとスプレーをしていました。「飲む金運のお守り」だそう。私が資金を集めると聴いて、友人がくれたものです。彼女はバッチフラワーというイギリスの民間療法を使ったセラピーをしていて、彼女が扱っている商品だそうなのです。
すると、事件は友人の故郷である奈良で起こりました。
用事からの帰り、ぶらぶらと奈良の町を歩いていると、ある言葉が目に入ります。
「クーリングオフを過ぎたものでも、戻ってくるかもしれません」
奈良の消費者センターの看板でした。私は昔、あるサービスの解約を申し出たものの、理由を説明されて諦めざるをえなかったということがありました。これも、もしかして適用されるのではないかと、期待が高まりました。
結果。
10万円が降ってきたのです…!!これでまずは、現金分の支払いが出来る!!
そして目標金額まで、あと10万円。2013年12月も暮れのことです。ソチオリンピックまで、あと2ヶ月というところまでせまっていました。
イベント出展をしてみた
100人企画の時にお話を聴かせて頂いた方の中の、お一人。ちょうどソチ企画をやってみたいな…と思い始めていたころに、少しご相談させて頂いていました。その方にお誘い頂き、イベント出展をしてみることになりました。
ずっと「応援してあげたい」と思ってくださっていたそう。そして私が成長できるような形で、みんなが喜ぶような方法がないか、ずっと考えてくださっていたそうです。
本当にいろいろなことをされている方で、個人コンサル以外にも数々の特技をお持ちです。その中のひとつで、イベント主催の方に出展してくれないかと誘われていたとのこと。その売上を支援金に出来れば自分も嬉しいし、お客さんも嬉しいし、私も支援金に繋がって嬉しいし、主催の方にも喜んでもらえる…と。そして、私は一介の会社員でしたので、イベントに出てお客さんからお金を頂くという行為は、勉強になるはずだと考えてくださいました。
私は自分のためを思って考えてくださったことに、感激し感謝でいっぱいになりました。
そうは言っても、私には特技もないし何が出来るんだろう…と考えました。そこで思いついたのが、その時勉強しはじめていた『時のマヤ暦』です。これのおかげで少しずつ、無理をせずに生きれるようになっていた私。まだ人を見るのは不安だけど、チャレンジする良いきっかけだと思えました。
イベント主催のスペースのオーナーも、企画の応援ということで、出展料を支援金ということにしてくださいました。
そして、緊張してむかえた当日。Facebookで告知はしていましたが…。
結果、ひっきりなしにお客さんが来てくださいました!!時には前のお客さんが終わるのを、待って頂いたりしました。
時間がないのに、ちょっとだけでもと差し入れを持ってきてくれたり、遠い中足を運んでくれたり…。そんな大事な方々に感謝しながら、大好きなことをお伝えする時間は、本当に幸せな時間でした。
ちなみに、このアイディアを提案してくださった方は、冠婚葬祭の行事で来れなくなってしまったのですが、後日支援金を渡してくださいました。大事な経験も含めて、心から感謝です。
想いのこもった、横断幕を
どんな横断幕を作るのかも、懸案事項でした。この企画をはじめた時に、ぽろっと「横断幕を作るなら、みんなで作っても良いかもね」と言ってくださった方がいて、私はこのアイディアをとても気に入っていました。
しかしどんなものを作るのかは、イメージがまったく湧いてこず。どうしようかと思っている時に、いつもエールをくださっていた方の会に参加させて頂きました。そして、企画の話をするチャンスを頂いたのです。すると、あるものを譲ってくださるという、嬉しい申し出がありました。
それが文字マンダラです。もともと芸術作品として、文字で構成されたマンダラを描かれる素晴らしい方です。私に託して頂いたのは、たくさんの人が円状に東北へのメッセージを綴り、完成した大きなマンダラでした。老若男女、1人1人の想いがこもったメッセージ。そんな大事で尊いものを、受け取りました。
赤いペンで円状に書かれたメッセージはまるで、日の丸のようでした。
このマンダラで、ロシアに感謝のメッセージが伝わるような方法を。
『横断幕を一緒に作ってくれませんか?』
時間も迫っている中で、まずは場所をどうしよう…と思っていたところ、コミュニティスペースを運営されている方が、一角を貸してくださいました。
そして、ギリギリの呼びかけにも関わらず、心強い方たちが集まってくださいました。
まずは最初にこのアイディアをくださった方。そして、いつも応援してくれていた、イラストも大得意なデザイナーの友人。
そして、100人企画にも来ていただいた書家の男性。Facebookの投稿にずっと「いいね」をしてくれていて、ありがたいなと思っていました。「何か応援したいなと思っていたんだけど、これなら手伝える」と言ってくれて、感激でした。大事な商売道具の詰まった荷物を持って、来てくださったのです。
更に、ブログを見て来てくださった方もいらっしゃいました。
『ミミガロル』というキャラクター売り出されている若いご夫婦で、彼らもソチオリンピックに絡めた企画をブログでされていたのです。その名も『ミミガロルinソチ』ソチ在住の女性の協力で、ミミガロルというクマの小さなぬいぐるみと一緒に、写真でソチの街やロシアの文化を紹介するというものでした。
最初、メッセージをいただいてブログを拝見した時に、私はワクワクして「自分もソチに行けるなら、ミミガロルを連れていきたいです!」と返信しました。すると、すぐにミミガロルを送ってくれて、出来ることがあれば協力しますねと言ってくれていたのです。
そんな力強いみなさんの力を借りて、横断幕作りがスタート。しかし、こんな出来事があって云々と伝えるには、きっと遠くから見てもわからないだろうという結論になりました。そこで、横断幕自体はシンプルな形にして、ストーリーはインターネットで拡散するなどして、「後で見た人が何のことかわかる」「何のことか調べたり聴いてくれる」形にしようということに。
上部にロシア語で「ありがとう」を意味する『Спасибо(スパシーバ)』の文字。ミミガロルと妹のミミロンも顔を出し、友人のオリジナルキャラクター「ありが父さん」も描かれました。
最後に、幻想的な音楽の中、入魂の『感謝』の文字が筆で書き込まれていきます。文字が完成したあと、自然と拍手が沸き起こっていました。
あと、1ヶ月…!!
ソチオリンピック開催まで、あと1ヶ月というところ。私は毎日、ロシア行きの準備をしていました。ビザやチケットを目にしたとき、少しずつ実感が沸いてきました。私はソチに行くんだ、と。もう、資金のことはそれほど躍起にならないようになっていました。なんとかなるはずだ、と。
すると、ありがたいことに嬉しいギフトがどんどん舞い込んできました。
ラジオでも今の私の想いを話す機会をもらいました。そして、いつも収録を一緒にしている仲間たちからも、支援金を頂いて背中を押してもらったのです。私がこの企画をやる!と宣言したのも、ラジオがきっかけです。最後まで応援し続けてくれたこと、感謝でいっぱいでした。
更に秋口にスタッフ参加で協力させてもらった会の打ち上げでも、サプライズでリーダーが支援金とメッセージを集めてくれていました。本当に驚き、感激しました。
そして、以前イベントを手伝ってくれた2人が、最後のイベントも一緒に手伝ってくることになりました。その名も【有言実行のススメ】。別名『ソチ企画ありがとう&いってきます』会です。
この企画に応援コメントをくれたり、気にしてくださったり、協力してくださったり…という方々を、一人一人思い浮かべ、イベントにお誘いしました。
そして、こちらも多くの方が足を運んでくださいました。小さな子供ちゃんを連れて、遠くから出てきてくれたり。迷いながら出てきてくれたり。都合をつけて来てくれたり。出発まで2週間無償で身体のメンテナンスをしてくれたセラピストさんは、イベントに皆勤賞してくださいました。他にもいろいろな状況の中、自分に時間を割いてくださり、ありがたいことこの上なかったです。更に残念ながら来れないという方も、メッセージをくださいました。
皆さんのご好意の中、今までの経緯についてすべて話しました。嬉しかったこと、辛かったこと、思い出すと涙が出てしまうようなこと…。包み隠さずに、お話させて頂きました。
皆さんからいろいろな感想を頂いたのですが、中でも嬉しかったのは「やりたいといって、実際に行動出来ているのが羨ましくて、なかなか素直に応援できなかった」という言葉です。それでも、最後にこうして来てくれたこと。私は本当に嬉しかったのです。
なぜこの方をお招きしたかったかというと、私が落ち込んでいる時とはむこうも知らなかったと思うのですが、「僕も刺激を受けてこういうことをはじめたんです」とたまたまお会いした席で伝えてくれたこと。それが私の本当にやりたかったことで、伝わっていたことが本当に嬉しかったからなんです。
やっぱり人は期待してしまう生き物なので、みんながYESではないというのはわかっていても、それなりにちょっぴりもの悲しくなるもの。悪いことではありません。別にかまわないんです、自分の感情が動くことは。私はそうなんだなと、自分のことを受け入れればいいだけ。そんな自分はダメだと裁く必要もありません。(私は当時裁いていましたが…)
だけど、言葉がなくたって、自分はこんなに応援されているのだと実感出来ることは、人生でそうそう出来る体験ではありません。自分は心底、幸せ者なのです。
資金はどうなったかというと…
イベント終了後、2人と一緒に一度全部計算してみようということになりました。流れに任せると決めてから、もう計算しないようにしていたのです。
実はこのイベントに参加してくださった方の中にも、支援をくださった方がいました。なかなか会えず、この日なら予定が合うから…とわざわざ持ってきてくださったのです。(その他にもプレゼントを持ってきてくださった方もいて、感謝でいっぱいでした。)
更に、その前にも年下の友人が「少しでも協力したい」と言って、振り込んでくれたり。また、こちらも100人企画でお話を聴かせてくださった方なのですが、人づてに預けてくださったようで、それもイベントの日にサプライズで受け取らせて頂きました。
そんな感激と感謝と興奮の中、一度冷静に数えてみました。
この企画に必要としていたのは…
航空券 約15万円
ビザ 7800円
ソチホテル4泊 約3万円
女子SPチケット 8万3000円
《合計》27万2000円
※ルーブルを多めに読み、「約」としていました。
そして、実際は…
航空券 13万5959円
ビザ 8500円
ソチホテル4泊 29547円
女子SPチケット 8万5000円
《合計》25万8806円
結果、27万4110円で達成…!!!!!!!!!
「資金なし・コネなしで目的を果たす」ということをお約束した限りは、これを達成するということにこだわってきました。皆さんのパワーをお借りすること、そして一見無茶でも「本当にやりたくて必要なことなら出来る」ということを、証明したかったからです。
頭がぼーっとしました。そして、今までのことや、助けてくれた人たちの顔がぐるぐるとまわりました。ついに、やったのです。
出発まで、あと1週間が迫った日のことでした。
そして、出発3日前。最後の奇跡が、キラキラとその予兆を見せていました。
いざ、ソチへ!!!
なんとか会社の方のご協力を得て、1週間の休暇を取得。ご迷惑をおかけしないように準備をし、初めてのロシアの寒さ対策を考慮した荷造りも済ませて、いよいよ旅立ちの時となりました。
最後のサプライズは、この企画をはじめることに背中を押してくれて、イベントに協力してくれたり、ずっと支えてくれていた女の子が、いろんな方から「いってらっしゃい」メッセージを集めてくれて、前日にそれを見せてくれたことです。そのひとつひとつに、涙が溢れました。
その他にも、メッセージをくれた方々…。今まで応援してくれた方々は私のことをよーくわかっているようで、使命感でカチコチになるのではなく、素直に楽しんでくれば良いという言葉に救われました。
…だというのに、まさかのトラブルやバタバタではじまった、ソチへの出発劇。私はどれだけドラマを起こすんだとヒヤヒヤしながら、無事に予定の飛行機に搭乗。最初にご紹介いただいた、旅行会社の方にお願いしてよかったと胸を撫で下ろしました(笑)。
トルコ・イスタンブールを経由して、モスクワへ。そこで、私が小学生の頃から大好きだったロシア人選手(すでに引退されています)の写真が載った広告を見つけ、ここまで来たんだと感慨深くなりました。モスクワでは、チケットを譲ってくださり旅をご一緒させて頂いている方が、インターネットでお友達になったというロシア人女性に本当にお世話になりました。
そして、モスクワから国内便のLCCで移動です。日本からソチへ、直行便はありません。が、ここでは私がチケットを紛失するという大失態を犯し、状況を説明してもなかなか英語が通じず(ロシアの方はわからない方が多いようです。例え空港でも…)、名前がコールされる中空港を大疾走するという、今となっては笑えるような出来事もありました(苦笑)。
そんな中、本当のようで嘘みたいなやりとりを、ずっとしていました。ミミガロルチームからです。彼らの『ミミガロルinソチ』企画を応援してくれているソチ在住の女性に、連絡をとってくださったのです。彼女はご夫婦の奥様の方のお友達で、横断幕をシェアした際に興味を持ってくれていたので、是非お会いしたいと思っていました。
ただ、彼女は当時妊娠中だったので、体調次第ですよねと話しておりました。が、彼女は想像以上にパワフルな女性だったのです…!!!!
「明日は取材よ」
ソチの中心地やオリンピック会場からは少し離れた場所に、ホテルを予約した私たち。周辺は金額も金額な上に、人気も高かったのです。なので、重い荷物を抱え、電車で移動。電車を間違え、降りる場所を間違え、仏頂面と思われたロシアの方の親切に何度も救われ、なんとかたどりついた頃にはあたりは真っ暗でした。
しかし、私たちには明日がありました。
「あなたのやっていることに感動したから、テレビ局3社にメールしたら、2社から返事が返ってきたわ!取材をしたいらしいんだけど、空いている?」
そんなメールがソチ在住の女性から、届いていたのです。
私たちが滞在していた「Loo(ロオ)」という駅付近には、彼女のお友達が住んでいるらしく、その方が迎えに来てくれました。かわいらしい娘ちゃんも一緒に。
そして中心部の駅では、ミミガロルブログでおなじみのあの女性が、オリンピックジャージに身を包んで待っていてくれたのです。
積もる話もほどほどに、まずは国営放送の取材がオリンピック公園であるとのことで、向かいました。ロシア語で彼女が取材の流れをフォローしてくれて、質問には英語で答えるという形。ドキドキしながら、これまでの経過や横断幕についてのお話をさせて頂きました。
そして、ソビエト時代から続いているという、ケーキ屋さんで一休み。2人とキュートな娘ちゃんが私たちをおもてなししてくれました。更にプレゼントまで頂戴し、お世話になっているのはこちら側だというのに、その心遣いに感動…!
次の取材はソチのテレビ局だそうで、「日ソ友好の庭園」と書かれた日本風の庭園にて行われました。質問に答えるだけではなく、庭を歩く様子などのカットを撮影したり、おもしろい体験もさせて頂いています。こちらはYou tubeの公式アカウントに映像もアップされているので、ぜひご覧になってみてください。⇒https://www.youtube.com/watch?v=XOupeAaXAsw&feature=youtu.be&app=desktop
あれもこれも話さなきゃ、みなさんに助けて頂いたことも伝えなきゃ…と必死になっていると、思ったよりもぐったり。この取材後も休憩しましょうと気を使ってくれて、ティータイム。
私たちもむこうも英語が母語なわけではないので、時には話が通じなくてどうしよう?と首を傾けた結果、パソコンやiPhoneの翻訳機能を使ったり。また変な翻訳結果が出てきて、思わず笑いが起こったり。ロシア料理が本当においしくて、感激したり。娘ちゃんと一緒に遊んだり…。本当に楽しい時間を過ごしました。
見ず知らずの私たちのために、1日を割いて親切にしてくれたソチの3人には、感謝してもしきれません。まるで宝物のような時間でした。
そして夕方。このニュースはソチのテレビで早速、放送されたのです。
更にインターネットの記事も掲載。
これらを実況するようにFacebookで報告していたのですが、今まで応援してくれていた皆さんも、その他の方も、一緒に喜んでくれていたのが、本当に嬉しくて…。
ソチのグレーな海を見ながら、「ありがとうありがとう」と繰り返し、何度も「私は生きてる!生かされている!」と改めて実感するような気持ちでした。
いよいよ、オリンピックパークへ
私たちが持っていたチケットは、女子SP(ショートプログラム)。2日間あるフィギュアスケートのうち、1日目の試合です。2日目のフリーとの合計で順位が決まります。
前日、3人に案内してもらって「スペクテーターパス」は取得済でした。これは会場に入るには必ず必要なパスです。事前にパソコンで手持ちのチケットと、個人情報を登録しておき、これを現地で受け取ります。受け取り場所は、ソチのショッピングセンター内でした。
私が更にラッキーだったのは、旅をご一緒させて頂いた方がインターネットで、オリンピック村で働いている女の子とお友達になっていたことです。彼女がちょうどこの日お休みだということで、オリンピックパーク内を案内してくれることになっていました。
そして電車で移動していると、とても綺麗な英語を話す、アジアンビューティーな女性がこちらにやってきたのです。彼女は韓国籍ですが、生まれてからずっとソチに住んでいるとか。話を伺うに、20代前半でとても聡明な方です。
昨日は何をしていたのという話題に、私はこういう目的があって横断幕を持ってきていて、取材を受けていたんだと伝えました。すると、彼女の目が見開き、キラキラと輝きだしたのです!
「それ、昨日私のママが見たって言ってたわ!!!!」
興奮して、ママに電話している彼女。そして、喜んでいる様子の彼女の母親。私は深く、感動していました。
テレビもどれくらいの方に見てもらえているか、わからない。だけど、こうして目の前で見たという話を聴いて、こんなに喜んでくれているのです。ちゃんと、目の前のロシアの方に伝わっていました。
嬉しいことに更に彼女は続けました。
「昨日もオリンピック村のスタッフの中で、話題になっていたのよ。あなたはロシアンスターよ!!」
そこまでではないはずなんですが(苦笑)、でもこれで確実に複数の方に伝わっているのは事実です。大きな確信と喜びをもって、パークへ向かいました。
駅を降りると、五輪のマーク!感慨もひとしおです。入口にむかって、電車を降りた多くの人が階段を下っていったり、途中で立ち止まって写真を撮ったり…。
オリンピックパークはゲートでパスとチケットのチェックがあります。チケットのバーコードと、首からさげたパスを機械に読み込ませることで、ゲートが開きます。
そして、拡がるオリンピックパーク!夢にまで見た場所です。オリンピックのスポンサーが運営するパビリオンが並びます。車のメーカー前では大きなアトラクションが設置されていて、列を作っていました。また、ある会社ではロッククライミングが体験出来る施設もありました。
各国のパビリオンもあって、ロシアはいちばん人気。韓国は次回冬季オリンピック開催国ということで、ピョンチャンオリンピックのPRをしていました。私もちゃっかりバッチをゲットです。日本は2020年の東京オリンピックの周知を兼ねて、自分の写真が印刷されたポストカードのプレゼントをしていましたよ。こちらも人が集まっていました。
パーク内のメイン通りを渡ると、左手側にロシアの公式ユニフォームを手がけるメーカーの大きなショップ。ステージでは賑やかな民族音楽とショーが行われており、更に奥に行くと、聖火台です。
日本で見た、開会式の一幕。火の鳥の曲に合わせた、聖火点灯の瞬間。目の前に大きく、そびえ立っていました。近くにいくと、燃える音がゴーゴーと聴こえます。この感動を伝えたいと、動画をとって、即座にFacebookへアップしたほどです。
その周りを囲む国旗。日本とロシアは隣同士でした。何か意味のあることのように思えてきました。私はここまで皆さんの気持ちを運んできて、夜、そのミッションを果たすことになる。それがとても責任重大であるということを、改めて感じていたのです。
そして、フィギュアスケートの会場・アイスバーグスケーティングパレス前。いよいよです。
感謝を伝える横断幕を持って、記念撮影。
…していると、なんと人が集まってきました!自分たちも一緒に撮りたいと、言ってくれているのです。「テレビで見たよ!」と声をかけてくれるお客さんもいました。
ミミガロルチームからの紹介と繋がりがなければ、テレビ取材はなかった。もっと言えば、あれも、これも…。遡っていけばキリがありません。どのピースがなくても、このような状況はありえないわけです。
確かに目に見える形で、言葉も通じないような国の方に、こうして想いは伝わっているのです。私が目の前の行動をしただけではどうにもならない、たくさんの人の想いやエネルギーがそうさせていると、感じざるを得ませんでした。
横断幕を設置、そしてオリンピック観戦
スタッフ友達に手をまわしてくれたり、半日以上思い切りパークを楽しませてくれた女の子と別れ、私たちは会場へ。こちらでもチケットとパスのチェックがあります。
席は2階の1列目。手は尽くしてきたつもりですが、もし禁止されてたりしたらどうしようとドキドキしつつ、目の前に横断幕をセットしました。
すると、ロシアの方が話しかけてきて、ドキッ…!!何を書いているか説明すると、納得して去っていかれて安心。
まもなく、また今度はロシア人スタッフが声をかけてきて。今度はなんだ??と思ったところ、テレビで見たということだったのです。そして、一緒に写真を撮ってほしいとのこと。本当にニコニコしながら気持ちを伝えてくれて、胸がいっぱいに…。
日本で見てくれている方のためにも、ちらっとでも良いから、テレビに映るといいなぁと期待しつつ、試合開始と同時に応援に集中しました。オリンピック観戦は20年越しの私の夢です。お金持ちしか出来ないことだと決めつけていました。空想したあの光景の中に、私がいさせてもらっていることを感謝し、味わおう、と。
結果、日本の選手たちにとっては、この日はとても物悲しいものでした。夜の聖火は、少し切ない色。会場の外ではインタビューのカメラが待っていて、「明日は悔いのない演技を」としか答えようがなく…。
選手1人1人の人生を生きてほしいと思いながら、会場をあとに…。日付はすでに翌日、フリーの試合当日へ変わっていました。
最後のミラクルをお知らせします
一方、日本ではたくさんの方が横断幕を探してくれていたようです!Facebookには、試合前から「探すね」「楽しみにしてるね」「起きて準備してる」と、たくさんコメントを頂いていました。テレビに映るかどうかはわからないことだけど、大きなパワーになってくれているような気がしていました。
そして、どうやらテレビにも映ったようで!
実際に見つけてくれた方から、報告もたくさん頂きました!すごく嬉しかったです!私がどういう想いを込めて、何を伝えたくて横断幕を作ったかということをわかってくれている方々だということですから…。
そして、SPの日。私のもうひとつの夢が、別の場所で叶おうとしていました。
出国3日前のことです。
100人企画にも参加してくれた同い年の友人。彼女が記事をシェアしたことで、この企画を知って、応援してくれているフィギュアスケートファンの女性がいました。タイミングが合わず、出発前には会うことは出来ていなかったのですが、チケットをずっと探してくれていたのです。
そして。
『フリーのチケット譲るって、Twitterに書いている人見つけたよ!!!連絡してみて!!!』
そう、フリーはメダルのかかった試合。ここで全てが決まるのです。しかもフィギュアスケート、特に女子は大人気競技。冬季オリンピックの中でも、いちばんではないでしょうか?
実は、私はずっと諦めていました。この企画のミッションさえ達成出来れば良いと。
でも、本当に本当に「個人的な夢」。それがメダルが決まる瞬間に、そこにいることでした。
会社の休憩時間を使って、即座に連絡をとりました。旅をご一緒する方も、本当はフリーも行きたいとおっしゃっていたし、ちょうど2枚あると書いてあるのです。すると、電話してくださいというお返事。2枚で約20万円という大きな金額なので、慎重に取引したいとのこと。
必要なことは、すべて上手くいくと信じていました。1万5千円多く頂いた資金をこちらにまわさせて頂き、あとは節約生活で残した分、その他お給料や支払いのタイミングも上手くいって、お金もなんとか用意が出来ました。本当に綱渡りでヒヤヒヤしましたが…。
出国直前までこまかなやりとりは続き、SPの日、私は現地でフリーのチケットを受け取りました。感謝をひたすら伝える私に、譲ってくれた方はこう言いました。
『このチケットは、角谷さんを選んだんですよ。』
まるで、神様からのプレゼントのようでした。
何よりも、こんな個人的な夢が叶ったことも、一緒に喜んでくれた方々がいたこと。本当に幸せでした。
ここに生きた
ドキドキしながら、翌日も横断幕を持ってオリンピックパークへ向かいました。どうやらロシア国内用のチケットで、中に入れるまで実は不安だったのです(笑)。
今回は1階席。横断幕をかける場所を定め、2人で悪戦苦闘していると、他の国の方が手伝ってくれました。その様子を日本人のおじさまが見て声をかけてくれ、写真を撮ってくれました。どうやら一人で来られているようです。
「浅田選手、今日だけでもパーフェクトな演技が見たいですね。」
そう言って別れました。
著者の角谷 舞さんに人生相談を申込む
著者の角谷 舞さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます