娘に託した父の願い

この後で知ったことなのですが、私の父は中学卒業と同時に九州の片田舎から家族の為に関西の製鉄所へ出てきたそうです。


当時は丁度、高度成長期の真っ只中で地方からは沢山の若い者が集められたと聞いています。
しかし、設備や融通は悪く、学生たちが泊まる寮内では始終虐めや先生からの体罰の声が絶えなかったそうです。

そんなの耐えられない。しかし家への帰り道も分からず、もし帰れたとしても一家の羞恥としてのレッテルを貼られるのを恐れ、自殺をする人は少なくなかったようです。
母が昔、父はそんな中でも愚痴一つ零さなかったのよ。と豪語していました。今となっては冷め切っていますが。

家族の為にと出てきた家でしたが、父が関西に来た翌年、父の実の母、私の祖母が不慮の事故で亡くなってしまいます。
動揺しないようにと、祖母は父が一人で九州に帰ってこれるまで身内に黙っておいて欲しいと話していたそうです。
そして最期に、正しいことを見極めて生きて欲しいと言ったそうです。祖母は戦争後、特攻隊員の妻として差別されていました。

父は私が幼いときから正しいことを褒めてくれ、間違ったことには必ず口を挟んでくる人でした。
それは祖母の想いを引き継いだからではないでしょうか。

祖母の最期を聞いた父は、自身の想いを誰にも語らずに、人前では決して涙を見せなかったそうです。

2年後。追うようにして、父の兄は祖母の言いつけを守り警察として殉職したと聞きます。父には身内が居なくなりました。

それから暫くたって、父は結婚しました。
そして兄が産まれ、私が産まれました。
このとき、父は唯一妻の母、私の母方の祖母にこそっと息子と娘への想いを伝えたそうです。

『何処に行っても、自身の力で帰ってこられる人になって欲しい』

私は帰ります。何故なら、父と母がちゃんとした家で私の帰りを待っていてくれるから。

今私の出来る最善の親孝行は勉強だと思います。海外にいると、日本の勉強制度に違和感を感じることも多々有りましたが、学ぶことが悪いだなんて微塵も感じられません。

お金に厳しい父が文具や勉学の費用を惜しまずに出してくれている意味が分かる気がします。

生まれてきてよかったよ!親父!

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