「置口空助の発達障害自我強化論」(自我強化=目的意識+フレームワーク思考+対認知機能障害用ITツール群)ようやく自己コントロールが出来るようになった話。②対発達障害へのスタンス

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対発達障害の専門家

別に露悪趣味はないので、本当は前章の「自己紹介」のような内容は書きたくないですよ。正直、自慢できるものではないので。それでも書いた理由は、私の対発達障害への考えを説明するためには書かざるを得ないからです。


私は平成16年1月に帰省して、地元の市立病院精神科で「発達障害と思われる」と診断を受けました。ただ、結果として私の困っている特長は何も変わらなかったです。私の「生き辛さ」には何も答えてはくれなかった。診断を受けただけですね。ですが、自分が生きていくうえで困っていたことが、発達障害の概念に含まれるということ。それが判るだけで、いろんな対応が出来る。そのことだけでも心に火が燈りました。


これは自分で何とかするしかないということです。覚悟ができました。対発達障害の専門家と自分の役割を定めたのでした。誰にも頼まれてはいないのですが(笑)。




これまでの人生、正直自慢できるものではないですね。特に高校を卒業してからまともな生き方をしていない。すこしずつ人間性が削り取られているように感じていました。それでも自ら命を絶たかったのは、「自分にはなにか役割があるのではないか」この思いがあったからね。

「とうとうきた。召集令状がきた。自分の役割はこれだった。自分の人生は発達障害に影響されてきたことが理解できた。まず私が発達障害を克服してその方法を広めよう」


そして役割のある自分の人生に深い感謝をしました。私は「求道者」の生き方に憧れていたのでね、なにかに一生を捧げるような生き方をしたかった。対発達障害の専門家と自分のことを捉えるなら、これまでの経験が無駄にはならない。意味のあるものになる。そう考えるのなら、過去のすべてのことが自分にとっての財産になる。しみじみありがたい。




対発達障害の考え

弱点「人より学習スピードが遅い」

弱点「整理整頓ができない」

弱点「物事の順序が判らない」

弱点「思考が飛ぶ」(解離性障害)

弱点「過食」

弱点「相手の感情に影響される」(HSP)

弱点「睡眠障害」

弱点「フラッシュバック」

弱点「人と会話をすることが出来ない」

弱点「状況判断が出来ない」

弱点「何も考えられない」(思考空白)

弱点「認識できない」

実を言うと、これ以外にもたくさんあるのですが、この10年で概ね克服しています。「生き辛さ」を感じることはもう殆どありません(収入が少ないことぐらいです 笑)。穴があいている箇所をひたすらふさぎ、違うとこに穴を見つけてはまた穴をふさぐ(弱点の克服ということです)。10年ひたすら延々と行ってきました。正直無我夢中ですよ。今ならば自分の弱点を2つに分けることが出来ると理解できます。


一次障害

弱点「人より学習スピードが遅い」

弱点「整理整頓ができない」

弱点「物事の順序が判らない

弱点「相手の感情に影響される」(HSP)

弱点「人と会話をすることが出来ない」

弱点「状況判断が出来ない」

弱点「何も考えられない」(思考空白)

弱点「認識できない」


二次障害

弱点「思考が飛ぶ」(解離性障害)

弱点「過食」

弱点「睡眠障害」

弱点「フラッシュバック」


大まかにいうと、高次脳機能障害と精神疾患への対応ですが、より正確にいうのならば、認知機能障害とそこからくる適応障害への対応なのです。


私自身LD傾向はあります。「聞く、話す、読む、書く、計算する、推論する」の中で、苦手な部分は当然あるのですが、

例えば

記憶する

理解する

思考する

習得する

言語化する

判断する

概念化する

といった知的能力全般が低いかあるいは歪といったほうが正確です。数多くの当事者と関わる中でも、完全なLDというよりも、認知機能障害のために社会参加が難しいと感じる人が多いです。正直、認知機能障害の範囲のなかのLDと捉えたほうが正しいと思います。むしろそうしないと支援方法を誤ると考えます。


当事者と関わる中で、不安を抑えるため、睡眠障害のために何年も精神科に通院している方の多さに愕然とします私も数々の二次障害を抱えていたのですが、自力ですべて治しました。実は一次障害に折り合いをつけて、「生き辛さ」をすべて軽減したからだと考えています。


精神疾患が高次脳機能障害を抱え生きることからくる、「生き辛さ」が原因とする適応障害だとするなら、その「生きづらさ」に折り合いをつけることが重要と考えます。当事者の二次障害を治療しようとするならば、一次障害への対応も考えなければならないケースがあるのです。



弱点「何も考えられない」(思考空白)①

認知機能障害と適応障害をほぼ改善しています。生きるうえで弱点になっている、数々の特徴を概ね克服したということです。お陰で生きるのが大部、楽になりました。

では、なぜ克服できたかというと実はポイントがあります。弱点「何も考えられない」(思考空白)、この克服が最重要と考えていました。この特徴を克服する過程で他の弱点も克服しました。

発達障害に詳しい方でも、「何も考えられない」(思考空白)といわれてもピンとこないと思います。当事者によくある特徴のようですが、正式に名称がある訳ではないようです。


長沼先生から頂いた資料からの引用です。

「幼児期から現在まで周囲の世界になじめず居場所がなく親しい友人や家族関係が築けなかった。自分が理想とする友達を観察し分析し、どんな時にどんな言葉をどんな表情で出すべきかを細かくデータとして取り入れ蓄積して使ってきた。自分が生きている世界や人に興味がなく自我が薄かったために母親が押し付けてくる価値観をまるごと取り入れることで周囲の世界に対応していた。ある時、その価値観は自分のものではないと気づき、自我だと思っていたものは母親そのものであり、それを捨て去れば自我が残らないことにも気がついた。」

「そうして自分を作り上げてきたので自分の身体は「本当の自分」を失った空の器のようである。自分は自我を消し周囲の環境に合わせないと人とコミュニケーションすることができなかった。生きていく上で主体としての自分をどこに置いていいかわからないし置き場所もなかった」

「話しかけられてもそれに対する感情(共感・興味)がわからず言うべき言葉が浮かばない。何か言わなくてはと思って必死に言うぺき言葉を探しても、その言葉の発生の起因となる感情(共感性)がないので言うべき言葉がわからない。何も感情が湧かない、無、ニュートラル、何も考えてない時とほぼ同じ状態」

「話すテーマが決まっている時や話し合いや相談などの時は、相手の話に対する共感性が必要とされないため問題なく話せる。しかし、相手の話す内容に興味を持ち何らかの反応を返し続ける必要のある雑談はとてつもなく難しい。挨拶などの簡単な会話でさえ苦痛を感じる自分にとっては人間関係を築くなどはとてつもなく難しい」

「幼いころから、雑談を楽しむ、冗談を言うなどの心のメカニズムを分析し文章化し理解し実践してきた。冗談を聞いたとき、どんな情景を思い浮かべ、どんな感情が生まれ、どのように面白さが想起されるのかを考えてきた。そのおかげで雑談や冗談を普通に楽しんでいるように見えられるが、あくまで無理している状態なので、それを続けると激しい疲労や抑うつで身体が動かなくなり日常生活に支障をきたす」



対「何も考えられない」(思考空白)②

この資料を頂いて初めて読んだときには(平成26年1月)、涙が抑えることが出来ませんでした。私も同じようことを感じて苦しんでいたので。長沼先生は「多くの当事者が自分もそうだと言ってました」と仰ってました。


世界と私の間には明確な壁があり、閉じ込められていると感じていました。普通の人には見えているものが私には見えていない。壁ごしに外の世界の気配を感じるだけのこと。皮膚感覚としてリアルに外の世界を体感することもなく、閉じた世界に佇んでいる。ただそういう自分であることは自覚でき、強烈な焦燥感がある。私に関わる人たちが、壁に閉じ込められている私を助けることもなく、「少しおかしい子」と忌避していることも理解できる。でもどうすることも出来ない。


私は中学生の頃には壁のことも自覚していましたし、「自分は自我が薄い」という自覚がありました。きっかけは友人との会話についていけないことでしたね。思考が独特なこと、スピードと量が少ないことに気が付いていたのでした。当時は言語化ということが出来ていなかったです。当然のことですが、人とのコミュニケーションは言語が基本です。言葉を操れないと会話が成立しないのです。


当事私は、「壁があるから自我が薄いのだ」と考えたのです。壁があるせいで外の世界を実感することが出来ない。そのため自我が育つ「情報」や「刺激」が十分ではない。では自我を強化するにはどうしたらいいのだろうか。


平成16年に発達障害と診断をうけてから後、「自我が薄い」状態を「思考空白」と名付けました。自我の強化というのは私にとって「対思考空白」です。「自分の得意な情報処理」を求め、26年1月に初めて先生の診察を受けたのも、「情感・体感」を自分なりに開いたのも、思考変化ツール「3人の秘書」やITを使った構造化と情報・記憶の保管と管理の仕組みも、今こうしてこの様な文章を書いているのも、私のこれまで行ってきた対発達障害の取り組みは、その先に「自我の強化」があります。そのためのパーツなのです(詳しく知りたい方は「置口空助の発達障害克服論」を読んで下さい)。


これは中学校から今までの30年近くにわたる、追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、決して逃がさない私のテーマでした。


壁はまだあるのですが、自由に抜け出ることができます。その為の仕組みを作りましたので。そして、壁から自由になった、私の現在の解釈です。

「壁とは高次脳機能障害からくる認知(知覚)の歪みである。自我の薄さとは認知(知覚)の歪みのために起こる、思考能力の不全からくるものである」

あくまで一当事者の見解です。




対「何も考えられない」(思考空白)③

当事者と関わる中で、狭い分野で特殊な感覚をもっていると感じる方もいますが、概ね「ものすごく鈍い」と感じることが多いです。普通、人が気がつくであろうことに反応しない。そのくせ、人とは違うことに反応する。当事者と関わる人であれば、多分納得してくれると思います。思考が独特なこと、スピードと量が少ないこと。


これは「注意を向けることが苦手」と言い換える事ができると思います。自閉傾向が強い方と接すると、よりそう感じます。私は視覚知覚が弱く、実はいろんなものが視えません。人の顔を覚えることも苦手極まりないです。これは視覚知覚が弱いため注意を向けることが出来ないのです。私はある分野で知覚能力が低いことは、その分野の情報処理能力が弱いからだからだろうと考えていました。だから長沼先生の「活かそう発達障害脳」P110「発達障害の子の場合、情報処理の仕方に偏りがあるかもしれないので、それを見つけてあげて、得意な情報処理の仕方を伸ばせば弱い部分を補うことができるんです。それが治療なんです」を読み、この得意な情報処理の方法を知りたく平成26年1月に緑ヶ丘病院を患者として訪問したのでした。


「壁」を無効化するために自分に足りない「情報処理」の方法を探し求めていました。多分、そのことが鍵になるだろうと考えていました。こんな私ですが、人並み以上に知覚(=情報処理)できる分野があるのです。そのため「壁の外の世界」を信じることが出来た。


私の感覚では「壁」に囲まれていて、「壁」の外の世界の情報が知覚できないと感じます。視覚知覚が弱いと先ほど述べましたが、「壁」の影響と考えています。ただ、こんな私ですが、まったく「私」と「外の世界」が遮断されている訳ではない。もしそうなら、こんな文章はかけていないです(笑)。植物状態でしょうね。


「壁」にほんの少し隙間があり、光が差し込んできて私に「外の世界」があることを教えてくれる。だからこそ自分が「壁」に閉じ込められていることと、人とは違うことを自覚するために絶望するわけです。それでもわずかな隙間があるからことに感謝です。「外の世界」があることを理解できたのですから。要するに壁を壊すなり、壁を無効化するほかの方法を考えればいいだけの話です。と思えるようになるまでに随分時間はかかりましたが。本当に死ななくて良かった。


隙間は数箇所開いていて、それぞれ知覚出来るものが違う。私が明確に気付いているのは3箇所です(実は私の知覚アンテナが感知しているのは、多分まだあると思っています)。「人の肌質と髪型」と「人の意図」、「触覚」です。




対「何も考えられない」(思考空白)④

<人の肌質と髪型>

こんなわたしですが、実は視覚知覚的に認識できるものがあります。「人の肌質と髪型」です。普通の人の気がつかないような、変化も気がつくことができますし、過去の事柄も人の肌質と髪型を頼りに思い出すことも可能です。私の過去の経験や嗜好といったものが作用しているのでしょう。ピンポイントですが、人並み以上の視覚知覚をもつ部分もあります。


<人の意図>

この文章を読んでいる方なら、「HSP」という言葉を聞いたことがあるかも知れないです。いわゆる「過敏な人たち」です。この概念の正確な定義はよく判りませんが、発達障害でよく語られることの一つに「人の感情に影響される」がいるということです。

私は「人の感情に影響される人」ですが、実は「人の意図」が判るので影響されるのです。とっても別に特殊能力というほどのレベルではないです。多分2段階位落ちるでしょう。それでも相当な高感度なアンテナですよ、生きる上で不必要な程。私の人生はこのことで相当、変なものです。人ごみの中だとてきめんに体調を崩したりもしました。

何よりも「人間が怖くて怖くてたまらない」のです。私にとって人は恐怖の対象でしかなかった。人の意図が理解できるというのはそういうことです。世界は幸せな人たちだけで満ちているわけではないので。私から見るとモンスターに近いのです。ただ圧倒的多数の定型発達者からみると私がモンスターですが(笑)。


<触覚>

実は強烈に敏感です。過去の記憶も体に刻まれた触覚を元に思い出すことが多いですね。こんな私がこれまで生き永らえてきたのは、この「触覚」の影響が大きいのかなと思っています。人に比べて、知覚能力が劣る部分を「触覚」が補ってきたのでしょう。「人の肌質と髪型」に関しても「触覚」が影響しているでしょうし、「人の意図」に気づくのも頭で理解しているというよりも、憎悪にまみれた人や攻撃的な人の異常性やそうならざるを得なかった、切なさや悲しみを感じるのは皮膚感覚なのです。凍えるような世界を真っ裸で存在して、そして焼きごてを直接皮膚に押し付けられる感覚。まぁ理解してほしいとはいえないですが、それでも私にとってはそうなのです。




対「何も考えられない」(思考空白)⑤

置口空助の考え。

何故、「何も考えられない」(思考空白)=「思考が独特なこと、スピードと量が少ないこと」といったことが起こるか。認知(知覚)の能力が低いため、適切なあるいはごく一般的な状況の認識ができないのではないか。


人は生きていく上で外部の刺激を元に成長をしていくが、思考能力も刺激があって初めて動きだすものであり、認知(知覚)能力が弱いことは刺激を認知(知覚)できないということであり、そのため思考能力の不全が起きる。また、定型発達者と比較をすると独特の思考をするものが多いのは元々、認知(知覚)能力が独特であるからと考える。私の特徴を書いたが、かなり特殊な認知(知覚)能力の持ち主であることは理解して頂けると思う。やはりそうなると、独特な内面生活をおくることになる。

さて、「発達障害」といっても生き辛さにさまざまな違いがあることは理解しています。ただ高次脳機能障害、とくに認知機能障害と適応障害からくるバリエーションと言えるだろう考えています(現在のところ)。

私がこれまで行ってきたことは、「認知(知覚)能力の歪みを直すことで、状況の認識力を上げ、思考能力を向上する。そして「何も考えられない」(思考空白)を克服する過程で様々な「生き辛さ」を軽減してきた」です。

私は「行き辛さ」を概ね軽減してきましたが、ただどの程度の汎用性があるかは正直分からない。ただ、間違いなく発達障害者が「生き辛さ」を軽減する、サンプルケースの一つとは言えると思っています。多分私のやり方に合う方もいるでしょう(と祈っています)。次章から「置口メソッド」を詳しく説明していきます。一人でも多くの当事者に効果があるといい。




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「置口空助の発達障害自我強化論」(自我強化=目的意識+フレームワーク思考+対認知機能障害用ITツール群)ようやく自己コントロールが出来るようになった話。③自我強化概論

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