原因不明の肝疾患で肝移植してから約10年, 闘いは今も続く その⑧ 退院~肝移植後、はじめて体調を崩す
退院に向けて
経過はまずまず順調で、12月半ばには退院の話も出てきました。
当初から目標にしていた、年内の退院ができそうです。
この頃には既に一般病棟に移っていました。8人部屋で騒々しく、わずか数日でも嫌気がさしていたので、早めに退院できそうなのは良い知らせです。
(集中治療室~個室では1人で、周りに誰も居ないため遠慮も何もなく、ある意味快適に過ごせていました)
また年明け(2006年)すぐに系列の新病院が開院し、そちらが本院になることが決まっていました。その関係で病院全体としても早めに退院させて、新病院の稼動を滞りなく行いたいという意向があったのかもしれません。
年末が近づくにつれ、患者もスタッフもどんどん減っていきました。
これからの外来も新病院で, となりますが、自宅からは近くなるため便利にはなります。
そうして、退院の日程は12/21に決まりました。
日和見感染
これまでの経緯では、おおよそ予定通りに話が進むことはなく、この退院についてもそうでした。
退院予定の前々日に高熱, さらに食べたものの消化が余りできておらず、胃が腫れたようになっているそうです。
この状況によって、数日間絶食となりました。一度絶食すると、食事再開して数日間は様子見もするので、年内退院は絶望的になりました。がっかりです。
発熱の原因はサイトメガロウイルス感染。通常は感染しても症状が出ることは少ないのですが、免疫抑制をしているため発症したようです。日和見感染というそうです。
血液検査では、同時に肝機能の悪化も見られたため、移植初期の急性拒絶かもしれないと慎重に判断していたようですが、どうやらその心配はなさそうでした。
サイトメガロウイルス感染の場合は、既定の点滴での治療で投薬期間も決まっているとのことで、診断確定後すぐに点滴が始まりました。また、免疫抑制剤を減量することになりました。
高熱は続き苦しいですが、治療法が決まっているのであれば安心ではあります。
年越しの病院
普段は、栄養バランス第一で、食べる楽しみなど一切考慮されていないような病院食も、年末年始・クリスマスなどイベント時にはすこしは趣向を凝らしたものが出されます。
クリスマスのときはケーキが付いてきました。ただこのときは食事は再開していたものの、まだ高熱が治まっておらず口にもできませんでした。
大晦日には小ぶりの蕎麦。年越し蕎麦代わりでしょうか。
元旦の朝食は黒豆や昆布巻, えびなどお節料理風のもの。お昼はいつもでは考えられないぐらい塩味のついた鯛の塩焼きも出ました。
病院で年を越すなんて余り気持ちの良いものではありませんが、多少は気が紛れたようにも思います。
そして日が経つごとに、さらに人は減っていきました。騒々しさがなくなっていくのは精神的には良かったですが、すこし手薄になってきた感もあります。
慌しく退院していく人も多かったです。
退院
この慌しさに私の退院も巻き込まれます。
年明けから稼動する新病院の関係で、主治医も新病院で準備にかかるため、退院日程が強引に決められました。年明けすぐの1/2です。
ですが、1/2までではサイトメガロウイルス感染治療の点滴期間が終了しません。これはどうするかというと、関連のある近くの病院に毎日通院して、点滴と採血をすることになりました。
こうしてほぼ無理やりのような状態ではありますが、退院はできました。
退院当日も、点滴終了後すぐに退院手続きを済ませて出て行くぐらいばたばたしていました。この時点でも高熱ではないものの、発熱は治まってはいません。
入院が8月頭でしたので、期間はおおよそ5ヶ月に。当初はERCPのための入院で、それ程長くはならないだろうと思っていたのですが、こうして肝臓を入れ替えて帰ってくることになるとは思いもよりませんでした。
入院期間が余りに長すぎたためか、自宅に帰ってきても、しばらくはどこか落ち着かないような感覚がありました。
退院後の生活
無事退院はできましたが、寝て起きたらすぐに、通院で点滴と採血です。
これは5日間程度続き、毎日, しかも朝夕2回通うことになっていたため、せっかく退院してきてもゆっくり落ち着く間もありません。
幸いにもサイトメガロウイルス感染は、決められた点滴の期間で治療でき、発熱もしなくなりました。
退院後はすぐに元通りの生活という訳にはいかず、徐々に身体を慣らしていくところからです。
また、免疫抑制剤の服用により感染症にかかりやすくなっているので、外出時はマスクを着け、できる限り人混みを避けるよう指導されています。手洗い・うがいでの防止もです。
ずっと病院内で行動範囲も狭かったために体力は壊滅的に落ちていました。ちょっとした外出でも翌日には筋肉痛が出るような状況です。体力作りのため、疲れを溜めない範囲で、できる限り徒歩移動するようにしていました。最寄駅までの往復が徒歩約40分ぐらいで、その程度が運動量としてもちょうど良く、日課のようにしていました。
あとは特別なことはなく、起床・就寝・食事・薬の服用等、規則正しい生活リズムを保つようにしていました。
食べるものについては、手術前に栄養士から資料と共に説明があり、また不明点については退院前にもう一度説明を受けました。
消化の良いものを中心に, 油分の多いもの(例:ラーメン)やルー分の多いもの(例:カレー)は少量から徐々に慣らしていくといった内容です。
生ものなど、しばらくの間食べられないものはありますが、禁止となるのはグレープフルーツなどわずかの食材で、食生活も特段変えることはなく済みました。
(グレープフルーツは免疫抑制剤の効果に影響があるため禁止になります)
退院後初めての外来通院日もすぐにやってきました。
通院には電車を使います。電車なので当然ですが周りに人が多く、多少は気掛かりでした。結果的には、後にも先にも外出時に感染するようなことはありませんでした。
外来では毎回、血液検査で肝機能・免疫抑制剤の血中濃度などを確認します。
入院時も多いときは毎日のようにしていましたが、おおよその結果を口頭で伝えられるぐらいで、データ詳細を見るのは手術後では初めてです。
データを見て驚いたのは、今まで異常値を示していた検査項目の大半が正常範囲内に収まっていること。そのために手術までしたので好結果は喜ぶべきことですが、肝臓を入れ替えただけでこうも劇的に変わるものかと、改めてその効果を目の当たりにしました。
外来通院は、当初は1週間おきぐらいから始まり、段々と間を空けるようにしていき、月1回程度になりました。
半年後、はじめて体調を崩す
退院後もしばらくの間は経過は良好でした。変調があったのは5月末頃です。
朝から腹痛があり、立っているのもつらいぐらいでした。激痛というよりかは鈍い痛みがずっと続くような感じで、横になっていても苦しく一向に治りそうにもなく、119番しました。救急要請は初めてです。
診断は《腸炎》とかだったと思います。免疫抑制の関係で何らかの感染が起きたのが原因のようでした。
入院しての治療で、期間は10日間程度になりました。治療は、しばらく絶食して点滴で水分と栄養補給, 感染症治療の抗生剤点滴。あとはひたすら静養です。
肝機能には影響なく大事に至ることもありませんでしたが、手術後ちょうど半年を迎えたところだったので、ショックはそれなりです。
ここまで順調過ぎるほど順調でしたが、この先何の障害もなく過ごせるとは限らないと、思い知らされた入院でもあります。
若干不安の種もありつつ、ここから数年間は安泰でした。
著者の岡本 滋さんに人生相談を申込む
著者の岡本 滋さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます