雑誌を作っていたころ(55)

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アメリカ出張


 多田さんの鞄持ちとして、2000年と2001年にアメリカに出張した。東京電力に依頼されたレポート作成の仕事がメインで、それにいくつかの細かい仕事が加わっていた旅行だと記憶している。ぼくはそれまでヨーロッパには何度か取材で出張していたが、アメリカ本土はこれが初めてだった。リコーのデジカメで張り切って写真を撮りまくったのだが、残念なことに帰国後しばらくしてコンピューターのトラブルと勘違いによるミスでほとんどの写真が失われてしまった。


 2000年の出張では、シカゴ→ボストン→フィラデルフィア→ダラス→オースチン→ロサンゼルス→サンノゼを飛行機とレンタカーで回った。2001年はサンノゼを中心に西海岸というコースだった。幸いなことに2回目の出張でサンノゼに到着してからの日記が残っていたので、奇跡的に難を免れた写真とともに再掲してみよう。


2001年3月2日

 午前9時35分、AA128便で定刻サンノゼ着。天気は雨模様。それほど寒くない。

 飛行機では合計3時間くらい眠れた。多田さんが交渉してドアサイドの席を取ってくれたので、前が広々していて助かった。隣にはアメリカ人の大男が座ったが、気さくな人だったのであまり神経を使わずにすんだ。

 機内で見た映画「ペイ・フォワード」は良い映画なのだろうが後味が悪い。続けて「チャーリーズ・エンジェル」を見る。日本でもテレビでやっていたのは知っていたが、実際に見たのは初めて。キャメロン・ディアスが可愛かった。

 入管後バスで空港ターミナルへ行き、バスを乗り換えてハーツのオフィスへ。レンタカーの予約がまた通っていない。ハーツの予約システムはどうなっているのだ。前回は日本からの電話予約、今回はインターネットだが、どちらもスムーズに行かなかった。しかし、借りられたフォード・エスケープというRVは、まっ黄色の新車で、新しい匂いがぷんぷん。運転もしやすくて、ご機嫌だ。こういうのを怪我の功名というのだろう。モロベイまで多田さんと交代で運転する。天気は雨、曇り、晴れ、濃霧が交互に登場する神経質な空模様。

 目的地に到着した。ここは「モロベイ」というより「カユコス」といった方が正確なのだろう。去年の年末に行って年賀状の写真を撮った場所に着く。早速モーテルを探し、可愛い女性が1人でフロント業務をやっているShoreline Inn(1-805-995-3681)に投宿。キングサイズのベッドだが、冷蔵庫はない。なぜか多田さんの部屋だけに電子レンジが置いてある。お風呂は途中からお湯が水になった。アメニティが石鹸だけしかないので、久しぶりに石鹸で洗髪する。予想通り、朝起きたらバリバリ。もしかしたら昔のような硬い髪を取り戻すためには石鹸洗髪がいいかもしれない。

 年賀状に使ったモロベイの酒場Schooner's Wharf(1-805-995-3883)は、2階のバーがいい。こだわりのマスターがやっている常連客ばかりの店だ。揚げたてのカラマリを肴にコロナビールを2本飲む。テーブルが2つ、あとはカウンターだけだが、地元の人の社交場になっているようだ。金持ちそうな人は見かけないが、みんな幸せそうだ。インテリアは船に関するものばかり。天井には漁網が張ってあり、カウンターのフットバーは、大型船のアンカーチェーンという凝りようだ。

 夕食はホテルの斜向かいにあるピザ屋で。12インチのチーズピザにアンチョビのみのトッピング。素朴な味で、うまい。これで満腹となったので部屋に戻る。

 早速メールチェックをと思い、モバイルギアを取り出す。しかし、前に電池切れでメモリーをリカバリーしたときに、AT&Tのセッティングが飛んでしまっていたことをすっかり忘れていた。その他のプロバイダはアクセスポイントがわからない。国際電話で接続する手もあるのだが、このモーテルの電話はローカルのみだ。しかたなく、メールは断念。電話帳のイエローページを探して、何かいい手はないかと読み進むうちに、いつしか寝入ってしまった。


3月3日

 寝たのが早かったので、いくら疲れていても自然に目が覚めてしまう。7時には起きて、ベッドの中でぐずぐずする。ベランダの向こうに広がる太平洋は、朝の波。ここのカモメはよく人に慣れているらしく、ベランダのすぐ前まで飛来する。宿泊客が餌付けをしているのだろうか。

 素晴らしい天気に誘われるように、南のモロベイまで朝飯を探しに行く。こぢんまりとしたカユコスとは違い、モロベイは立派な漁師町だ。漁船とクルーザーが仲良く港に鎮座している。

 Coffee Potという店に入る。窓の上、キッチンカウンターの上にアンティークというか古道具のコーヒーポットがずらり。なかなか見物だ。注文はお代わり自由のアメリカンコーヒーと、カリフォルニア・ベネディクト。ポーチドエッグ、アボガド、ジャーマンポテトが空腹に沁みる。このベネディクトという料理、なぜ日本で見かけないのだろう。

 食後はドライブ。モロベイの目印は、すぐ沖にどんと座り込んでいるモロロックという丸い巨岩と、それに向き合うような火力発電所の3本煙突。どちらもでかい。

 モロベイには広大な州立公園があって、中ではオートキャンプやピクニックができる。自然歴史博物館も併設されている。

 モロベイから海岸沿いに北上するとサンシメオンに着く。ここの近くには、新聞王ハーストの屋敷が記念館になったHearst Castleがある。正式な名称はHearst San Simeon State Historical Monument(1-805-927-6811)だ。

 でっかい屋敷であることは間違いなく、公開されている部分を全部見るには、都合4回のツアーに参加しなくてはならない。早速ひとり10ドルの切符を買って11時10分のツアーを待つ。

 ツアーはバス1台分の観光客が1単位。バスで山頂の屋敷までくねくねとした山道を登っていく間、サファリパークのノリのテープを聴かされる。バスを降りると、いよいよ見学開始。よくしゃべるガイド氏の説明を聞きながら、屋外プール、ゲストハウス、屋敷の1階部分、屋内プールと見て見学終了。またバスに乗って帰る。と書けば簡単だが、所要時間は1時間半。結構歩かされる。広くてでかいのだ。プールはどちらも個人宅のスケールではなく、日本の公営プールをもしのぐ大きさだ。

 しかしながら、所詮、成金のお道楽。世界中から集めてきた彫像やタペストリ、絵画、スタッコが何の統一感もなく物量作戦で並べられている。屋敷のデザインも、部分を見れば贅沢で素敵なのに、ほかの場所との統一感がとれていない。

 腹ペコになったので、カンブリアという町で昼食。Cambria Old Stone Station(713Main Street Cambria)は床も内装も天井もウッディーな店。チャイニーズ・ベジーハンバーガーを食べる。ソースがよく、マッシュルームもちゃんと香りがする。おみやげを人形ばかり売っている店で買う。

 ホテルに戻る。多田さんがすっかり温泉に行く気をなくしているので、ホテルでのんびり過ごす。バドライトが山ほどあるので、時間を潰すのは苦にならない。2部屋隣の人がカモメをベランダに呼び寄せて、隣の夫婦がそれをビデオに撮っている。まねしてナッツをベランダの手すりに並べたら、なるほどすぐにやってきた。デジカメでアップを撮らせてもらう。カモメの足が3本指で、すべて水掻きになっていること、しっかり観察する。多田さんからは餌をやってはいけないと注意される。反省。

 洗面台でモバイルギアを使うのが一番便利と判明。椅子を移してくる。ホテル住まいで原稿を書くのなら、これくらいの頭は使わなければなるまい。書くだけで暮らしていけるようになったら、そうやって工夫しながらアメリカやヨーロッパを旅から旅で回ってみたいものだ。

 夕食。Schooner's Wharfのすぐそば、というよりはCayucos Pierの付け根にあるPier Cafe(1-800-995-2032)でシーフード。生牡蠣、プロンカクテル、牡蠣のシチュー、カラマリ・ステーキ。飲み物はカリフォルニアの白ワイン。堪能するが、やはりシーフードは高い。でも、日本でこれだけ食べたら、2人で2万円近くはいくところが$96.03。$50を2枚出して"Keep change"のつもりでいたら、多田さんがその上に$20を乗せた。チップが少ないそうだ。$16の借りである。そうそう、カンブリアのガソリンスタンドでも$10借りたんだっけ。


3月4日

 天気は雨模様。がっかりしながらホテルをチェックアウトし、朝食。カユコスの町にも何かあるだろうと見たら、Sea Shanty(1-805-995-3272)を見つけた。天井一面にキャップ、つまり野球帽が飾ってある。ものすごい数だ。テーブルには金魚。テーブルとカウンター。たっぷりのコーヒーで目を覚ます。

 天気が悪いので温泉の下見を諦め、海岸沿いのカリフォルニア1号線を北上する。サンシメオンを過ぎると、道路は典型的な海岸のくねくね道となる。右に山が迫り、左は海。雨、風ともに強くなり、時折車が動揺する。

 ホエールウォッチングの名所、ビッグ・サーの近くで落石を避けきれずに踏んでしまったら、激しい振動。車を停めて見てみると、右前輪がパンクしていた。激しい風雨の中を多田さんと2人でパンク修理。約15分、格闘する。

 モントレーのハーツでタイヤの交換を頼もうと思ったら、規模が小さすぎて無理。諦めて多田さんお薦めの昼食へ。木製の桟橋にあるパーキングメーターにお金を入れて駐車し、ヨットハーバーが目の前のSandbar&Grill(1-831-373-2818)のカウンターに陣取る。エビとカニ。極楽。

 サンノゼのハーツで車を取り替えてもらう。同じエスケープだが、こんどは赤。悪くはない色だが、駐車場での目立ち方はいまいち。アメリカでは赤い車はあまり目立たないことに気がつく。ギルロイのプライム・アウトレットに立ち寄り、エディバウアーの店でお買い物。Eddie Bauer Outlet(1-408-842-4445)。

 今回の目的の一つであるインターネットフォンを探しに、サニーベールのフライ・エレクトロニクスへ。前に来たときにも驚いたが、今回のほうが大きさに圧倒される。目的の品はいまいちで、おみやげを買って出る。Fry's Electronics(1-408-617-1300)。

 サンノゼのホテルは、毎度おなじみのフォーポイント・シェラトン。今回はサニーベールが取れなかったので、プリザントンで投宿。Four Points Hotels Sheraton Pleasanton(1-925-460-8800)。フロントでサインしたら、"Oh, Kanji! Nihon-jin desuka?"と言われる。多田さんはげんなりする。「もうこのホテルも卒業だな」と。日本人が出入りするようになると、居心地が悪くなるそうだ。

 夕食はすぐ近くのChevysでメキシカン。腹一杯。トルティーヤが夢に出そう。


3月5日

 今回の旅行の主目的、キャノバ氏との面会のため、朝から出発。その前にホテル近くのデニーズで朝飯。やや軽めのメニューにする。

 キャノバ氏のオフィスは、スペイン風の屋根瓦が印象的な平屋の建物。スタートアップ企業や個人事務所が入るオフィスなのだそうだ。10時からスタートして昼食を挟み、17時過ぎまで多田さんとキャノバ氏の熱心な話し合いが続いた。途中から片岡さんが登場。戦力になりそうだ。

 夕食はキャノバ氏の案内でイタリアンレストラン。奥さん、下の息子さんも同席し、和やかなディナーとなる。

 キャノバ一家と別れてバーンズ&ノーブルで本探し。飛行艇の本に思わず手が出てしまう。

 夜はホテルで荷造り。もう帰国とは。今回はあまり派手な荷物にならずにすみそうだ。しかしバックパックが重い。


3月6日

 ホテルをチェックアウトし、オフィスデポ、オフィスマックスに立ち寄って空港へ。次はいつ来られるのだろうか。


レンタカーのフォード・エスケープ。



モロベイの桟橋。右端にモロロックが見える。



いとも簡単に餌付けできてしまったカモメくん。



ハースト・キャッスル。



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