本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~2
これを読んで、私は何で!と驚きました。
すると、日本の受験制度は、どんな環境のどんな学歴を積んだ子供でも、一応東大や慶応大を目指せる。他国の教育制度の多くは、一定の年齢に達すれば、もうホワイトカラーは目指せない。家柄や地域による教育差別も未だに激しい。
それに比べると、日本は教育格差が起きにくい制度設計になっているのだ、というのです。
もちろん、東大に合格する子供の家庭は、高所得層が多いのも事実です。しかし、どんなに貧乏でも、とにかく本人が受験勉強を頑張りさえすれば、仮に一度社会人になったとしても、高学歴を目指せる可能性があることには間違いない、ということでした。
長々教育について書いてますが、私がここでいいたいのは、教育制度はどうあるべきかということではありません。
すいません、ここからなんです。
これを知って、私に起こった変化がここで書きたいことです。
それまでの私にとって、日本の受験教育は悪そのものでした。その印象はその本を読んだ後もまだ変わりません。
しかし、別の見方をすれば、それは善いものに見えてきます。つまり、悪いものと良いものが一つの事柄に同居しています。悪いものと良いものが一つの事柄に同居していて、単に事柄自体を無くせば、制度そのものの理念も損なわれるかもしれない。
「受験教育を無くせば、ひょっとするとその良さも無くなってしまうかもしれないのか。」
このとき、私のこれまでの見方に変化が起きました。
これまでは何か問題があれば、解決策を見つけるか、分からないかだと思っていました。
でも、その時私に生まれた感覚は、解決というよりは解消でした。事柄を変えるか変えないかではなく、ひとつの事柄にひとつの思いしかもっていなかった自分自体をよく知ること。自分をよく知ることによって、あるものがそれ自体は全く変わらずに、その意味合いが変わっていくこと。心が変容する効果を知りました。
イメージでいいますと、それまで毛羽立っていたものが、すうっと軽くなってふわっと溶けていくような感じ。
その感覚は、とても感動的なものでした。その変化が起きたとき、私はとても興奮して、驚いていました。
「ああ、そうか・・そうなのか・・」
何かが根本的に変わっていくことに、言葉にならないようなつぶやきが生まれたような気がします。
もう一つ気づいた大切なことは、悪いものは、ただ悪いだけとは限りませんし、その逆もあるんだ、ということです。
よく考えてみますと、世の中の出来事や、いろんな人が言っていることも、一概に良いとも悪いともいえず、良さと悪さが同居している物事を、一面だけ捉えて良いとか悪いとか言っているだけだと気づきました。それらに気づくたび、私の受け取り方は、どんどん軽く広くなっていくような気がしました。
今思えば、そこが私の気づきの入り口でした。
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