雑誌を作っていたころ(56)

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多田さんの最期


 2001年の半ばごろ、多田さんが突然、悠々社を出て行ってしまった。なかなか進まない「コールセンタージャーナル」の発刊作業に嫌気がさしたのかもしれない。性格的にひとつのところにいると飽きてしまうというのもあったのかもしれない。とにかく、三浦海岸の家に引っ込んでしまい、九段に出てこなくなったのだ。


 ぼくの信条として、「去る者は追わず」というのがある。後ろを向いてしまった人には、いくら声をかけても無駄だ。縁があれば、また一緒に仕事をすることもあるだろう。そう思って、敢えて追いかけることはしなかった。


 その機会は意外に早くやってきた。PHP研究所の編集者から「コトラーの解説書を書ける人を知らないか?」との問い合わせを受けたからだ。ぼくがいきなり連絡するとへそを曲げるかもしれないので、仲のいいユニシスの人を介して意を伝えた。すると、「引き受けてもいい」との返事だった。


 担当編集者を連れて、懐かしい三浦の居酒屋で打ち合わせをした。何回かの打ち合わせの後、原稿を書いてもらうことになった。悠々社が間に入って原稿のやり取りをすることになったのだが、多田さんからは「印税を前払いしてほしい」と言われた。悠々社が立て替えることにして、何度かに分けて支払った。


 2004年6月、多田さんの『コトラーのマーケティング戦略〜最強の顧客満足経営をキーワードで読み解く〜』が上梓された。多田さんの凄さを知る者としては、少し物足りない内容だったが、随所に多田さんらしさの出ている本だった。


 ところが、その本が出てから、またまたぼくは多田さんに「破門」されてしまった。印税を立て替えていたので、本が出てからの支払いがほとんど残っておらず、それで気分を害したらしい。マーケティングの先生なのに、ご自身の財布については本当にずぼらな人だった。


「まあ、ほとぼりが冷めたら、また何かで一緒に仕事をできるだろう」と思っているうちに、連絡が取れなくなった。三浦のアパートも引き払った様子だった。後で知ったのだが、親しい飲み仲間が亡くなって、海を見るのが辛くなったのだそうだ。


 2008年になって、元ユニシスの人からメールが来た。「多田さんが4月に亡くなっていたらしいんですが、なにかご存じですか?」

 びっくりした。そのころ多田さんは日経BP社の「IT Pro」で健筆を振るわれていて、ぼくも影ながら拝読していたのだ。いったい何が起きたのだろう?

 ネットで調べまくったところ、こんなブログが見つかった。「皆様に悲しいお知らせをしなければなりません。多田様が昨日(4月10日)ご逝去されました。3月24日に入院されて2週間余りで急逝されました。誠に残念痛恨の極みです」


 その文章を見ているうちに、多田さんとのことが走馬燈のようによみがえってきた。「開業マガジン」第1号の座談会で知り合い、悠々社の社友となって、ぼくが彼の全活動をマネジメントをしたこと。アメリカに一緒に2回行き、コールセンターの現場を見学したり、日本人が誰もいない小さな漁村で何日も遊んだりしたこと。


 それから、多田さんの最期の日々をトレースするために、多田さんのブログを読み返した。そこからのリンクで、悠々社から出した『コールセンターマネジメント入門』を自慢げに女の子に持たせている写真を発見した。胸がふさがる思いがした。


 多田さんはUCLAのMBAで、マーケティングとプロジェクトマネジメント、コールセンターについて語らせたら、おそらく日本で右に出る人はいない逸材だったと思う。なのに晩年は山谷のドヤ住まいをしていたというのは、あまりにもアクが強く、「相手に合わせる」ということができない性格だったからだろう。


 悠々社にいたころは三浦のアパート住まいで、暇さえあれば海と居酒屋に行っていた。数年前に宇都宮に引っ越し、その後、蕨など点々と住所を移動し、亡くなる1年ほど前から山谷に落ち着いていた。


 ブログを読む限り、図書館で調べものをしては原稿を書くという毎日で、とくに困っていた様子はうかがえない。ただし、こんな記述を見つけて胸を突かれた。

「今のボクはドヤ暮らしで何も不足はない。ただ、ご飯をいつも一人で食べるというのが楽しくない。時々、何人かでわいわいと食べたい。何も贅沢なご飯を食べたいと言うのではない。好きなものを好きに食べるのでよい。ボクの場合でいうと、夕食は250円の弁当にコロッケや肉団子を買ってきて、安い焼酎のウーロン割りを呑みながら喰っている。だいたい500円もあれば夕食になる。一人でテレビを眺めながらとか、パソコンをネットに繋いで資料を探しながらとかいうことばかりだ。お喋りをしながら食べるというのが楽しいのだと思う。誰か一緒にご飯食べません?」


 ぼくがライターでなく、編集専業だったら、この人に食らいついて離れることはなかっただろうと思う。これほど頭が切れて、分析能力が高い人を見たことがなかったからだ。だがしかし、彼はぼくを見ていて歯がゆかったようだ。「もっと、こうすればいいのに」というアドバイスを無数に頂戴した覚えがある。ぼくは最後まで、彼の弟子でなく「門前の小僧」でしかなかった。


 今となっては多田さんと編集部の中村くんと3人で回った「国道16号線・ロードサイド商売ウォッチング」なども懐かしい思い出だ。スーパー銭湯に入ったり、変わったレストランに突撃したり、いろいろなことをやった。


 ここ数年、彼がどんなことを考え、どんな生活をしていたかは44ものアルバムでうかがい知ることができる。http://picasaweb.google.co.jp/tada.masayuki


 ちなみに、絶筆となった連載は、これだ。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071026/285606/?ST=system


 ご冥福をお祈りしたい。


 最後に、多田さんの略歴を示しておく。

多田正行(ただまさゆき)

1947年生まれ。米国留学後、ロッテリア・企画部門、チーズブロー・ポンズ・ジャパン・リミティッド、日本タッパウェア、マーケティング・サイエンス研究所に勤務。1993年、テレマーケティング、コールセンターと販路政策の調査、研究を目指して独立。eCRM塾を主宰。リレーションシップ・マーケティングの伝道を目指して活動。著書は、『売れるしくみづくり』(ダイヤモンド社)、『コールセンター・マネジメント入門』(悠々社)、『顧客満足とテレマーケティング』(日刊工業新聞社)、『BDM・ビジネス・ダイレクト・マーケティング』(共著・ビジネス社)、『コトラーのマーケティング戦略〜最強の顧客満足経営をキーワードで読み解く〜』(PHP研究所)。

2008年4月10日逝去。享年61歳。

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