「ママにお家を買ってあげる」〜ある、移民2世のストーリー
そればかりではありません。
制約理論(TOC)的に見るならば、
それがどんなにまっとうな理由があるようにみえても
「コミュニケーションの質を高める」以外に努力を割くことは
人生の質を低下させつづけて、
悩みを拡大し続けるということです。
非ボトルネックへのフォーカスは、
ボトルネックでの機会コストを浪費しますから。
わかりますよね?
穴が開いたボートが沈没しそうな時、
水を汲み出すことは一見、状況を改善しているように見えますが
穴をふさぐという根本対応が遅れることで、沈没のリスクは高まります。
明晰に考えれば、
ひとつひとつの論理展開は一目瞭然です。
一目瞭然なのですが、
結論が人の直感的なイメージに反するものの場合
つい、愚かな意思決定を正当化してしまうのです。
「いや、タナカさん、私はロボットじゃないので
そんなふうには考えられません。人間ですから」
もしかしたら、こう思う人も居るかもしれません。
それならどうぞ。
私は強制しませんし、強制できるとも思っていません。
単に「トレーダー思考」を選ぶか、
「本能に従う」のかという比較の話をしているだけです。
ちなみに本能に従うと、
私たちは、目の前にあるカロリーはなんでも
お腹いっぱいになるまで食べようとします。
目の前にガリガリに痩せた人が餓死しそうになっていても、
ぶんなぐって、その人の食料を食べて自分が生き残ろうとします。
もし本能に従うと、
男性なら、自分の遺伝子を残すために、
暴力に訴えてでも、大勢の女性と性行為をして
妊娠させようとするということです。
私たちは、そうして生き残ってきた先祖の
遺伝子を受け継いでいるからです。
「そんな極端な話をしなくても」と思う人は、
トレードで稼ごうなんてことは、
いますぐ辞めるべきですね。
単にルールの優位性を検証してるだけですから
それを「極端だ」と感じる人には、
トレードも検証作業も辛いだけです。
本能に従って
「一時的にだけ通用する売買ルールでもいい」
「この1回のエントリーで勝ちたい」
こう考える人は、責任を転嫁しつづけて事実を直視しないので
確固とした自らの奴隷状態を確立することができます。
けれどもし、
「それは嫌だ」
「トレーダー思考を選ぶ」
というなら、
今この瞬間から、これから一切、人を責めることをしないという決断をして、
自分の感情に全責任を持ち、
コミュニケーションの質を
一生涯、高め続けることを受け入れることができます。
なぜなら人を責めて相手の罪悪感に期待した瞬間、
自分のコントロールを離れて、相手に依存してしまうからです。
もし、
「全ての悩みは対人関係にある」
ならば、
「対人関係」の質が人生の質であり、
集中すべきボトルネックは
対人関係の質を決める
コミュニケーションの質を高めること。
あなたのコミュニケーションに占める
「承認欲求」の比率を下げるだけで
あなたの豊かさは増え始めます。
つまり、すべてが繋がりの中で調和しているという
著者のタナカ ミノルさんに人生相談を申込む
著者のタナカ ミノルさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます