原因不明の肝疾患で肝移植してから約10年, 闘いは今も続く その⑩ 逆行性胆管炎頻発, 脳死移植に向けて
5年
2010年11月22日で肝移植後、5年経過です。
特に何かをすることはありませんが、毎年無事1年過ごせたことについて、当時の状況とともに振り返る日になっています。
5年も経つと、その当時のことと今時点のこと、どちらも知っている方はほんの限られた人数です。わざわざこちらから具体的な話をすることもありませんし、聞かれても話が長くなりすぎるので、
ぐらいで済ませてしまうことが大半です。
これは今も変わらず, です。
逆行性胆管炎なんどでも
無事5年経過した直後、また胆管炎で救急搬送, 入院となってしまいました。
症状や経過は以前と同じです。
胆管炎は翌年も頻発し、初めての発症から、7月11月, そして3月5月6月8月9月と合計7回も繰り返しました。発症と発症の間が段々と短くなってきているのも気になります。
もうこのぐらいになると、救急車に乗るのも慣れてきます。妙に手際よく、119番 ⇒ 救急搬送 ⇒ 入院 とできるようになりました。
この胆管炎、主な症状は40℃近い発熱のほか、肝機能悪化に伴う黄疸発生です。
高熱発生時は身動きすらできず、ベッド上で安静にしているのがやっとの状態です。黄疸は一定以上悪化すると、眼や肌が黄色味を帯びてくるので、見た目からもある程度は判断できます。また、皮膚のかゆみもあります。
ただ、これ以外には特に目立った自覚症状はありません。かゆみを我慢して、抗生剤が効いて炎症が治まり、数日間様子をみてぶり返すようなことがなければ、治療は終了です。
このように、治療もある程度決められた形があります。
しかし、8月のときは治りが悪く、すぐに9月に再発してしまいました。
9月も今まで同様の入院加療です。だけれども8月よりも更に治りが悪く、発熱は数日間で引いたものの、黄疸は横ばいで、全然良くなりません。入院時、既に過去の胆管炎のときよりもはるかに高値を示しており、そのままの状態が長く続きました。
治らないままズルズルと入院延長
原因として考えられるのは、肝臓と腸を繋いだところの胆管が狭くなっているのではないか, ということ。胆汁の通り道が塞がれて流れにくくなり、その結果胆汁が体外に出ることなく溜まっていっていると推察されました。
もうひとつ、原疾患である《原発性硬化性胆管炎(PSC)》の再発の疑いもあります。これは常に最も恐れていることでもあります。
様々な検査で原因を探ってみるもこれといった確証はなく、その間も抗生剤点滴による治療を続けていました。抗生剤も長期間続けると、耐性ができて効果が出なくなるそうで、途中で種類を変えたりもしましたが、これも効果なし。
回復の兆しがないまま、ズルズルと入院期間も延びて、すぐに1ヶ月経過しました。
『こうすれば良くなる』という確たるものがないため、このままでは平行線を辿るだけで、延々と日だけがムダに過ぎていきます。ある意味肝移植前後より辛い時期でもありました。
ダブルバルーンERCP
ここで出てきたのが《ダブルバルーンERCP》です。
ERCPは過去にも合計4回していますが、肝移植後は、肝臓-胆管-腸のつなぎ方が変わったために、検査・処置の方法や使う器具が変わります。
それで、使う器具の名前を取って、《ダブルバルーンERCP》と呼んでいるようです。特殊な器具を使うことで、従来の内視鏡ではできなかった肝移植後のERCPを行う, と理解しています(これ以上は専門的過ぎて、余りよく分かっていません)。
することは従来のERCPと同様で、内視鏡で胆管の状態を確かめながら、狭窄があれば拡げるという検査・処置です。
問題なのは、今の病院ではダブルバルーンERCPができないこと。肝移植後のダブルバルーンERCPは相当難しいらしく、熟練した医師・技師が居なく、以前には失敗したこともあると聞きました。
そこで、受け入れてもらえれば, という前提で、設備が整い専門の医師・技師が居る病院に移って施行する準備を進めることになりました。
病院間で話を付けてもらえたようで、1週間~2週間程度で受け入れ準備が整い、矢継ぎ早に転院が決まりました。
移動は県をまたぐぐらいの距離です。電車移動は止めておこう, となり、病院から病院まで救急車直通で移動しました。
そしてその日のうちに検査・処置の説明。翌日には実施と、決まったら決まったで早急な動きです。
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・鎮静剤で、意識のない状態で行う
・PSCの再発かどうかも慎重に調べる(可能性は有り)
・狭窄部位があれば拡張し、可能であれば狭窄を抑えるためのステントを入れる
・時間は1時間~2時間程度
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というようなことを事前に説明されています。
当日驚いたのは、設備の充実と人員の多さです。
検査の器具も想像より大きなもので、ガラス越しのモニタールームのような部屋にも所狭しと色々な設備があります。また検査に関わる人数も多く、どう少なくみても10人以上, 20人以上は居たように思います。
検査・処置は狭窄部の拡張とステント留置, どちらも上手くいき、PSC再発の可能性も低いだろうという結果でした。
良い知らせです。
頻繁に胆管炎を起こしていた肝臓と腸の繋ぎ目の胆管は、かなり状態は悪かったそうです。そのため、内視鏡を進めるのが難しく、時間は予定をはるかに越えて4時間程度かかったと聞きました。
脳死移植に向けて
ダブルバルーンERCP後の経過観察と並行して、《脳死移植》の準備を進めることになりました。今後、PSCの再発や、肝臓が機能しない程悪化した場合は再度肝移植するしか治療の方法がないためです。
この時点では、万が一そういう事態が起こったときのための準備であり、今すぐの話ではありません。
脳死移植の詳細についてはここでは割愛しますが、法律上はこの前年, 2010年7月に改正臓器移植法が全面施行されています。2010年以降、脳死移植件数は増えつつありますが、それでも待機患者数に対してはわずかです。
医師・看護師・移植コーディネーターを交えて、脳死移植のための日常の準備, 決まったときの連絡手段など、説明を受けました。
脳死移植希望は登録制です。診断書など必要な書類は病院で用意してもらえます。
ここでもお金の話は付いてまわります。
初年度は登録費3万円, 翌年からは更新費として5千円必要です。更新費は待機期間中、毎年支払います。
手術自体は原則、健康保険適用になります。さらに、自立支援医療(更生医療)対象になるため、自己負担はかなり抑えられます。
脳死移植の場合は生体ドナーからの臓器提供と異なり、決まれば即手術, と事前に時間をかけて体調を整えることができなくなります。そのため、常に体調を整えておくことや、常時電話連絡が取れる状態にしておくことが必須です。
今すぐに私に脳死移植の機会が来る可能性は低いですが、今もずっと夜中でも電話連絡が取れるようにはしています。
当てなき退院
ダブルバルーンERCPは成功したものの、期待した程の効果はなく、黄疸もきつく出たまま日が過ぎていきました。想定されていた経過では、黄疸は徐々になくなっていき、それが確認できれば退院, という段取りでしたが思うようにはいきません。
上手くいったと信じていために、肩透かしです。
そして、良くも悪くもならず3週間程過ぎたでしょうか。半ば予想していたことが医師から提示されました。
ダブルバルーンERCP後、胆管炎の再発はなく点滴などの治療もせず、ただ静養しているだけでしたので、こういう話も出てくるのではないかと思っていました。
もう答えも決めていたので、即回答です。
転院してからは1ヶ月程, その前を含めると約2ヶ月半と、通算すると2番目に長い入院期間となりました。
まだ見た目からも黄疸が分かるぐらいで、慎重に様子をみていく必要はありますが、退院は退院です。開放されてすこしは気分が晴れました。
しかし、さらに予期せぬことは起こりました。
もう今となっては結果オーライとしか言い様がありませんが、この後黄疸はどんどんと治まっていき、数ヵ月後には正常値に近いところまで落ち着きました。
1年後、再びダブルバルーンERCPで経過観察, 好調を維持しますが、さらにその翌年からは別の症状との長い付き合いが始まります。
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