リメンバー

2日前の3月9日、新幹線で東京に向うため、栃木県宇都宮市を発った直後のことでした。巨大な雲がちょうど東北東、つまり福島太平洋側から覆いかぶさったのを不審に思っていました。あまりこの季節にあるような形状ではなく、異様な威圧感を感じ、おもわずデジカメのシャッターを切りました。
その日は、東京・大崎 Naverまとめの取材。LINEの発想が生まれる直前のことです。5年前にネットエイジで同種のサービスを立ち上げたことがフラッシュバックしたせいか、頭がくらくらして既視感のよう。ただ、時代が求めているサービスであるし、作り手の気持ちがひしひしと伝わるので、きっと世間に受け入れられ成長するだろうな、と思ったんです。
それからその日は、TechWave関係者初の懇親会カラオケの日。念願のイベントでわくわくしていたはずなのに、なぜか無性にかなしくて胸騒ぎがおさまりませんでした。
日頃はゼロ歳のアズにゃんの育児と仕事に追われ、息つく暇もないので「気が抜けきれてないのかな?」と疑問に思ったのですが、車中の雲といい、レミオロメンの「3月9日」のような別れをおしむ歌ばかりリクエストする自分がコントロール不能のように思えました。
3月11日は朝から爽快でした。
気分がいいので、アズにゃんを連れて梅の花をデジカメで撮影したり、近所を散歩したりしていました。
アズにゃんも遊び疲れたのかミルクを飲んだらすぐに寝てしまったのです。
地震が発生した時は、実家のリビングで仕事をしていました。
28インチのブラウン管のテレビが、宙を舞い、棚やソファーが襲いかかってきました。
アズにゃんの寝ている部屋は、事前に棚などを全て排除していたため、それほど不安はありませんでしたが、彼女を守り、しかしこの恐怖を味わせないよう、なるべくおこさないように努力しました。
心配なのは、実家の隣の母の店でした。
高価なバイオリンなどが大量に陳列してあり、仮にそれが全滅したら莫大な損失になってしまいます。
しかし、母はこの1年間で震災対策を強く求め、自分が対策工事をしており、その効果がありまったくの無事でした。
それより、その時、車で外出していた母は「車がいうこときかなくなり、信号もとまっちゃったのよ」と気丈に、しかし平然と戻ってきてほっとしました。
テレビをつけると震災被害の範囲の広さに驚き、呆然としました。
息子が近所の小学校から帰ってきた時は、「先生のつくえがひっくりかえった」と恐怖に硬直していたのを覚えています。彼の通学路は石の壁にかこまれていて、登校班のまちあわせ場所の壁には数百キロの石がころげていました。
それから宇都宮あたりは、毎日震度5の地震が何ヶ月も続いていました。若干疲弊してはいましたが、家族が一体となり、子供たちを、地域を守ろうとしていることで不安を払拭することができました。
残念に思ったのは、Twitterであるとか、ネット上の盛り上がりと現場や付近で支援をする動きにあまりにも乖離があったことです。
当時、被災地近辺の道路は封鎖され、高速道路には検問が設けられましたが、無線で現地から「誰もきてくれない」という救急メッセージを受けた栃木県の地元民が、こっそり突破口を開き、率先して救助しにいったりしていて、最終的には全国の支援者が「栃木だけは大丈夫だ」と現地入りしていきました。
現地入りした人同士の口コミ情報はデモも多くありましたが、無線で得られた情報は正確のようで、米軍が強行着陸したこととか、栃木県民の支援村が豪華過ぎてDISられたとか、すごいニュースをはじめ、どこで救助が求められているという話は的確に伝えられたと思います。もちろん、もっともっと悲惨な話もききました。
ただ、ネットで拡散してるのは、「世界が心配してくれている感動」とか有名人による「知り合いの○○さんが、○○をさがしている」という情報ばかりで、現地のことなんて何も拡散しませんでした。なんで、こんなひどい状況なのに感涙とかいみわかなんと思いましたが、知らない人は想像力もはたらかないんだな。
そりゃそうですよ、電話もネットも被災地にはなく、無線のバケツリレーしかないんですもの。
だからネットの可能性は認めるものの、大衆は自分ごとだけしか認知しないことも改めて理解することとなりました。
事後の復興にはネットはコミュニケーションツールとして大きく貢献したと思います。ただ、当時のことを思い出したり、文献をよんだりすると、現実とは乖離しているんだと感じます。
淡々と当時の記憶を思い出しましたが、大切なことはやはり「小さなひかり」なのだと思います。声が大きな人の発言や、自分が感じることではなくて、雑踏にうもれてしまいそうな「小さな声」。それらに耳をすませ、時には立ちどまり、その人の立場になって考えること。
自分だけ興奮して前のめりになって、結果として誰かをおしのけてしまってないか。前のめり同士で村をつくって、気持ちよくなってしまっていないか。
おそらくあの日の雲は、まだ私たちの中にあって、霧消するのを待ち続けているのだと思います。
私たちにできるのは、どんな小さな存在とも手をとりあい、共に霧や雲の中を歩き抜くことだと思うのです。

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