【襟裳の森の物語】第七夜
〔合唱組曲『襟裳の森の物語』終章〕
終章は明らかに,序章後半部と関連付けられていた。明るく穏やかな三拍子のピアノは,前章で解きほぐされた大ホールの表情をさらに輝かしいものにしていった。
木内宏治さんは,終章を歌うに際して,合唱団に一つの注文を出していた。それは,表情へのオーダーだった。とにかく穏やかに。明るくではなく,穏やかに。明るくしようとすると,どこかに力が入ってしまうものだが,作曲者は,生命の喜びや人間の素晴らしさを歌う時に,押し付けがましさを一切排除したかったのだろう。だから私達は,肩から力を抜いて歌うことに努め,務めた。
終章『人,地球,そして緑に幸あれ』
地球は回って 風は吹いて
雪も降って また解けて春が来て 夏がくる
地球は回り続けて 時は過ぎても
襟裳の岬の緑 よみがえる
ハマナスは揺れ 鳥たちは舞う
ここに人間の智慧 ここに人間の勇気
襟裳岬の 砂漠を覆う緑 人々の喜びと誇りに幸あれ
喜びと誇りに幸あれ AH〜
最後のロングトーンは,合唱団にとって最も体力を要するものだった。途中で息を継ぎたくなるのをこらえ,音程が下がっていくのを,腹筋と背筋を使って阻止した。最後の数拍,全身の筋肉を総動員して,体中のすべての空気を出し尽くさんと,合唱団は踏ん張った。
私達の奮闘を祝福するように,指揮者は満面に笑みをたたえ,それに合わせるかのようにピアノがアッチェレランドをしていく。そしてついに,最後の一音が,消えた。指揮は止まり,ピアノは存在を消した。合唱団からは,はぁはぁという,せわしない呼吸の音が届いていた。
会場は割れんばかりの拍手に包まれた。指揮者は聴衆に向かってにこやかに一礼すると,私達の方に向き直り,両の手を合わせて我々にアピールした。それは独りで模した握手だった。指揮者と奏者,表現者と聴衆が握手で結ばれていくということを表していると,私は理解した。
そしてその握手は,襟裳の人々と日本全国の,日本と世界のつながりを強固にすることをも願っているように感じられたのだった。
大きな拍手は,その後数分間続いた。一旦退場していた指揮者は,同じく退場していたピアニストを伴い,再登場した。再び湧き起こる地鳴りのような拍手の中,私達は木内先生の唇を注視した。先生の唇は
「終章!」
と動いた。
私達はアンコールに応え最後の力を振り絞って終章を歌い,聴衆とともに,大会と合唱組曲『襟裳の森の物語』の成功を祝ったのだった。
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