アメフトで首を骨折し、四肢麻痺になった青年がヘッドコーチとしてチームに復帰した話。パート9
一歩を踏み出す勇気ーー
どんな人でも、何かに挑戦しようとするときは不安があると思います。
不安にのみこまれ、緊張でガチガチになったり、諦めてしまうこともあるかもしれません。
僕も小さいときから新しいことに挑戦するときは怖くて逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。
実際に今でもそれは変わりません。
ある方に、成功の反対は失敗ではなく何もしないことだと言われたことがあります。
挑戦しない人は苦しみは無いかもしれませんが、喜びを得ることもできないのです。
僕は最初の一歩を踏み出す為に“とりあえずやってみる”ことが大切だと思います。
世の中は自分の思い通りの結果にはならないことも多くあるかもしれません。
それでも小さな一歩を積み重ねていくことが大きな発展に結びつくと信じています。
※今まで学校名は出していませんでしたが、周囲からのリクエストもあり今回から明記することにしました。僕が通っていたのは奈良県にある天理大学体育学部です。
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「これからは寝たきりの生活になるかもしれません」
2007年の夏、絶望に陥るような宣告をされ、僕の青春はもう終わったと思っていた。
しかし、山口県にある自宅で、家族とともにリハビリを始めて約1年半が経過したころ、僕には自分でできることが少しずつ増えていた。
自分で上着を着替えたり、ドライヤーで髪の毛を乾かすなど身支度が少しずつできるようになり、食事はスプーンとフォークを使い一人で食べれるようになった。生ジョッキは重たく、まだ持つことができなかったが、地元の友だちと居酒屋へ飲みに行くこともあった。
この頃、自分の中で明確な目標ができていた。
それは、天理大学に復学すること。
もう一度あのキャンパスで一緒に授業を受けたいという気持ちが強くなっていた。
実は当初の予定では、3年間は自宅でリハビリを中心にした生活を送るつもりだった。
それは僕の体の状態を考えた場合、中途半端に復学するとリハビリが続けられなくなり、学業とリハビリの両方共ダメに成ってしまう可能性があったからだ。
しかし、僕にはどうしても2年後で復学したい理由があった。
それは怪我をする前に同級生だったチームメイトや友人と一緒にキャンパスライフを過ごしたかったからだ。
僕は大学1年生の時に怪我をしたので3年後に復学すると、当時の同級生は卒業してしまうため、一緒に大学へ通うことができない。
何日も悩み、家族に何度も相談した。
その結果、リハビリを優先的に取り組みながらも大学へ復学することを決意した。
最終的な決め手はやはり同級生と一緒に大学生活を送りたかったからだ。
僕にとって彼らの存在はそれだけ大きかった。
人は明確な目標が決まると、それを実現したいので強いエネルギーが生まれる。
一層、リハビリに取り組む意識が強くなった。
そして、復学に向けて天理大学と具体的な話し合いを何度も行うことになる。
復学するに当たり、多くの大学の教職員の皆さんが協力してれた。
その中でも特にお世話になった方がアメフト部部長の伊藤先生だ。
復学することを決め、一番最初にメールを送った相手が伊藤先生だった。
伊藤先生は手術直後の高熱にうなされていた頃から、僕に暖かい言葉をかけてくれ支えてくれた。
そして復学する意志を伝えた時に誰よりも喜んでくれたのも伊藤先生だった。
復学する際には大学の各部署との連絡やサポート組織も立ち上げてくれ、僕が復学後に困らないように準備に奔走してくれた。本当に感謝しても感謝しきれない。
そしてひとつずつ課題を明確にし、どうしていくか考えていった。
授業のノートテイキングはどうするのか
自宅から大学まではどういう手段で通学するのか
上げるとキリがないほど問題は山積みだったが特に大きな問題は
天理大学体育学部の校舎にはエレベーターと身障者用トイレがなかったということだ。
しかし大学に復学の意志を伝えるとすぐに設置工事をしてくれ、復学するまでには車椅子で不自由なく通えるように整備してくれた。
このように復学へ向けてひとつずつ準備を進めてく中で、伊藤先生からある提案を受けた。
びっくりしたのと同時に不安でいっぱいになった。
正直、この講演会の話は断ろうと思っていた。
なぜなら当時は事故や自分の障害について話すことにためらいがあったし、何より人前で話をすることに対する自信がなかった。
何十人もの前で話をすることを想像すればするほど、怖くて不安に押しつぶされそうだった。
そんな迷っている最中に、ある人の挑戦が僕の背中を押してくれた。
その人とは登山家の栗城史多さん。
栗城さんは現在、日本人初のエベレスト単独・無酸素登頂、 そして世界初のインターネットによる登頂生中継への挑戦している。
僕が講演会の依頼受けるすこし前の2009年9月に彼は1回目のエベレスト登頂に挑戦し、残念ながら失敗に終わったが、ご自身の夢への挑戦をこう語っていた。
「人生において山はどこにでもある。もちろん、みんなが登頂に成功するわけじゃなくて、頂上近くで下山することも珍しくない。でも、そんな人たちにも、もう一回登ろうって思って欲しいんです。」
単純にカッコいいと思った。
可能や不可能は自分が勝手に作っているだけで、自分の中にはまだ無限の可能性があるかもしれない。
先のことをいくら考えても分からないし、それよりも今の自分には目の前の一歩を踏み出すことが大切だと思った。
栗城さんの挑戦を知り、伊藤先生にこう返事した。
「ぜひ講演会を引き受けさせてください。」
そして人生で初めて講演会をすることが決まった。
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