俺が財閥の家庭教師だったときの話2

前編: 俺が財閥の家庭教師だったときの話1
後編: 俺が財閥の家庭教師だったときの話(終)

そして、俺は豪邸の2階に案内された。

そこには中学生の女の子がいた。

部屋にはベッドが置いてあり、なんと「ちびまるこちゃん」のはなわくんのベッドのような感じで屋根がついていた。

とにかくこんなすごいお嬢様がわが街にいたとは…。

思わず「貧民窟出身下層階級の家庭教師、みかみです。」と自己紹介しそうになったほどだ。


とにかく俺は一生懸命に授業をした。

もうこれでもかというくらい大げさに褒めて、そしてできるだけ楽しい授業を命がけでやった。

授業が終わって、子供が親御さんに報告するはずである。

「この先生よかったよ。」または「この先生いやだ。」

そして、その子供の印象1つで俺は、元の貧民窟にもどるのか、このお金持ちの家庭教師として生きていけるのか決まるのである。


授業がすんで親御さんに報告に行った。

「終わりました。」

「じゃあ、明日もお願いします。」

へっ?

ちょっと待って。

子供さんに俺の印象聞かないの?

いきなり採用?

こんなに汗ダラダラで一生懸命にやったのに?

最初から内定なの?


ははーん。

この展開の早さはカメラで見ていたのに違いない。

レンズ越しでも伝わったか、俺の熱さと子供さんの笑顔が。


とにかくよくわからないが、明日も行けることになった。

つまり俺はお金持ちの家庭教師として認められたというわけだ。

今日から俺はお金持ちの家庭教師になっちゃったのだ。

誰かが「お金持ちの家庭教師さーん。」と声をかけようものなら、満面の笑みで「はーい♪」と振り返るだろう。


そして大事な大事なまさに俺の生活を支える重要な質問をしなければいけなかった。

家庭教師を始めたばかりの頃は、1時間3000円だった。

それくらいないと生活できないし、1時間3000円がフルに埋まっても10万円くらいにしかならない。

いくらお金持ちとはいえ、お金の話だ。

機嫌を損ねたらアウトなのだ。

慎重に慎重に…


「すみません。1時間3000円なのですが、よろしいでしょうか?」

「はい。お願いします。」

「それでどのくらいの頻度でお伺いすればよろしいでしょうか?」

当時まだ俺には生徒が二人しかいなかった。

おそらく月に4万円くらいしか収入がなかったように思う。

もちろん、4万円で生活できるはずがない。

できれば、あと3万円、最低でも2万円は欲しかった。

週2回以上呼んでもらえれば、本当にありがたい。



返答は予想だにしていないものだった。





「来れるだけ来てください。」



は?

今なんですと?

「俺が貧乏過ぎて、幸せ願望による幻聴が聞こえたのかもしれない。」

確認せねばならぬ。

確認せねば…

「あの来れるだけってどういう意味でしょうか?」

「毎日でもいいです。来れるだけ来てください。」


…もうダメ。

生きていけることが確定した。

天国モードに召されてしまった。

なんで?

なんなの?

来れるだけって。

俺が生きてきたその日までのボキャブラリーの中に、「来れるだけ来てください。」そういう言葉はなかった。


どんなに落ち着いた振りをしようとも、生きていけることが確定した俺にニヤける顔を隠す術はなかった。

会社をやめて、不安で仕方がなかった日々に終止符が打たれた瞬間だった。


ところだが…

ところが、この俺に新たな天国モードが押し寄せてくるとは、幸せの絶頂にあった俺に知るよしもなかった。




俺ってどこまで運がいいのーーーー?

その日以来、俺はお金持ちの家庭教師として、毎日せっせと仕事した。

あまりの仕事っぷりに、じわじわ口コミが広がって来た。

でも、俺はお金持ちの家が好きだった。

だって、豪邸の家庭教師なんて、なんか王女様を教えているエリートっぽくてよくない?

すごい家に選ばれているという選民感が半端なかった。

家の中も、とにかくすごくて、「ああ、いつか俺もこんな家を買いたい。」という欲望が湧いてくる日々を過ごしていた。


そんなある日、マダムに尋ねられた(いつのまにかお母さんの呼び名はマダムに昇格)。

「せんせ~。家庭教師探してる人がいるんだけど、いい先生がいいんだってっさ。先生にお願いしてもいいかしら。」

「いえいえ、僕はお宅にお仕えする者で、他の家には興味はございません。マダム。」

「でも、その家はウチなんかと比較にならないくらいお金持ちなんですよ。」


えっ?

まだ上あるの?

雲より上に空気あるの?

この家よりお金持ちってだあれ?

少なくとも貧民窟に生きてきた俺とは、アナザーワールド。



…知りたい。

「あっ、紹介してください。」

でも、その家を紹介してもらうということは、この家に来る日にちが減るということ。

せっかく子供さんとも慣れて、成績も上がって来たのに、ここで簡単に授業を減らしてもいいものか?


俺は悩んだ。(ウソつきました。本当は1秒もいらなかった。)

俺には愛もあるけど、お金の魅力の方が少し勝っていた。

愛とお金を数学的に書くと…


愛<<お金


おっと、数学的に書くのは心を見透かされるようでマズい。

とにかく、俺は早く俺の仕事を軌道に乗せる必要があったのだ。

紹介された家に行ってみた。

今度は緑の洋館だった。


玄関の前にこま犬のような置物が二つあって、洋館の横にはゴルフのグリーンが作ってあり、練習できるようになっていた。

外にはキャンピングカーとかレーシングカー、他にも車が数台あった。

でも、何よりも一番驚いたのは2階の玄関まで至る階段の両サイドにお中元が積み重ねられており、俺の身長くらいのお中元の壁の間を縫うようにしなければ入り口まで到達できなかったことだ。


否応無しにテンションはヒートアップだ。

今度の生徒は中学生の男の子だった。

とにかく全力で教えるのみ。

喜んでもらえるように、全力で授業した。

そして、この日から俺の授業料は3000円から6000円にアップしたのだった。

(これで生きていけるだけじゃなく、生活潤いが得られたことが確定した)

1時間6000円になった俺の授業料の影響で、俺のところに依頼が来るのは金持ちの人ばかりになってしまった。


そんな俺に悲しい別れがやってきた。

マダムのお家が東京に引っ越すことになったのだ。

俺への最後の依頼は、娘さんを東京の私立の中学へ転入させることだった。

ほぼ1ヶ月ずっとマダムの家に通いつめて、娘さんは無事合格した。

それはうれしいことである反面、悲しい別れでもあった。

そして、家庭教師生活前半の俺の生活を支えてくださったマダムの家族は、東京へと旅立たれた。


俺の一番のお得意様は、緑の洋館の主、エンペラーへと変わった。

エンペラーは長者番付などで毎年新聞に載っている人で、とにかく豪快な人だった。

いつも笑っていて一緒にいて感動するばかりの日々であった。


エンペラーの家を核にして、口コミでどんどん生徒が増えていった。

その頃は、先生も一人だが雇えるようになっていた。

1時間3000円もらって、1500円を支払う。

何もしていないのに、残りの1500円は俺の取り分。


おほほほーーーー。

おいしーーーーーー。ペロペロ。

サラリーマンしか知らなかった俺には、衝撃的なお金儲けの方法だった。

でも、ちょっと罪悪感だった。


ある日。

突然マダムから電話がかかってきた。

「せんせー、知り合いの人を紹介したいんだけどいいかしら?」

「知り合いってどこにいるんですか?」

「うん?東京。」


東京ってお前!

行ける訳ないだろうーが!!!


と思いながら、「ああ、遠いですね。東京まで行ったら僕、赤字になっちゃいますから。」

「ああら、せんせー、大丈夫よ。その家お金持ちだから。」

「あっ、行きます。」

もう何がなんだかわからない。


とにかく飛行機のチケットをとってもらって、俺は羽田へ飛び立ったのだった…


もちろん続くのであった。

続きのストーリーはこちら!

俺が財閥の家庭教師だったときの話(終)

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