原因不明の肝疾患で肝移植してから約10年, 闘いは今も続く その⑤ 肝移植 -手術決める
お金の話
諸々、解決していかないといけない課題は山積みですが、最初に現実的に直面したのは、お金のことでした。
お金のことといっても多岐に渡りますが、何にも分からない・想像もつかないのが医療費についてです。この頃はまだ移植について調べ始めたところで、何百万? 何千万? みたいなイメージだけを持っていました。何百万・何千万だったら、そもそもがムリな話です。
医療費については、病院の事務担当(医事課)から何度かに分けて説明を受けました。この際には、実際にかかるであろう金額の例示もありました、
まずは、前年の2004年から、生体肝移植に健康保険が適用されるようになったこと。無条件に, ではないですが、原発性硬化性胆管炎(PSC)は、適応疾患であるとのことでした。
健康保険適用となってもかなりの高額ではあるのですが、さらに高額療養費制度があることで、支払う金額は毎月の自己負担限度額が上限となります。
毎月の自己負担限度額は所得などの条件により変動しますが、私の場合は8万円程度でした。
結果として、おおよそではありますが、この8万円程度×入院月数が必要な金額になります, ということです。
(このほか、保険適用外であるICUなど有料の室料や食事療養費は加算されます)
これで、医療費についてはどうにかクリアできそうです。
また、通常は長期入院であっても毎月診療費の請求書が渡され支払いするのですが、延々と続く入院期間中、この後も一度も請求書が出ることはありませんでした。
どうしてかなあと思いつつ放置していて、この謎は手術3日前のインフォームド・コンセントでようやく解決します。
ドナーの検査
ドナーに適合するかの検査ですが、これも肝生検で肝臓の組織を取って調べるとのことです。
検査の目的は違ってもすること肝生検なので、入院が必須です。ドナー候補, 身内ではありますが、まだ何も決めていない状況で、よくここまでやってくれたものだなと思います。
検査の結果は予想もしていなかった《脂肪肝》。
いったんはここで終了ですが、肝移植する場合は、事前の通院にて運動療法で脂肪を落としておかないといけないそうです。
ドナー適合についても、それさえできればクリアとなります。
(お互いの血液型は一致しているのが一番良く、既に一致しているのは分かっていました)
ノンフィクションです
機会あるごとに話は進めていました。
医療費については、どうにかクリアできそう。ただ、その後まともに社会復帰して生計を立てられるのかは分かりません。
ドナーは、運動療法もすると言ってくれています。
肝移植後の1年生存率は高くみて90%, 受ける本人にしてみたら○か×の50%。今をもって全然現実味はないけれども、このままでは年単位で生きていられる確率が極めて低いことは、以前に聞かされた通りです。
検査のない日など、空いている時間では、引き続き肝移植関係の調べものをしたり、資料を読んだりしながら考えていました。肝移植をされた方にメールで質問することもできました。
医師も気にかけてくれているのか、顔出してくれる機会も多かったように記憶しています。
そうこうしているうちに肝移植の話が出てから約1ヶ月経過。最終的に決断に至った要因はいくつかあります。
たまたま肝臓を取り替えるしか治す方法のない病気であることが分かって、たまたまその条件が整いそうという事実を、素直に受け入れようと思ったこと。
同じ病気の患者さんに向けて、《肝移植》というものについて記録・情報を残せること。
あとは、いくら考えてもこれが正解, という答えなどなく、もういいや, という心境になったのかもしれません。
本当に、ドラマチックなことなど何もなく、淡々と、最後は自分だけで決めました。
このとき9月半ば。10月前半を目処として準備を進めることとなりました。
静かに動き出す
肝移植に向けて・・各種検査が頻繁に入りました。
血液検査・造影CT・大腸内視鏡・肝胆道シンチグラム・胃カメラ・レントゲン・歯科検診・耳鼻科受診・眼科受診など、詳細は割愛しますが、全身くまなく調べられているようなものです。
1日に複数の検査をすることもあれば、何もない日もあり, です。
また、この入院でも絶食期間が長く栄養は点滴補給のみでしたが、よくある腕から入れる点滴では限界があるということで、点滴を刺す位置を変えて高カロリー輸液を使えるようにしました。
中心静脈点滴といって、首筋にある静脈に太い針を刺します。
腕からの点滴に比べ両手が自由になるので、その面楽で良いのですが、入れるときは半ば手術のようなものです。局所麻酔してメスで切開して針を刺して、最後に切開したところを縫い合わせます。
これを意識のある状態で首筋でされるのですから、かなりの恐怖心はあります。意識下では今まで2回やりましたが、できればもうやりたくないです。
この他、肝移植に関わるそれぞれの科からの説明や、手術に入る医師の自己紹介などがありました。
・輸血が必須で、手術中におおよそ全身の血液の70%程度を入れ替えることになる。また以前は、輸血で肝炎を発症することが多かったが、現在は滅多に起こらないとのこと。
・栄養科から、手術後しばらく禁止となる食べ物(生ものはNGなど)や、栄養バランスの取れた食事について。
・麻酔科から、全身麻酔の方法などの説明。
輸血や麻酔については、同意書へのサインが必要でした。
いずれも、渡された資料はきっちりと目を通しました。特に、麻酔は過去、歯科治療のときでも気分が悪くなったりすることがあったので、よく読んで、不明点は改めて質問するなどしてからサインしました。
手術に入る医師は、他の病院からの助っ人で、普段は○○病院に居て、肝移植のときは応援に来ているというパターンも多いようでした。
私が入院・手術する病院では当時、症例は10例程度と頻繁にしている手術ではなく、磐石の態勢のためにはこういった助っ人の力を借りることにしていたようです。
またこの数年後、別の病院での検査・外来受診を受けることになりますが、そのときにも手術時に助っ人で入っていたと聞かされることがありました。
なんというか、医療界のネットワークを垣間見たような感じです。
絶食・点滴・食べる
毎回そうなのですが、入院中は絶食期間が長いです。今回も既に入院1ヶ月を越えていますが、ほぼずっと絶食です。
《食べない》というのは意外なほどストレスが溜まるもので、1日のリズムがつかめない, 常にイライラする, 何かをやろうという気にならない, 常に空腹感があるなど、様々な障害が出ます。
特に1日のリズムがつかめないというのが厄介で、朝昼晩の切り替えも上手くできず困りました。
肝移植が決まったそのしばらく後にようやく、手術に耐え得る体力を付けるために、食事を再開することになりました。それまでは中心静脈点滴からの栄養補給だけでしたが、やはり限界はあるようです。
とはいってもかなり長期間、口からモノを食べていないので、いきなり固形物を食べると消化器への負担が重いそうで、《経腸栄養剤》からです。
経腸栄養剤は、消化をほとんど必要としない、液体の栄養剤です。
このときはエンシュア・リキッドという栄養剤を使いました。経腸栄養剤は機能優先で味の考慮など全然されていないので飲みにくく、それで受け付けないという人も多いそうです。私はまあまあ美味しく頂いていたので、個人差も大きいようです。
この後、経腸栄養剤を続けながら、徐々に固形物も出るようになりました。
一応は食べられることになったので、医師の許可の下、以下のような多少のオヤツ代わりになるようなものも飲食し始めました。
・アメ・ガムはOK
・ジュースもOK ただしツブツブの入っているようなものはNG
・グレープフルーツもOK(グレープフルーツは肝移植後、薬との相性問題で食べられなくなります)
手術前には、ご飯がお粥なだけでほぼ通常のものが食べられるようになっていました。
千羽鶴
個包装のガムだと包み紙が余ります。その包み紙で何の気なしに鶴を折ってると、数もそこそこ増えてきました。
いくらなんでもガムの包み紙では見栄えが悪いだろうと、千羽鶴用の折り紙を使って作るようになりました。けれども、本当に千羽鶴を作ろうなんて考えてはいませんでした。というか、本人が作るものではないのでしょうし。
ところが、何かの拍子に入院している病棟で話題になり、看護師さんらスタッフ総出で作ってくれることに。中には自宅に持ち帰ってまで折ってくれている方も居るようでした。
いつしか、1,000を超える、1,200羽の鶴ができていました。
肝移植、決めはしましたが、まだ手術日程など細かいことは未定なままです。
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