俺が財閥の家庭教師だったときの話(終)
実は俺はそのときが初めての国内線だった。
羽田にも行ったことがなかったので、そもそも羽田と成田の違いさえわかっていなかった。
とりあえず空港に着いたので、マダムに電話した。
「ああ、せんせー着いたのー?」
数分後にマダムのBMWが現れた。
車の中でマダムの説明を聞きながら、最初の家庭教師をこなした。
たしか半日くらいだったような気がする。
授業後に送迎車の中でマダムがこうおっしゃった。
「ついでにウチの子供の勉強も見てもらっていいかしら。」
もちろんです。
確か2~3時間だったと思うのだが、なんかちょっとお姉ちゃんになった感じがした。
その後、マダムに渋谷の焼き肉屋さんに連れて行っていただいて、事件は起こる。
なんとマダムとご令嬢二人、そして俺。
俺はさすがに遠慮があったので、少ししか食べなかったしビールも1本しか飲んでいない。
最後のお会計は誰が払うの?
ってことになるじゃん。
だって男は俺しかしなんだから。
今さっき頂いたありがたいお金を使わないいけないよね。
日本男児として。
あのくらいの量だったら7500円から9000円の間に収まるはずだ。
「マダム、お会計僕にさせてください。」
「いいって、いいって。先生は今からがんばって働いてね。」
「いや、僕が…」
「お会計8万3千円になります。」
…お前バカか?
なんでこれだけで8万3千円やねん。
8万3千ウオンの間違いじゃないのか?
俺の愛する近所のだるま食堂だったら、40人分やんけ。
さっきの牛が8万円?
皇居の中で飼ってたんか?われ?
皇族牛?
その金額を聞くやいなや、マダムが俺に
「せんせー、おごってくれるの?」と笑いながら言って来る。
「…無理でした。ごちそうさまです。」
家庭教師代より高い焼き肉。
というよりも、おそるべし渋谷の焼き肉。
それから俺は山口に帰って、この焼き肉の話をことあるごとにして回った。
「おい、お前、渋谷の焼き肉屋さんの値段知ってる?」
あのときよりはリッチになった今も、渋谷の焼き肉屋には行っていない。
間違って入ってしまったら、俺は迷わずにキムチと白米だけ食べて帰るに違いない(でもおそらく1万円くらいしそう)。
このあと、マダムから始まったお金持ちの家庭教師は、紹介の連鎖が始まった。
「すっごくいい先生がいるらしいよ。」
「ポケットに赤ペン一本だけしか持って来ないんだって。」
尾ひれがどんどんついて紹介されていく。
期待値のハードルがプレッシャーとして増していく。
しかも紹介される度に、わらしべ長者のようにお金持ちのグレードも上がって行く。
「エビスガーデンプレイス」
「隣の住人が芸能人」
「エレベーターが開いた瞬間に玄関」
「必ず置いてあるグランドピアノ」
「不必要なほどの家族の写真立て」
知らない世界にも慣れてきた。
お金持ちから人気が出てきた俺だったが、塾に転換する日が近づいて来た。
そして俺は、すべての家庭教師をやめた。
ある日を境にして。
俺は「愛をこめて、みかみ塾」を地元に立ち上げたのだった…
そして俺は全ての家庭教師生活にピリオドを打ち、塾の仕事に集中した。
そう、2年半で生徒数が600人まで増えた俺の快進撃が始まるのである。
とにかく俺に休みはなかった。
週に7日間、びっしり授業がはいっていた。
もしも、俺が病気になったら補習を入れる予備の日さえどこにもなかった。
数ヶ月後、マダムからの電話が鳴った。
「せんせー。お元気?」
「はい。おかげさまで。あのときの焼き肉ごちそうさまでした。」
「それがねえ。せんせ。いい家庭教師を探してる家があるんだけどどうかしら?」
「いえいえ。僕、もう家庭教師やめたので。」
「でもね、せんせ?普通の家じゃないわよ。」
「ああ、僕、今の生活に満足してるんで。もう塾に集中します。」
「あの○○財閥よ?」
「あっ、行きます。」
見てみたい。
頂点の世界を…
生徒のみんな、すまん。
そこからの行動は早かった。
てゅるるるる てゅるるるる
「はい、みかみ塾です。」
「ああ、僕だけど。」
「みかみ先生、どうされました?」
「実は階段から落ちて入院することになっちゃって…」
「えー?どちらの病院ですか?」
「あー、心配するといけないんで、大丈夫。申し訳ないんだけど、あとの調整お願いねー。」
ガチャ。
やってしまった。
罪悪感。
しかも俺が授業を休むなんてことは今までなかったから、緊急事態の空気がたちこめる…
次の日、俺は羽田空港にいた。
そして黒い車がやってきた。
ロールスロイスだ!!!
お金持ちの送迎にはすでに慣れていた俺も、さすがにロールスロイスにはぶったまげた。
テレビに出てくる世界のように、白い手袋をした運転手さんが下りて来て、ドアを開けてくれた。
俺、どんだけすごい????
俺はお金持ちの家庭教師として、堂々たる振る舞いをするように心がけて来たのだが、さすがに限界だった。
「う…運転手さん。」
「ぼ、僕、こんなすごい車乗るの初めてなんで、ボタン押してみていいですか?」
車の中にはいろいろボタンがあって、どうしても押さずにはいられなかった。
ビーーン、グワーーン。
一つ一つを運転手さんに教えてもらいながら、ボタンを押してみた。
そして目的の家に到着した。
これが…
想像していた家と少し違っていた。
なんかこういくつかの家がくっついて一つになったような感じだった。
もちろん、富豪の佇まいだった。
奥様が出て来られた。
お金持ち特有のオーラ全開だ。
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