本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~3
・自分を壊すこと
大学生になって数か月、講堂であるチラシを見かけました。それはある洋画の鑑賞会で、無料ということもあり、何となく参加してみることにしました。
それはある大学教授の宿舎で行われ、私と数人の参加者は映画を観て、外国人(フランス人でしたか)の教授お手製のパイをいただきました。
映画は、児童相談所に子供を取り上げられる(つまり、虐待していると認定された)母親の苦悩を描いたもので、今から思ってもかなり先駆的な内容でした。私はなかなかアットホームで楽しいイベントでしたので、次も参加することにしました。
そうするうちに、だんだんそのイベントが女性学研究会なる研究サークルが開いたものだと知ることになりました。
女性学のことを書くと長くなるのでざっくりいいますと、社会学という学問から派生した、女性の社会的な立場の歴史や問題について研究する学問のことです。私は、もともと女性学に興味はなかったんですけど、サークルの雰囲気は悪くありませんでしたし、社会学への興味もありましたので、そのサークルに入ることになったのです。
まあ、結果的に、映画とパイにやられたわけですね。
そのサークルに入るまで、私は女性差別という社会問題について、ほとんど知りませんでした。しかも、いわゆる女性社会参画運動などには、全然関心のない、ひ弱っ子でした。
そんな私が、大学間の交流会などに行きますと、そこには社会人の運動団体なども参加しており、ウーマンリブを地で生きてきたような語気の強い年上の女性の方が多数いらっしゃいました。だいたい男の参加率は全体の1割くらいでしたね。
そんな雰囲気の中で、私がおそるおそる話す言葉のひとつひとつに、女性の方からご指摘いただくわけです。
「それは、どういうジェンダーの観点から、言っているのかしら?」
「その言い方は、家長的なニュアンスが混ざってるように思うけれど」
なんて言われますと、二十歳になるかどうかの私の背筋がビクっとなったことは今でも覚えていますね。
まあ、そんな怖い?貴重な経験もしましたが、私がここで学んだ大切なことがあります。
それは、自分が崩れる楽しさです。変な表現ですが、自分が崩れるという表現はぴったりな言い方だと思っています。
著者のMiyoshi Hirofumiさんに人生相談を申込む
著者のMiyoshi Hirofumiさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます