原因不明の肝疾患で肝移植してから約10年, 闘いは今も続く その⑦ 肝移植 -「今日何日ですか?」
16時間
目が覚めたときは、見慣れない景色の部屋に居ました。後でここが集中治療室だと伝えられました。
随分長い間寝ていたようなすっきりしているような、よく分からない状態で、初めに頭に浮かんだのが、いったい何日間寝たままだったのか, です。
主治医が側に居て、最初に出てきた言葉が
です。
と、まだ意識がはっきりしない私にも分かるように、ゆっくりと答えてくれました。
未だにこの『今日何日ですか?』は名言と思っています。
どうやら丸一日は経っていなかったようです。手術は当日の23時半頃に終わり、集中治療室に移動, そこから1時間半程度で目が覚めたということでした。手術室に入ったのが22日の朝9時頃だったので、およそ16時間に及んだことになります。
手術後、厳重に管理される
ここから2日間は、断続的に寝たり起きたりしていて、時間や日の感覚はありませんでした。
回診のような感じで、各科の医師が来たりしていましたが、そのときだけ起きて、また知らないうちに寝ていた, というような状況です。
点滴や多数のチューブにつながれ、身体に力も入らず、身動きもできません。
そして手術後は厳重管理の対象です。検温や採血, エコー検査やレントゲン撮影のほか、感染防止のため1日4回の歯磨きとうがいなどで、ずっと寝たままという訳にもいきませんでした。
痛みはあるし力は入らないしで、そういうときは、腕を支えにして這いずって動いていました。
そんな状態でありながら、早期に身体を動かし始めた方が後の回復が早いということで、3日後からはその練習です。
まずは、ベッドサイドに座ることだけで精一杯, その次が歩行器を使って看護師さんに支えてもらって部屋の中を数歩歩く。たったこれだけのことに大変な負荷を感じました。
この頃に初めて手術後の自分の姿を見ましたが、つながれたチューブ類は10本以上。事前に聞いてはいましたが、実際にその姿を見てみるとびっくりです。
手術後1週間程は、雑談するなど比較的元気なときもあれば、ただ寝ているだけでもだるいというように、日によって体調のブレがかなり大きく出ていました。
この間は1日数回、点滴で痛み止めを入れたりもしました。痛み止めは鎮静の作用で眠気も出てしまうので、時間構わず寝てしまい、肝心の夜に全然寝付けず明け方を迎えた日もあります。このときは、こんな日が延々と続くのかとげんなりしました。
薬の服用も手術翌日から始まりました。種類は徐々に減っていくものの最初は10種類以上も出され、自己管理できる状態でもないので、看護師さんが持ってきて服用漏れがないか、毎回確認されていました。
せん妄
せん妄、あまりひどくはなかったものの私もありました。
その中で一番よく起こっていたのが幻聴です。居ない人同士の話し声が聞こえたり、常に耳鳴りのようなゴーゴーするような音が響いたり、どこからともなく音楽が聴こえてきたりしました。
幻覚では、窓の外から誰かがこちらをじっと見ていたり, ということもありました。
検査などで、部屋に他の人が居ると止んだりしていたので、やはり精神的な影響が強かったのでしょう。集中治療室から個室(無菌室)に移るとともに治まりました。
部屋移動
・手術当日から約1週間は集中治療室
・その後2週間弱を個室(無菌室)
・その後退院までを一般病室(8人共同の部屋)
というように移動しました。
またまた余談ですが、集中治療室は特定集中治療室管理料, 個室は保険診療に含まれない差額ベッド費が発生します。これも手術前に説明は聞いており、どう便宜を図ってもらったのかは分かりませんが、ゼロではないもののかなり割引きされました。
身体の痛みは、個室に移動した頃にはかなりなくなってきました。チューブ類も不要になったものから外していき、多少は身軽になりましたが、まだ這いずるようにして動く状況は変わらず, です。
食事の話
食事は、個室に居る間に再開になりました。再開といっても初めからしっかりしたものではなく、流動食からです。
身体を動かすことと同様、早期に食べ始めた方が回復は早いそうです。最初は重湯と具のない味噌汁のようなものから始まり、徐々に固形物も出るようになりました。
医師からは、無理せず食べられる範囲で食べておけば良いという指示で、半分~8割程度食べて、後は残すことが多かったです。余り美味しいものではない病院の食べ物ですが、それでも残してしまうのは抵抗はありました。
この経過の中で、食べたものをそのまま吐いてしまうこともありました。もっとも医師としてもそういうことが起こるのも織り込み済み。特別に何か処置されることもありませんでした。
クスリの話
手術翌日から、免疫抑制剤を中心に結構な種類, 数の服用が始まりました。
肝臓に限らず臓器移植した場合、免疫システムにより、移植された臓器は外部からの異物とみなされ攻撃されます。攻撃されると移植された臓器が働かなくなってしまうので、この免疫システムを抑えるために免疫抑制剤を使います。文字通りの免疫抑制なので、効きすぎると感染症に罹りやすくなるなど、量を多くすれば良いというものではありません。複数を併用しており、その中心となる薬は都度、採血で血中濃度を測り、適正量を決めて服用しました。
免疫抑制剤と聞くと、特殊な薬剤のように思ってしまいますが、形状は普通のカプセルだったり錠剤だったりです。
この他には、以前から続けてウルソ, ウイルスや細菌感染を抑える薬, 薬の量が多いので胃を保護する薬なども使いました。
この後は、今に至るまでその時々の身体の状態に合わせて使う薬の増減もあり、おおよそ5種類~6種類程度に落ち着いています。
人形の傷跡
余り見せられたものではありませんが、手術後数週間経過した手術跡です。
見ての通り、縦横にバッサリと斬られています。まだ腫れもかなりあります。
横方向の切り筋の右側は見切れていますが、丁度わき腹の真横あたりまで伸びています。術式は色々あるようなので、このような形になるとは限らないと思いますが、このぐらいの跡は残ってしまうようです。
この手術跡も経年とともに薄れていき、今ではよく見ないと分からないぐらいになった箇所もあります。
手術後の経過はまずまず順調。退院に向けて動き出します。
著者の岡本 滋さんに人生相談を申込む
著者の岡本 滋さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます