愛されない
身体が風を切るのが気持ちよかった。
その様子を微笑んで見ていた"常磐のお兄ちゃん”は、
「よし、逆上がりも教えてやるか」
と言った。
「足を上に振り上げる感じで、前に投げ出してみろ」
見よう見まねで足を振り上げるも、全然身体は鉄棒に上がらない。
何度目か振り上げた時、"常磐のお兄ちゃん”は私の足を持ち、上にぐいーっと上げた。
うっ・・・こわいっ・・・!!
鉄棒を必死に掴み続けている間に、身体はクルッと逆回転して元の位置に戻った。
「ほら、出来ただろう」
「もう一回やってみるか」
もう一回、やってみようと鉄棒に手をかけ、鉄棒の上に身体を預けた時だった。
「けいちゃーん。お父さんとお母さんが向かえに来たよー。
早く来ないと置いていくってよー」
やだっ・・・・ いやだーーー!!
「降りる!おりるー!」
早く行きたいのに、私は鉄棒の上。宙に浮いたまま。
どうやって降りたらいいのかも分からなくなって、気ばかりが焦る。
半べそをかいた私を、"常磐のお兄ちゃん”は下ろしてくれた。
「ありがとう」も言わずに、泣きじゃくりながら走り両親のところへ向かった。
早く行かないと置いて行かれる。
だって、愛されてないだもん---
◆ 父の記憶(結婚前)
昭和3年。父は4人兄妹の第一子として生まれた。下3人は全員女の子。
一家の跡継ぎとしての誕生だった。
父の家は武士の出で、代々賢い人が出ていた家系らしい。
祖父は長男ではないし、残念ながらその賢さも受け継いでいなかった。
いや、受け継いでいたのかもしれないけれど、その人生でそれは活かされることはなかった。
いつからか働かずに酒とタバコに明け暮れる日々を送っていた。
祖母はそんな祖父と父とその妹達を支え、働きに働いていた。
父は勉強もあまり得意ではなく、身体も丈夫ではなかった。
そのために徴兵を免れたほどだった。
祖父は父に対して「一家の恥」のような扱いをした。
祖父は父が成績が良くなかったり病気になるたびに、父を罵った。大きな声で。
祖父にしてみれば、自分の不甲斐なさを息子の中に見て、それで父に厳しかったのかもしれない。
でもこの行為は、生来明るい資質を持っていたはずの父を、どんどん無口にしていった。
口の達者な妹達にも、父は強く出ることをしなかった。
父はどんどん自信を失っていった。
自分を価値の無いものと思うようになっていった。
成長した父は国鉄で列車に石炭をくべる仕事に就いた。
真面目な父は一生懸命働いた。
真面目すぎたのか、ストレスが大きかったのか、父は肺結核に罹ってしまう。
療養のため、自宅の八戸市を一人離れ、宮城県船岡市の国鉄の療養所に入った。
同時期に、祖母も病気を患い入院する。
過労だろうか。
父の一番上の妹は小学校の教員となっていた。
その妹が一家の生活を支える形となった。
本来、自分が担うべき役割を一番上の妹にしてもらっている。
そのことは、ますます父の妹達に意見する気持ちを失わせていった。
父は祖母の見舞いにも行けない自分を不甲斐なく思い、自分の存在価値すら見失っていった。
◆ 母の記憶(結婚前)
昭和3年。12兄妹の末っ子として母は誕生した。
上の兄たちは戦争に出兵。みんな命を落とした。
家で飼っていた猫がある日ふといなくなった。
数日後、家から離れた場所で亡くなっていたのを見つける。
『猫は自分の死期を察し、自分の死を見られないよう離れていく』
そんなことを聞き、悲しみにくれた母は、その後動物を飼うことを嫌うようになった。
母は絵が好きだった。描くのも好きだが観るのも好きだった。
展覧会をやっていると聞けば、電車に乗ってでも観に行きたいと願った。
しかし女なのだからと母は父親に許しをもらえず諦めるしかなかった。
末っ子の母を愛おしいと思えばこそ、一人で出かけるなど認められなかったのかもしれない。
好きなものを観、好きなことを学べる人が羨ましかった。
自分にお金があれば、それらが叶うのに。
母はそう思っていた。
母は姉妹の中で勉強ができたほうだった。
ある日、教育勅語をスラスラと口にしたのが町の有力者の目に留まり、
母は請われて養子に出ることになった。
教員になるための師範学校へ入学するためだ。
当時、師範学校は紹介がなければ入学は難しかったという。
教育勅語を暗証できるほどの女学生を何とか教師にするため、
名士の養子にして受験させようということだった。
かくして母は弘前にある師範学校に入学する。親元を離れ入寮した。
師範学校で学んでいる最中、戦争勃発。
母は空襲の中、逃げ惑うという経験をした。
そして終戦。
師範学校で教えられる内容は一変する。
信じて疑わなかった教えに墨を塗らされたり、間違った教えだと言われ、
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