
6日目…

いや、もはや何日目か分からん。
時刻は9:47分。
今日は遅めのスタートになってしまった。
さすがに身体の疲労が取れない。
何より、右足。
一晩寝ただけではもう治らないほど、傷めつけられていた。

入念にテーピングを巻いた。
テーピングをするだけで、結構な時間を喰う。
しかし、テーピングをするだけで一気に足は軽くなった。
テーピングを侮ってはいけない。
準備は整った。
「今日も限界に挑もう!」
今日のルートは、茅野市から諏訪湖を左回りで迂回し、
中山道を通り、国道19号線に出る。
諏訪湖を右回りするルートもあったが、
当初予定していた日数より丸一日遅れていたため、最短距離を行くことにした。
前へ進めば進むほど、必ず何か待っている、何かが変わると思った。
「ただ前へ。」
これが今、僕がしなければならないこと。
今の僕が唯一出来ること。
そして、僕が出来る最大のことだった。


茅野市を抜け、諏訪市に入る。
平坦な住宅街の道だが、歩道が狭い。
車が結構通るというのに、狭い。
今までほとんどが田舎道のだだっ広い道を歩いていたため、ものすごく窮屈に感じた。
ただでさえ大きな荷物を担いで歩くため、すれ違う歩行者にも迷惑がかかる。
僕は、一本逸れた畑の横の道を行くことにした。
しまった…。
こっちの方が歩道が狭い。
狭いというか、ほぼ無い。

でも、いい景色だ。
これだけで幸せだ。
しばらく歩くと、諏訪湖に着いた。

デカイな!
天気はあいにく曇りで、特別美しい訳ではなかったが、
デカかった。
地図を見てもそこに湖があると分かるような大きさは、
今まで見て来た景色と一味違った。
「ついにあの諏訪湖まで来たのか。」
この場所は、日本海までのただの通過点にしか過ぎないが、
一つのゴールをしたような気がした。
「達成感」
というものを感じた。
この感動を、早く誰かに伝えたくなった。

諏訪湖は清々しかった。
湖の沿道は、陸上トラックのように柔らかい素材で、
足への負担もかなり少なく、とても歩きやすい。
小学生の頃、陸上競技をやっていた僕は、
久々に踏みしめるトラックの感触に懐かしさを感じた。
足の痛みは残っているのに、
全力で走りたい気分になった。

そして諏訪湖を抜ける。
あの柔らかい道のおかけで、随分と足が軽くなった。
「まだまだ行ける!」
そしてこれから、難所に立ち向かう。

下諏訪から塩尻間。
どうやらここは山を越えるらしい。
諏訪湖を抜けた途端に、上り坂道になる。
前日調べた情報によると、
山を越えるのに、塩尻峠と旧中山道のルートがあるらしい。
途中でこの2つに道が分かれる。
分岐点に向かう。

こっちに行ったら、塩尻峠。

こっちに行ったら、旧中山道。
実は、前日の時点でどちらのルートに行くか決めていた。
「中山道」
なぜ中山道にしたかと言うと、
「峠」と「道」
どっちが辛そうかと言ったら、「峠」でしょ。
それに地図を見ても、クネクネした道で、距離が長い。
一方中山道は、そのクネクネを一直線に突っ切ることが出来る。
最短距離なのだ。
しかし、僕は大きな間違いを犯していた…。
「中山道」
僕はこの道を、
「なかやまみち」
だと思っていたのだ…。
「なかやまみち」
なんと平和そうな道だろう。
きっと自然溢れる穏やかな道なんだろう。
そう思っていた。
本気で。
無知って恐ろしい…。
「なかせんどう」
を知らない僕は、
「なかやまみち」
に向かう。

坂道は一気に厳しくなる。
流石に山を越えるだけある。
果てしなく上り坂だ。
いや、登り坂だ。
あんなに長い登り坂を登ったのは、今の今まで一度もない。
案の定、民家はあるのに、歩いている人なんて誰一人いなかった。
痛めた足にとって、少しの上り坂は、足の裏側が伸ばされて、
ストレッチをしているような感覚になるが、
長く、激しい登り坂は、さらに足を傷めつける他になかった。
筋肉細胞がブチブチ切れていくのが分かる。
一気に押し寄せる疲労。
せっかく諏訪湖で回復したのに、完全に負傷者になった。

思わず、
「あーっ!!!」
と声が出てしまうほどシンドかった。
しかし、止まることも、引き返すことも出来ない。
どんなに辛くても、前へ進むしかないのだ。
また更に坂を登る。

「わぁお!」
さっき通った諏訪湖があんなに遠くにある。
やはり随分と登ってきたようだ。
そして…

中山道入り口。

「おぉ、情緒のある道じゃないか!」
しかし、完全に山道。
時刻は16:40。
急がないと、あと1時間もすれば辺りは真っ暗になる。
山の中で真っ暗なんて、遭難だ。
絶望だ。
「よし!急ごう!」
そして僕は「なかやまみち」に入った。
大石。

珍しいから、写真を撮った。
しゃがんで、石全体が写るように角度を変えながら撮った。
「うわっ!!!」
長い登り坂のせいで、僕の足はもう力が入らなかった。
荷物の重さに耐えられなく、腰が抜けたように、斜面を転げた。
「バキバキッ!!」
「ぬぉー!!!」
「しまったーっ!!!!」
白状します。
この「旧中山道の大石」と書いた支柱。
折ったのは私です。
岡谷市のみなさん、申し訳ございません…
いや、きっと既に腐ってたよ。
すげぇ簡単に根元から折れたもん。
………。
「申し訳ございませんっ!!!!」
めっちゃ冷や汗をかきながら、
支柱を元のように戻し、(少し曲がったままだけど…)大石を離れた。
完全に山の中。
光が無く、薄暗い。
気温もグッと下がった気がする。
「鳥獣類特別保護地区」
なんて看板も立っている。
僕は焦った。
「絶対何か出る…」
そんな気配がプンプンした。
勾配は更にキツくなる。
「ピキッ」
今日も右足は終わりを告げた。
この森の中、十分に動けない状態になると、ものすごく恐怖を感じる。
「ギャー!ギャー!」
聞いたことのない獣の鳴き声がする。
「本当に何かいる…」
今、目の前に獣が現れたら、確実に僕は殺られる。
僕はめちゃくちゃ焦った。
一刻も早くこの山を抜け出したかった。
しかし、もう右足は動かない。
そして、勾配は凄まじくキツくなる。
「ギャー!ギャー!」

本気でちびりそうになった。
半べそをかきながら、痛みをこらえ、とんでもない坂道を登り切った。

「やっと登り切った!」
頂上は案外、平和だった。
しかし、とんでもないものを発見した。

「熊出没注意!」
「やっぱり出んのかーいっ!!!」
本気で焦った。
本気でビビった。
こんな状態で熊に遭遇したら、100%終わりだ。
爪でガッサーやられて、生きたまま腹わた喰われて、
もがき苦しみながら死ぬことになる…。
そんな死に方は絶対に嫌だ!!
「急がなきゃ!」
時刻は、17時を回っている。
薄暗くなって来た。

しかし、この下り坂。
もうカニ歩きでしか下れない。
「熊出没注意…」
これが頭の中をグルグルと駆け巡っていた。
風で揺れる草木の音も、もはや恐怖でしかない。
熊は、音に敏感だという。
イヤホンを外し、スピーカーをMAXにして、前へ進んだ。
僕のiPodには、スピードラーニング的なやつが入っている。
そして、そのトラック数は半端ない。
シャッフルで再生すると、高確率で英会話が流れる。
「I'd like to go to Melbourne.」
的な声が、山の中で流れる。
実に地味だ。
あまりに熊が驚かなそうので、
それに続いて、僕は発音をした。
身体は動かないが、声だけはちゃんと出せる。
「I'd like to go to Melbourne.」
「Melbourne」の発音がなかなか難しい。
じゃないっ!!
絶対に熊にはMelbourneは効かないし、
こんな危機的状況で、英会話の発音をするなんて、全く意味がない。
テンションだけでも上げようと、この危機的状況を打破する曲を選んだ。
そして僕が選んだのは…
「aiko」
テンションが上がると言ったら、
「恋」だ!
恋と言ったら、
「aiko」だ!
恋する乙女の気持ちになったら、少しは気が紛れると思った。
急な坂を下り切ると、こんな看板があった。

歴史のある道なんだな。

「なかせんどう」
そう書いてあった。
「なかやまみちじゃないのかー!」
僕は昔から歴史が嫌いだった。
父親は歴史が大好きで、事あるごとに歴史のうんちくを永遠と話し出す。
しかし僕は、どんなに話されても興味が持てなかった。
でも、歴史は知っておくべきだ。
というか、知らなければならないことがあるんだと思った。
昔の人が道を造った。
僕は今、その道を歩いている。
歴史が無ければ、今僕はここに来ることは出来てない。
ずっと昔からある道を、歩くことが出来ていることが嬉しく感じた。
先人たちに感謝をした。
そして今僕が歩いてきた恐怖の道。
それは江戸時代のこと、
塩尻に住む娘が、岡谷に住む恋人に逢いに、毎晩通った道らしい。
きっとその娘も恐い思いをしていたに違いない。
でも、この恐怖を打ち消す程の恋人に逢いたいという気持ち。
泣けてくる…。
恋する乙女の道だった。
「aiko」がピッタリの道だった。
こういう歴史があると知り、僕の中で恐怖の道が、恋の道に変わった。
しかし僕は、逢いたい人はいない。
やっぱり恐いのだ。
しばらく歩くと、大きな道にぶつかった。
どうやらここは、あの分岐点で分かれた塩尻峠の道のようだ。
その道は、大きく、ちゃんと舗装もされており、歩道も広い。
完全に「峠」の方が歩きやすそうだった…。
このまま旧中山道を通って行くと、
真っ暗な住宅街の様な道を入っていくことになる。

薄暗く、見るからに恐ろしい。
僕は、舗装された峠の道にルートを変更しようと思ったが、
Googlemapでナビると、どんなに検索し直しても、旧中山道を通らせるルートだった。
僕はその現実を受け止めたくなかった。
しかし、何度検索し直しても、旧中山道。
こりゃ、
「ここを通れ!」
と神様が言っているんだと思った。
覚悟を決め、旧中山道を行く。

歴史を感じさせる建物があちらこちらにある。
異様な雰囲気が漂っている。
真っ暗の中、古い建物があると、ものすごく恐い。
「◯◯跡」
みたいなのがたくさんある。
そして、僕は恐ろしいものを目にする…
「◯◯首塚」
見間違いかもしれないが、僕にはそう見えた。
「ひぇーっ!!!」
一気に鳥肌が立った。
もう一度その文字を見る勇気が無いほどビビった。
神様は意地悪だ。
僕に、どれだけ恐怖を味合わせれば気が済むんだ…。
ツラいのは恐怖だけではない。
もう足が限界だった。

「ここで休ませてもらおう。」
ずっと歩いていると、こういう石碑が所々にある。
後日父親に聞いたところ、
「道祖神」
と言うらしい。
「道の神様」だ。
僕は、そんなことは知らなかったが、
石碑や神社など、何かの理由があってその場所にあるものには、
心の中で「お邪魔します。」「通らせてもらいます。」と挨拶をする。
横切る時は、お辞儀もする。
自分でもいつからそんな風になったか分からないが、
自然とこういうことをするようになっていた。
そして、今回はこの道祖神で休ませてもらうことにした。
足が痛くてしゃがむことが出来ないため、仕方なく道祖神に腰を掛けた。
「どうかお助け下さい。」
「無事に辿り着けるよう、見守って下さい。」
そう心の中で言い続けた。
5分ほど休ませてもらい、立ち上がった。
「あれ?」
信じられないほど、足が軽い。
こういうことを信じない人もいるが、本当に劇的に足が軽くなった。
僕は、
「ありがとうございます!」
と、道祖神にお辞儀をし、不思議な現象に戸惑いながらも再び歩き出した。
この出来事があってから、道祖神の前を通り過ぎる時は、
「守ってくれてありがとうございます!」
と心の中で唱えるようになった。
「神様は本当にいる。」
そう実感した不思議な出来事だった。
もしかしたら、この体験をさせるために、
どんなに検索し直してもこの道を通るように仕向けたのかもしれない。
そう思えて仕方がなかった。

しばらく歩くと、景色は普通の市街地になった。
この時時刻は19時を過ぎていた。
今日の宿は決まっていない。
この市街地で野宿は出来ない。
僕は、宿を探すことにした。
ドラッグストアがあったため、休憩がてら宿を検索した。
そして、宿を見つけた。
宿に着いたところで、満室だったら困る。
宿に電話をかけた。
「今日泊まりたいんですけど、部屋空いてますか?」
「すみません。今日は満室です。」
ガビーン…。
なんと、連休でもないのに満室になるものなのか…。
僕の頭に野宿という文字が過る。
ヤバいな…。
また宿を探し、電話をかけた。
「もしもし」
「今日泊まりたいんですけど、部屋空いてますか?」
「素泊まりでいいんですけど。」
「ちょっと待ってね。」
感じのいいおばちゃんだった。
「一部屋だけ空いてるよ!」
空いていた!!
「よかったー!満室だったらどうしようかと思いました。」
思わずそう言ってしまった。
「あとどのくらいで着きますか?」
おばちゃんがそう聞く。
「えっと、茅野から歩いて来たんですけど、ここどこですかね?」
「とをしや薬局塩尻中学校前店っていうところなんですけど…」
「ナビだとあと3kmってなってるんですけど。」
するとおばちゃんは、
「まぁー歩いて来たの?」
「塩中だったら、あと少しだよ!」
「道分かる?」
優しい。
「ナビがあるんで、大丈夫だと思います!」
「3キロだとちょっと時間かかっちゃうかもしれないんですけど…」
「分かったよ!待ってるから気を付けて来てくださいね。」
なんとも良いおばちゃんだ!
そして、今夜の宿を確保!
あまりの足の痛さに、明日からに備えて、
その薬局で少し高めの足のサポーターを両足分買い、宿に向かった。
約3kmの道のりを、とんでもなくゆっくりとしたスピードで歩いていく。

やがて国道20号線は、塩尻から19号線に変わる。
「道はこうして変わっていくのか!」
初めての経験だった。
初めての経験は、恐怖心が付きまとうが、それは確実に知識になる。
自分の肌で感じることほど、感動出来ることはないし、納得出来ることもない。
僕はこの旅で、いつくもの初めての経験をしてきた。
自分の肌で感じ、体験した。
知らないことはまだまたたくさんある。
でもこの旅で、既に僕は大きく変わっていた。
「もっと知りたい!」
世界は広い。
一歩外に出れば、そこは知らない世界だ。
僕は、その世界をもっと見てみたくなっていた。
自分の目で見て、自分の肌で感じたいと思った。

20:30。
やっと宿に辿り着いた。
電話をしてから1時間程経過していた。
「遅くなってしまった…」
恐る恐る玄関の扉を開けた。
「あの、さっき電話した坂内です。」
そう言うと、
「よく来たわね!待ってたよ!」
おばちゃんは明るく迎えてくれた。
「じゃ、これ鍵ね!」
「いつもは満室になるんだけど、今日は一部屋だけ空いてたのよ!」
「あなたのために空いてたのね!」
何とも粋なことを言ってくれる。
でも僕は、きっと本当にそうなんだと思った。
神様はきっといて、いつも見守っている。
ピンチになったら、手を差し伸べてくれるんだ。
道祖神での不思議な出来事から、僕の意識は変わっていた。
ちなみに僕は何も信仰はしていない。
でも、実際に体験しちゃったんだから、信じざるを得なかった。
「ありがとうございます!」
それから僕は、何故旅をしているのかを話した。
初対面の、しかも今晩だけの付き合いの人に
自分の成り行きを話すのは、抵抗がある人もいるだろうが、
今僕がここにいる理由を話す上で、欠かせないことだった。
嘘は嫌いだ。
嘘をつくと、それからずっと負い目を感じることになるのを知っている。
正直に伝えるのが一番なんだ。
うつ病や婚約破棄の話を一通り聞き、
おばちゃんは、こう言った。
「あなたなら大丈夫よ!」
そう言ってくれた。
おばちゃんの人柄もあってか、ただ僕が話したいだけなのか、
ほんの数十分前に会っただけにも関わらず、何故か安心出来るような感覚だった。
「明日も早いんでしょ?」
「今日はもうゆっくり休みなさい。」
確かに、もう20:30を回っている。
「これ、足りないかもしれないけど、サンマの炊き込みご飯作ったから、良かったら食べてね!」
そう言って、おばちゃんは、サンマの炊き込みご飯にぎりと、みかんを2つくれた。
「いいんですか?」
「めちゃめちゃ嬉しいです!」
「ありがとうございます!!」
僕は素泊まりだ。
もちろん素泊まりの料金しか払っていない。
しかし、おばちゃんは、僕が歩いてやって来ると知り、
おにぎりを作って待っていてくれていた。
嬉しかった。
こんなことってあるのだろうか。
この旅で、一番の嬉しい出来事だった。
おばちゃんの優しさが、今まで人と避けて来た僕の心を解してくれた。
世界には、こんなにいい人がいる。
僕は、今まで気付かなかったよ。
人の嫌な所ばかりが目に付いて、人の優しさに気付かなかったよ。
「人ってあったかいんだな。」
まだ少し温かいサンマの炊き込みご飯を抱えながら、そう思った。
「おばちゃん、ありがとう!」
この出来事は一生忘れません。

僕は、
「ありがとう!」
「ありがとう!」
と言いながら、おにぎりを頬張った。
明日からまた新しいスタートだ。
僕には背中を押してくれる人がいる。
今日会った人でさえ、僕の背中を押してくれる。
「ありがとう!」
すべてに感謝し、僕は眠りについた。
つづく…
6日目の成果!!
【歩数】
40858歩
【消費カロリー】
1389.1kcal
【歩いた距離】
28.60km
【歩いた時間】
9:50〜20:30(10時間40分)



